夜盲
それから、ひとこと、ふたこと。通話相手と少しだけ言葉を交わすと、佳乃くんはすぐこっちに戻ってきた。
彼は澄まし顔でスマホに何かを打ち込んでいる。こちらからは画面を覗き込めない。
佳乃くんがそういうつもりなら、仕方ない。ならばあたしも、気にしていないふりをしてあげるだけだ。
「佳乃くん、きて」
「少しはいい子で待てないの?」
「あたしがいい子だったことなんて、ないでしょ」
「そーだったね」
それでも。「電話の相手、誰だったの」って、聞かないあたしはすごくいい子だ。
16年間、女の子として生きてきた。恋だって、周りの友人と同等以上の回数をこなしてきた。本音と建前を使い分ける女の子同士の付き合いも、それなりにうまくやってきた自負がある。
だからこそ、想像ができてしまう。
さっき佳乃くんが通話していた相手は、女の人なんじゃないかって。
問い詰めたい。叫びたい。責めたい。彼のスマホを見たい。知りたい。
見たくない。知りたくない。泣きたくない。問いたくない。苦しみたくない。
佳乃くんは特別なひとだ。今まで付き合ってきた男の子たちとは、勝手が違う。
佳乃くんと関係を持つ前までのあたしは、相手との関係で嫌なことがあったら、泣いて叫んで、暴れて、なんでも気持ちを口にして、好きなものは好き、嫌いなものは嫌いだとハッキリさせて、相手と合わなければ関係を解消し、別の男の子に乗り換えたりして、自分本位に関係を作ったり壊したりを繰り返していた。
だけどそんな簡単な方法で、佳乃くんを手に入れることなんて、できない。佳乃くんはたぶん、あたしみたいなメンヘラ女など、そもそもあんまり好みじゃないのだ。
そうだとしても、あたしは佳乃くんがいい。だからあたしは本来の自分を抑圧して、佳乃くん好みの女になろうと努力してる。佳乃くんがあたしと関係を持ち続けているということは、たぶん、今のところはこれが最善であるはずなのだ。
彼があたしに構うのは、高校生を抱くという行為にスリルのような何かを求めているだけかもしれない。それ以外に訳があったとしても、佳乃くんがあたしを繰り返し抱く理由なんて、あたしには知る由もない。こうして佳乃くんに触れることができるなら、別に理由など何だっていい。
恋は、理屈じゃなくて感情でするものだから。
「佳乃くんの顔、すき」
「じゃあ、乃亜でもいいんじゃね」
「乃亜くんなんて、やだ。佳乃くんがいい」
「変な女」
重い女になりたくない。
「あたしの顔は?」
「まー、わりと好き。イチゴミルクみたいな顔だし」
「イチゴミルクみたいな顔ってなに?」
「甘ったるくて可愛いってことですよ、お嬢さま」
不安の底に突き落とすのも、とびきりの女の子扱いをして舞い上がらせるのも、佳乃くんにかかればこんなにも簡単に、こんなにも残酷に遂行できてしまう。
興味本位で足を踏み入れた泥濘は想像よりも深くて、もう後戻りできないくらいになってしまった。依存したくない。執着したくない。それなのに、会うたび、話すたび、身体を重ねるたびに、昂った感情のコントロールが利かなくなってしまう。
漠然とした不安を抱えながら目を瞑る。佳乃くんの背中に手を回しながら、どうしたらさっきの通話相手のことを知れるだろうかと思考を巡らせた。