密かに… そっと…
(あーあ。明日からまた詩音くんは部活……)

こうして奇跡みたいなお昼休憩ができるのも、今日までだったのにな。

ティータイムのゆったりとした時間が流れていく。

常連のお客さんとぽつぽつ話をしながらも、頭の中に浮かぶのはさっきの休憩時間のことばかり。

逃げるみたいに席を立ってしまった自分を思い出して、ため息が漏れる。

(幸せな時間だったなぁ……)

二人でゲームをして。

たくさん話して。

詩音くんが「少し残念」なんて言ってくれて。

思い出しただけで頬が緩みそうになる。

だけど、その次の瞬間。

(いや、ダメダメ)

私はぶんぶんと首を振った。

(あれ以上一緒にいたら、絶対好きって言っちゃってた)

本当に危なかった。

あのまま休憩が続いていたら。

「私、詩音くんのこと――」

なんて口走っていたかもしれない。

そう考えるだけで顔が熱くなる。

まるで漫画でよく見る天使と悪魔みたいに、

『もっと一緒にいたかったよね』

という声と、

『逃げて正解だったよ』

という声が、

頭の中で交互に囁いていた。

チリン、チリーン

来客を告げるベルの音に、私は現実へ引き戻された。

「いらっしゃいませー」

反射的に顔を上げる。

すると、入り口から聞き慣れた甘い声が響いた。

「お疲れ様でーす」

白田さんだった。

明るい笑顔のまま、ぺこりと頭を下げている。

(白田さん……)

そこで壁の時計が目に入った。

(えっ、もうそんな時間?)

ついさっき休憩から戻った気がするのに。

楽しい時間ほど、どうしてこんなにあっという間なんだろう。

白田さんはロッカーへ向かうため、私の横を軽やかに通り過ぎていく。

その後ろ姿を見送りながら、私は小さく息を吐いた。

(そっか……)

明日から詩音くんは部活復帰。

そして白田さんは、またここに来る。

どうやら――

詩音くんとの奇跡みたいな二日間は、終わりを迎えるらしい。

「風香ちゃん、少し早いけど今日はもう上がっていいよ。帰る支度して。それから詩音も今のうち休憩行ってきて」

店長が声をかけてくれた。

十六時四十五分。

店内のお客さんはほとんどいない。

「はーい」

返事をして休憩室へ向かう。

ドアを開けると、ソファに座ってスマホを見ていた白田さんが顔を上げた。

「あっ、お疲れ様でーす」

「お疲れ様です」

そう返してロッカーへ向かう。

そのとき。

ガチャッ。

休憩室のドアが開いた。

「お疲れ様です」

詩音くんだ。

「お疲れ様ー、詩音くん」

白田さんがぱっと顔を輝かせる。

ん?

私への“お疲れ様”と声のトーンが違くないですか?

「詩音くん、今日も部活休んだんだね。身体大丈夫?」

白田さんが心配そうに尋ねる。

詩音くんは、

「うん」

と小さく返事をした。

白田さんの方を見ることもなく、軽く頭を下げただけ。

次の瞬間。

「あっ、三波さん。着替えますよね?」

突然声をかけられて、びくりと肩が跳ねる。

「えっ?」

「俺、外、出てます」

どうやら私がロッカーの前で固まっているのに気づいたらしい。

「あっ、あー……大丈夫、大丈夫」

慌てて荷物を抱える。

「私、トイレ行きたいから。ついでに着替えてくるね。ありがとう。詩音くんは休憩でしょ。ゆっくりしてて」

そう言って休憩室を後にした。

ふっ。

ふふふっ。

なんだろう。

ニヤニヤが止まらない。

(気のせいかもしれないけど……)

(白田さんへの返事、そっけなかったな)

(私にはロッカー使うの気づいてくれたし)

そんなことを考えてしまう。

だめだ、だめだ。

私は首をぶんぶん振った。

(わかってる、風香)

(それはただ、詩音くんが私を去年から知ってるってだけ)

(白田さんは最近入ったばかりなんだから)

(その差だよ。その差)

勘違いするな。

期待するな。

そう自分に言い聞かせる。

だけど――。

ふっと口元が緩んだ。

嬉しいことには、変わりなかった。
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