夜盲
「なんなの。もうやだ。乃亜くんなんか、嫌い」
まともに反論できないあたしが放ったのは、小学生並みに幼稚な暴言だった。
掴んでいた乃亜くんのスマホから手を離すと、スマホは鈍い音を立てて地面に落ちてしまった。乃亜くんは屈んでそれを拾い上げる。液晶画面は無事のようだ。謝ることはしない。だってあたしは悪くないから。
彼はスマホをポケットに仕舞った。ゲームはもう、やらないらしい。
「……ごめん、言い過ぎた」
「でも、あたしのこと、メンヘラで直情的だって思ってるんでしょ?」
「それは思ってるけど、おれはべつに、いいと思う」
「はあ? さっき嫌いって言ってたじゃん」
「それは、佳乃が嫌いそうってだけで、べつに夢見さんを否定してるわけじゃない」
「何言ってんの? 意味わかんないから」
とうとう乃亜くんは頭がおかしくなってしまったのかもしれない。なんだか呆れてしまって、「もーいいよ、この話やめよ」と吐き捨てると、乃亜くんはそれ以上何も言ってこなかった。別に心の底から乃亜くんを嫌ってるわけじゃないけど、意味わかんないことは言わないでほしい。
駐輪場の屋根に打ち付ける水音は、さっきよりも強くなってきている。
そのとき、灰色の空気を切り裂くように、一台の車のヘッドライトがあたしと乃亜くんを照らした。それを見た乃亜くんが、「最悪」とひとこと零す。
右手側からやってきた黒い軽自動車が、あたしたちの前に停車した。
「え! 佳乃くん!!」
運転席に座る佳乃くんが、あたしの姿に気がついたのか、目を大きくひらいた。
部屋からそのまま出てきましたって感じの格好をしているくせに、なんか気怠げで格好いい。まさかこんなところで佳乃くんに会えると思っていなかったから、思わず頬が緩んでしまう。
佳乃くんは助手席の窓ガラスを開けて、あたしの名前を呼んだ。
「宵じゃん。乃亜と一緒だったの?」
「たまたまここで会ったの。佳乃くん、運転するんだね」
「まー、これ親の車だけど」
隣にいた乃亜くんは無言のまま、不機嫌そうに後部座席に乗り込んだ。あたしと佳乃くんの会話なんてどうでもいいのだろう。むしろ、嫌がっているのかもしれない。そもそも乃亜くんは、あたしと佳乃くんの関係を快く思っていないはずだ。
でも、ごめんね。佳乃くんを目の前にしたら、興奮せずにはいられない。不意打ちで会えたし、しかも佳乃くんが運転しているところをはじめて見たから、余計に嬉しくなっちゃうっていうか。
「宵も乗ってく?」
「えー。あたし、おかーさん呼んじゃった」
「そ、残念。じゃあ、宵も気をつけて」
どんなに乃亜くんとの言い争いで嫌な気分になっていたとしても、こうして佳乃くんに会えたら全部どうでもよくなってしまう。あたしの気分や幸不幸のバロメータは、すべて佳乃くんに握られているらしい。
またね、と佳乃くんに手を振ると、彼が運転する車は雨の中を走り去ってしまった。
佳乃くんと乃亜くんって、あの中でどんな会話をしているんだろう。乃亜くんはきっと横持ちでゲームをしていて、佳乃くんから話しかけられても無視しそうだ。今度、佳乃くんに聞いてみよう。それに佳乃くんなら、乃亜くんのいなし方を知っているかもしれないし。
会えて嬉しいっていうだけで、恋愛脳のあたしはハッピーになれてしまう。あたしはやっぱり、佳乃くんに盲目だ。佳乃くん以外、ぜーんぶどうでもいい。これは不変の摂理だから。