密かに… そっと…
塾に通い始めてから、学校が終わるとほぼ毎日のように行っていた喫茶オークにも、今では週に三回ほどしか顔を出せなくなってしまった。
バイト先へ向かう道すがら、外はとても寒いのに、手にはじんわりと汗が滲んでいた。
なぜなら今日は二月十四日。
大切な人に感謝を伝える日。
日本では、女の子から好きな人にチョコレートを渡す日だ。
(もう、誰がこんな日本にしたんだ!)
と、怒りたくもなる。
この日は、なんとなく気を遣わなければならない気がしてしまう。
バイトが入っているのなら、やっぱり一緒に働いている人たちにはチョコレートを渡した方がいい気がする。
店長と、白田さんと、朱美さんと……。
それなら、自然に詩音くんにも渡すことができる。
(き、緊張してきた……。朱美さんたちの分もあるし、全員分をまとめて店長に預けちゃおうかな……)
詩音くんに直接渡すのは勇気がいる。
楽な方へ逃げたい自分がいた。
(去年は、休憩室にチョコレートを置いておいただけだったな……)
そう考えると、自分の中にある気持ちが、去年よりずっと大きくなっていることを嫌でも実感してしまう。
(とりあえず、まずは働こう)
私はチョコレートのことをなるべく考えないようにした。
……したいんだけど。
「チョコレートパフェください」
「チョコレートケーキ二つで」
(そうだよね。今日はバレンタインだもんね……)
どうやら、お客さんは私にチョコレートのことを忘れさせてくれないらしい。
チリンチリーン。
来客を告げるドアベルが鳴った。
「いらっしゃいませ」
「お疲れ様でーす」
聞き慣れた可愛い声。
今日も、ふわふわくるくるの髪に、ぷっくりと艶のあるリップ。
白田さんが顔を出した。
「あれ? 瑠奈ちゃん、今日はシフト入ってないよ」
店長が声をかける。
「今日はバレンタインなので、チョコを作ってきたんです」
そう言うと、白田さんは店長のもとへ向かい、
「はい。いつもありがとうございます」
と、ピンクのリボンでラッピングされたチョコレートを手渡した。
「今日って、詩音くん来ますかー?」
「今日は来るって言ってたと思うよ」
「良かったー。じゃあ、休憩室で待たせてもらってもいいですか? 冬休みの課題を手伝ってもらったし、直接渡したいんで」
そう言って、白田さんは休憩室へ入っていった。
(なんだか自然だなぁ……白田さん)
「風香ちゃん、これ瑠奈ちゃんに持っていって」
そう言って店長がオレンジジュースを差し出した。
「はーい」
私はそれを受け取ると、休憩室に向かった。
コンコン。
「はーい」
返事が聞こえてきたのでドアを開け、
「店長さんから」
と白田さんにジュースを渡した。
「わーい、ありがとうございます」
白田さんは無邪気に笑った。
私はフロアに戻ろうとドアへ向かう。
すると、
「そういえば、詩音くん、なんで風香さんのことを名前で呼んだのか聞きました?」
「あー、うん。教えてくれたよ」
「えっ? なんて言ってました?」
「私がここでバイトを始めたのって高一からなんだよね。たまたま募集の紙を見て応募したんだけど、その頃から店長がずっと私のことを『風香ちゃん』って呼んでたの」
「店長がそう呼ぶのを聞いて、詩音くんの中では最初から私は風香だったみたい。自己紹介もしてなかったしね」
「高校に入ってから、私が三波風香だって知ったんだって」
「だから咄嗟に名前で呼んじゃったみたいだよ」
白田さんは、そこで一瞬固まった。
「えっ……」
目を見開く。
「それって……」
一拍置いて、ゆっくりと言葉をつなぐ。
「詩音くん、中学の頃から風香さんのこと、知ってたってことですよね?」
「えっ? そうだけど……」
白田さんは私の顔を見たまま続けた。
「詩音くんの好きな人って……」
(詩音くんの好きな人……。中学生の頃から好きな人がいるって、白田さん言ってたな……)
「……えっ?」
私は白田さんの考えていることを読み取ろうとパッチリとした彼女の目を見返した。
白田さんはスッと視線を外すとオレンジジュースを口にした。
「もしかして、白田さん、詩音くんの好きな人は私だと思ってるの?」
コトンッ
白田さんはグラスを机に置くと
「風香さんは? 詩音くんのことどう思ってるんですか?」
と聞いてきた。
「私? 私は…」
なぜだろう、ずっと隠してきたからかな。
もう、限界だったんだと思う。
気持ちが溢れた。
「私は……。詩音くんが好き…」
その時、白田さんの視線が私を通り越したと思うと「あっ!」と目を見開いた。
私はその視線の後を追ってゆっくりと振り向いた。
そこに、ドアノブを掴んだまま静止している詩音くんが立っていた。
「っ!」
「あっ、ごめん、ノックしたんだけど…」
(きっ、聞かれた⁈)
(どうしよう…)
「あっ、あの、白田さん、今日って時間大丈夫だったりするかな? なんだかちょっと体調が悪くて…。仕事、変わってもらえないかな?」
「えっ? えっ? あっ、だ、大丈夫ですよ」
「そっか、良かった。ごめんね、急に。ちょっと私、店長に話してくるね」
私は「ごめん」と言いながら、慌てて詩音くんの横を通り過ぎる。
「あっ、ちょっ」
店長に体調不良だと伝えた後、急いでロッカーで支度をすると逃げるように店を出た。
バイト先へ向かう道すがら、外はとても寒いのに、手にはじんわりと汗が滲んでいた。
なぜなら今日は二月十四日。
大切な人に感謝を伝える日。
日本では、女の子から好きな人にチョコレートを渡す日だ。
(もう、誰がこんな日本にしたんだ!)
