夜盲
最上階の屋内展望テラスには自動販売機がふたつ置かれていた。飲み物なしに乃亜くんとの会話の間が埋まるとも思えなかったので、ホットココアを買った。乃亜くんもあたしに続いて、缶コーヒーを選ぶ。
街の景色を眺望できるように設置されている、クッション素材のベンチに腰かけた。
ふたりの間には、やはり拳ふたつ分の距離がある。
「それで、佳乃くんのこと聞きたいの」
「うん」
「正直に答えてほしいんだけど。今、佳乃くんに女、何人いる?」
「さあ。でも最近は、夢見さん以外のひと、家ではあんまり見ないけど」
「それ、ほんと?」
「就活が忙しいんでしょ。それに、夢見さんが佳乃の連絡先消してたじゃん」
「それは、そうだけど」
たしかに、佳乃くんのスマホから女の連絡先を消してから、佳乃くんの女遊びは前よりも控えめになったように思う。でも佳乃くんなら、遊び相手を探そうと思えばいつだって探せるだろうし、女の方から寄ってくることもあるだろう。佳乃くんの女遊びが停滞しているのはおそらく、就活だとか、大学だとか、そういった私生活が忙しくなっているからで、連絡先を消したとしても、それは彼の女遊びを止めるに足りるような、根本的な解決にはなっていないはずだ。
もし、佳乃くんの女遊びが、以前よりも落ち着いていると仮定したとして。だとすれば、女から電話がかかってくるのもおかしいし、佳乃くんがそれに応じるのもおかしい。
佳乃くんの女遊びがまだ続いていたとしても、あれが有象無象の遊び相手のうちのひとりだとしたら、佳乃くんはあのとき、着信を無視したはずだ。就活関連の電話というのも考えられない。だって、あのときの佳乃くんは、やや緊張していたとはいえ、砕けた口調だった。さらにいえば、通話相手がただの友達だったなら、彼はあのとき、あたしの目の前で堂々と電話に出ただろう。
どの可能性もしっくりこない。だからこそ、どうしても腑に落ちない。
ああ、いやだ。もっと鈍感でいられたら、こんなこと、気にせずにいられたのかもしれないのに。
隣で乃亜くんが、缶コーヒーに口をつけた。
「聞きたいことって、それだけ?」
「ううん、もっとある。だけど、なんか整理しきれてなくて」
「佳乃となんかあったの」
「まあ、あるにはあった」
どちらにせよ、今の状況や、今のあたしの考えを話さないと、話が散らかってしまいそうだ。あたしはこの件について、どうしても乃亜くんの意見が聞きたい。
言葉を選びながら、要点だけ、かいつまんで説明をする。
佳乃くんとホテルに行ったとき、普段なら行為中にかかってくる着信には無視をしがちな佳乃くんが、珍しく電話に出たこと。なんとなく、その声のトーンや口調から、相手が女なんじゃないかって察していること。だけどその相手の検討がまったくつかないこと。
乃亜くんにとっては、聞きたくもない話かもしれない。だけど、仕方ない。だってあたしは佳乃くんが好きで、この愚かな恋心をどうしたって止められないのだ。
一通りあたしの話を聞いた彼は、「あー」と言葉を濁す。
「ちょっとだけ、心当たりはある」
「どんな?」
「言っていいの?」
「いいよ」
「たぶん、昔付き合ってた彼女だと思う」
それは、ありとあらゆる可能性のなかで、極めて最悪な返答だった。
……いや、あたしも最初から、なんとなくそうなんじゃないかって、心のどこかで察してた。ただ、どうしてもそうであってほしくなかったから、見ないふりをしていただけで。
もう何ヶ月も前の話だ。「佳乃くんが本気で恋愛してるとこ、見たことある?」と尋ねたとき、乃亜くんは珍しく、「ある」と断言した。
佳乃くんが過去に愛した女なんて、想像するだけで悔しいから、できるだけ考えないようにしていた。けれどその存在が、ずっとあたしの心に、ささくれを引っ掻いたような傷を残し続けていたのは確かである。名前すらも知らない佳乃くんの元カノに想いを馳せるたび、選ばれない自分が虚しくなって、死にたくなってしまうからだ。
軽傷だった傷は、化膿してしまった。
つまり、非常に不愉快だった。