無難に生きたいのに、全力すぎる彼が構ってきます
 低く抑えた声は、吐息が触れるほど近い。

 「可愛い」

 ぐっと指が絡む。たったそれだけで全身に熱が走った。

 (な、なに言って……)

 抗議の言葉は喉の奥で消えた。
 誕生日のことには触れない。なのに、妙に心の奥をくすぐる言い方だった。

 エレベーターが減速し、到着を告げる音が鳴る。人の流れが前に動き出した、その一瞬、 幹人の親指が天音の手の甲をなぞった。するりと名残惜しむみたいに。
 そして何事もなかったように手を離し、彼が一歩先に出る。

 「じゃ、また」

 振り返らずに言われたひと言に、胸がきゅっと締まる。
 エレベーターを降りたあと、少し遅れて歩き出しながら天音は自分の指先を見つめた。まだ彼の体温が残っている気がする。

 (……ずるいな)

 誕生日を忘れているかどうかなんて、どうでもよくなってしまった。朝のほんの数秒で、こんなふうに気持ちを揺らされるなんて――。
 誰にも見られないように小さく息を整える。仕事をはじめる前から、心臓だけが先走っていた。
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