夜盲
やけに小綺麗で、恐ろしく好みな佳乃くんの顔面に向かって、手に持ったそれを思い切り振り下ろす。
佳乃くんが手を掲げて、自らの頭を守ろうとする。あたしは構わずそこにバッドを叩き込む。
手のひらに、鈍い肉体の感触が響いた。
あいにく金属バッドの扱いにはあまり慣れていないし、あたしもただの女の子だ。振り下ろした鈍器は鈍い音とともに佳乃くんにダメージを与えはしたものの、致命傷を与えるには至らなかったらしい。打たれた彼は頭を抱えてその場にうずくまる。死んではいない。一発で殺すのは難しいらしい。
佳乃くんの手は震えながらも花音さんに伸びている。花音さんを守るために。死の直前であっても、佳乃くんはあたしに対して命乞いをしない。ただ、花音さんを守ることを優先している。守られた女は声も出ないのか、佳乃くんに縋りついて泣いている。なんなの。泣きたいのはこっちなんですけど。
佳乃くんって、好きな女のためなら、そんなに必死になれるんだね。
どうしよ、死にたくなってきた。
「ずるいね、佳乃くんってほんとにずるい」
「よ、ぃ」
「あたしのこと、花音さんに重ねてたんでしょ。同じ制服着て、自由気ままに遊ぶあたしを抱いて、弄んで、何を満たそうとしてたの?」
佳乃くんと、花音さん。そのふたりの姿の輪郭がぼやけて、ひとつになっていくような感覚がした。
息がしづらい。眩暈がする。耳鳴りが不快だ。何も考えられない。つらい。苦しい。痛い。ずっとずっと痛い。
もう一度バッドを振り上げる。その鉄塊が狙っているのが、佳乃くんなのか、花音さんなのか、自分でもわからなくなってくる。あたしは何がしたかったんだっけ。あたしはどうすればよかったんだっけ。わからない。わからないからこそ止められない。止まらない。どこにも行けない衝動が、ただあたしを破滅の道へと駆動している。
「佳乃くん、来世ではちゃんと愛してね」
二度目のそれを振り下ろそうとした、その瞬間。
振り上げたバッドが、後方から誰かに掴まれ、ぐ、と引っ張られる。
見なくても、その正体が理解できた。
——乃亜くんだ。
思わぬ方向に引っ張られたせいで、手からバッドが滑り落ちる。そのまま、後ろに立っていた男が、金属バッドをあたしから奪い取った。
「なんで邪魔するの」
「もう、いいでしょ」
「まさか乃亜くんまであたしのこと裏切るの?」
「違う。夢見さんのことが好きだから、人殺しになってほしくないだけ」
床に散らばった灰皿の破片を足の裏で踏んでいることに今更気がついた。痛くて辛くて、苦しかった。
ぼろぼろと涙があふれてくる。
乃亜くんが、佳乃くんたちとあたしの間に割って入ってきた。彼はその親指であたしの頬を雑に拭う。
「一発殴れて、すっきりした?」
「……うん」
「そう。ならいいや」
頭がぼうっとする。
そこに倒れて虚ろとしている佳乃くんの横顔を眺めていると、16歳の女ごときに殴られて失神しかけている男がすごく情けなく見えてきた。
あたしは徐々に冷静さを取り戻していく。
恋が、弾けて消えた。
「聞こえてきたんだけど。佳乃って、キンタマ舐めると興奮すんの?」
「そーだよ。キモくない?」
「それは、ちょっと面白い」
「乃亜くんも試してみる?」
「おれがそーいうのに目覚めちゃったらどうしてくれんの」
ずっと抱えてきた醜い執着心から、やっと解放されたような気がした。佳乃くんにとどめをさすことはできなかったけれど、力なく横たわっている佳乃くんを見ていると、肩から憑き物が落ちたような感覚がした。
こうすることでしか、あたしは町田佳乃と決別することができなかった。それが身を滅ぼすとわかっていても、それでもあたしは、行きたいところに行き、やりたいことをする。変えられない。あたしは一生、あたしという人間に付き合っていかなければならない。
サイレンの音が聞こえる。