飼い猫モンブランの魔法
 翔太の不機嫌な声にもめげず、モンブランは何かを訴えるように鳴く。耳障りだと少し苛立ちながら、翔太はキャットフードを盛った皿を床に置いた。
 そういえば、家に招いた日から一度も外に出していない。もしかしたらモンブランは、外に出たいのかもしれない。明日は特に予定のない休みだし、モンブランを逃がすつもりで外に出してしまおうか。そもそも飼うつもりで家に上げたわけではないのだし、よそのお宅の飼い猫との不思議な共同生活は、もうおしまいだ。
 そんなことを考えながら翔太はシャワーを浴び、鳴き続けるモンブランを無視してベッドに倒れ込んだ。


   ◆◇◆◇◆


 ――三回目、言葉を交わしたらあっという間に心を奪われた。
 翌日、ゆっくりと朝を過ごした翔太は、昼前にスニーカーを履いた。そして、玄関からモンブランを呼ぶ。モンブランはこれからの翔太の行動を理解しているのか、一目散に翔太めがけて走ってきた。この猫が走るのを見るのはこれで二回目だ、とどうでもいいことを思いつつ、翔太は玄関のドアを開けた。来た時と同じように、モンブランはエレベーターの中でも翔太の足元にぴったりとくっ付いて離れなかった。
 翔太とモンブランは同時にエントランスホールに出て、暖かな日差しが注ぎ込むマンション前の道に出た。
 すると、翔太の視界に一人の女性の姿が入った。それは間違いなく、暗闇の中で懐中電灯を片手に何かを探していたあの人物だ。明るいところでその姿を見るのは、初めてである。

(なんだ、昼間も探していたのか)

 昨夜の疑問の一つに、答えが出る。
 それにしても、昼間も夜も、いったい何を探しているのだろうか。
 翔太が考えていると、足元でモンブランが鳴いた。

「ニャー!」

 なんだと思って見ると、モンブランは翔太になど目もくれず、その女性めがけて猛ダッシュをしていったところだった。

「おいっ……」
「ニャァ、ニャアァ」
「モンブランっ!」

 翔太のわずか五メートルほど先で、女性は足元に駆け寄ってきた猫を抱き上げた。その表情は、真夜中の頼りなさそうに見えた表情とは違い、まるでヒマワリが咲いたように眩しい笑顔だった。

「ああ……よかった……よかったぁ」
「ニャアァ、ニャア~」

 ああ、そうか。
 モンブランは彼女の飼い猫で、彼女は最初のあの日からずっと、モンブランを探していたのだ。そして昨夜モンブランが鳴き続けていたのは、飼い主である彼女が外にいることを知っていたからなのだ。
 すべての事象が一つにつながる。何もかもが理解できた翔太は、すっきりとした気分だった。
 モンブランを逃がすか、と軽く考えていたが、マンションを出た瞬間にモンブランは無事に飼い主の元へ戻ったので、これにて一件落着だ。自分はこのまま、一人で本屋にでも行くか。
 頭上の晴れ渡った空のように爽快な気分のまま、翔太は女性にもモンブランにも声をかけることなく、その場を立ち去ろうとした。

「ニャー」
「あ、あのっ」

 ところが、そんな翔太を引き止める二つの声があった。
 翔太は少し億劫そうに振り返り、猫と女性を見つめる。わざとではないのだが怖い表情を向けてしまったらしく、目が合った女性は一瞬びくりと肩を震わせた。しかし、はっきりとした声で翔太に話しかけてきた。

「あなたがこの子を保護してくださっていたのでしょうか」
「ええ、まあ……。離れずに付いてきたので、しばらく家に置いていました」
「ニャア」

 そのとおりです――と、モンブランは言っているようだ。

「ありがとうございます。ずっと捜していたんです」
「そうみたいですね」

 猫は夜行性だから夜も行動すると思って、昼間だけでなく夜中にまで懐中電灯を片手に探していたのだろう。彼女にとって、モンブランは大事な飼い猫なのだ。
 これ以上関わることはないと思って立ち去ろうとしていたのに、やけに目の前の女性とモンブランについて推察している自分に、翔太は言葉にならない感覚を覚えた。通りすがりの人間でいようと思うのに、モンブランを抱っこした女性に、どうしてか意識が向いてしまう。

「この子、私の兄弟みたいな子で……いなくなってしまって本当に心配で……でも、親切な人に保護していただいたようで、安心しました。お名前をお訊きしてもよろしいですか?」
「舘石……舘石翔太といいます」
「舘石さんですね。本当にありがとうございました」
「ニャーア」

 彼女はモンブランを抱いたまま、器用に頭を下げる。するとモンブランも主人を見習うように、お礼のような鳴き声を出した。翔太はしばらく、頭を上げた彼女の微笑を呆けたように見つめる。

「あの、何かお礼をさせてください」

 女性は翔太を見つめ返し、そう申し出た。曇りのない純粋そうな瞳が、翔太の冷たい瞳を捉える。

「いや、いいですよ。たいしたことはしていないですし」
「でもこの子、図々しいところがあるから……ご迷惑をおかけしたんじゃないかと思うんです。ご飯代とか……その、舘石さんに要らない出費をさせてしまったかと思いますし」
「ニャー」

 そんなことないですよ、ご主人様――モンブランはおっとりと鳴く。
 それを聞いて、翔太は苦笑した。

「たしかに、ずいぶん図々しい猫だとは思いました」
「やっぱり! こら、モンブラン」
「ニャ?」
「そうやってごまかさないの。舘石さんにいったいどんな迷惑をかけたの!」
「ニャァ……」

 女性はモンブランの言葉がわかり、そしてモンブランは女性の言葉をわかっているようだ。兄弟みたいだということが、他人事ながらも頷ける。

「もうっ……。でも、私のために逃げてくれたのかな」
「どういうことですか?」

 女性の言葉が腑に落ちなかった翔太は、思わず尋ねていた。
< 3 / 4 >

この作品をシェア

pagetop