夜盲
「それで、どうなの。乃亜からちょっかいかけられたりした?」
「さー、どうだろ」
「宵がそんなふうに濁すなんて、珍しいね」
「乃亜くんって変なひとだから、よくわかんない」
「それ、答えになってないけど。まあいいや」
短くなってしまった煙草を灰皿で潰すと、彼はあたしの髪の毛をゆびさきで掬いとり、そのまま耳にかけてくれた。
男性らしいごつごつとした手をしているくせに、うすいガラス片に触れるかのように丁重な手つきで髪に触れられると、ちょっぴりもどかしい。
口先では何を言っていようと、彼はあたしを異性だと認識し、丁寧に触れてくる。たったそれだけのことで、あたしは佳乃くんから大事にされているんじゃないかって勘違いしそうになるから、困る。
「佳乃くん」
「なに」
「もう一回、したい」
「あなた、本当に変態だね」
バスローブの紐がほどかれる。だらしなく左肩だけずり下げられて、今度はきちんと、性的なにおいをまとった口づけが降ってきた。
唇に触れ、耳に触れ、それから首筋、鎖骨、と徐々に降りてくる。初めから終わりまでの一連のなかで、この瞬間が一番好きだった。佳乃くんから求められているように錯覚できるからだ。
目を閉じて、これから訪れる刺激に備える。
しかしその瞬間、サイドテーブルに置かれていたスマホがバイブレーションを鳴らした。あたしのスマホは鞄の中だから、鳴っているのはたぶん、佳乃くんのスマホだ。
手を伸ばして着信先の表示を確認した佳乃くんが、眉をひそめる。
「ごめん。出てくる」
「……うん」
水を差されたようで嫌だったけど、頷くしかなかった。
佳乃くんは応答ボタンに触れ、スマホを耳に押し当てる。彼はそのまま立ち上がり、洗面所の方に向かった。すぐに扉は閉められる。
あたしがここで何をどう言ったって、佳乃くんは佳乃くんのしたいように行動するし、自分の行動の選択権を手放すことは絶対にない。
電話なんて、ここで出たらいいのに。
そう思っていたとしても、さらにそれを佳乃くんに伝えたとしても、佳乃くんに鬱陶しいと思われてしまうことはほぼ確実で、だからこそあたしにはなす術がなかった。彼の行動を変えようと努力しても無駄だということは、流石のあたしでも理解している。
それにしても、いつもは行為中の着信になんか反応しないくせに。さらにいえば、インターン先や、友人からの着信に対しては、いつも平気な顔をしてあたしの目の前で電話をとるくせに。今日に限って、どうして向こうで話したがるのだろう。
あたしに聞かせたくないような内容でもあるのだろうか。
どうしよう。なんだかすごく嫌だ。
洗面所までは数歩の距離だ。扉が閉められているとはいえ、完全に防音というわけではない。一言一句を確実に聞き取ることはできないが、耳をすませば会話のトーンを感じとることはできるし、少しなら単語を拾うこともできた。
あたしはその場で佳乃くんの声に集中する。
「いや、してないけど。……あー、そう。…………それで、いつ着くの?」
声がこもっていたのですべての単語を聞き取れたわけではないが、口調にはやや緊張が混じっているように思えた。乃亜くんの話し方にちょっとだけ似ている。
佳乃くんがこんなふうに話すなんて、変だ。