と、怒りたくもなる。
この日は、なんとなく気を遣わなければならない気がしてしまう。
バイトが入っているのなら、やっぱり一緒に働いている人たちにはチョコレートを渡した方がいい気がする。
店長と、白田さんと、朱美さんと……。
それなら、自然に詩音くんにも渡すことができる。
(き、緊張してきた……。朱美さんたちの分もあるし、全員分をまとめて店長に預けちゃおうかな……)
詩音くんに直接渡すのは勇気がいる。
楽な方へ逃げたい自分がいた。
(去年は、休憩室にチョコレートを置いておいただけだったな……)
そう考えると、自分の中にある気持ちが、去年よりずっと大きくなっていることを嫌でも実感してしまう。
(とりあえず、まずは働こう)
私はチョコレートのことをなるべく考えないようにした。
……したいんだけど。
「チョコレートパフェください」
「チョコレートケーキ二つで」
(そうだよね。今日はバレンタインだもんね……)
どうやら、お客さんは私にチョコレートのことを忘れさせてくれないらしい。
チリンチリーン。
来客を告げるドアベルが鳴った。
「いらっしゃいませ」
「お疲れ様でーす」
聞き慣れた可愛い声。
今日も、ふわふわくるくるの髪に、ぷっくりと艶のあるリップ。
白田さんが顔を出した。
「あれ? 瑠奈ちゃん、今日はシフト入ってないよ」
店長が声をかける。
「今日はバレンタインなので、チョコを作ってきたんです」
そう言うと、白田さんは店長のもとへ向かい、
「はい。いつもありがとうございます」
と、ピンクのリボンでラッピングされたチョコレートを手渡した。
「今日って、詩音くん来ますかー?」
「今日は来るって言ってたと思うよ」
「良かったー。じゃあ、休憩室で待たせてもらってもいいですか? 冬休みの課題を手伝ってもらったし、直接渡したいんで」
そう言って、白田さんは休憩室へ入っていった。
(なんだか自然だなぁ……白田さん)
「風香ちゃん、これ瑠奈ちゃんに持っていって」
そう言って店長がオレンジジュースを差し出した。
「はーい」
私はそれを受け取ると、休憩室に向かった。
コンコン。
「はーい」
返事が聞こえてきたのでドアを開け、
「店長さんから」
と白田さんにジュースを渡した。
「わーい、ありがとうございます」
白田さんは無邪気に笑った。
私はフロアに戻ろうとドアへ向かう。
すると、
「そういえば、詩音くん、なんで風香さんのことを名前で呼んだのか聞きました?」
「あー、うん。教えてくれたよ」
「えっ? なんて言ってました?」
「私がここでバイトを始めたのって高一からなんだよね。たまたま募集の紙を見て応募したんだけど、その頃から店長がずっと私のことを『風香ちゃん』って呼んでたの」
「店長がそう呼ぶのを聞いて、詩音くんの中では最初から私は風香だったみたい。自己紹介もしてなかったしね」
「高校に入ってから、私が三波風香だって知ったんだって」
「だから咄嗟に名前で呼んじゃったみたいだよ」
白田さんは、そこで一瞬固まった。
「えっ……」
目を見開く。
「それって……」
一拍置いて、ゆっくりと言葉をつなぐ。
「詩音くん、中学の頃から風香さんのこと、知ってたってことですよね?」
「えっ? そうだけど……」
白田さんは私の顔を見たまま続けた。
「詩音くんの好きな人って……」
(詩音くんの好きな人……。中学生の頃から好きな人がいるって、白田さん言ってたな……)
「……えっ?」
私は白田さんの考えていることを読み取ろうとパッチリとした彼女の目を見返した。
白田さんはスッと視線を外すとオレンジジュースを口にした。
「もしかして、白田さん、詩音くんの好きな人は私だと思ってるの?」
コトンッ
白田さんはグラスを机に置くと
「風香さんは? 詩音くんのことどう思ってるんですか?」
と聞いてきた。
「私? 私は…」
なぜだろう、ずっと隠してきたからかな。
もう、限界だったんだと思う。
気持ちが溢れた。
「私は……。詩音くんが好き…」
その時、白田さんの視線が私を通り越したと思うと「あっ!」と目を見開いた。
私はその視線の後を追ってゆっくりと振り向いた。
そこに、ドアノブを掴んだまま静止している詩音くんが立っていた。
「っ!」
「あっ、ごめん、ノックしたんだけど…」
(きっ、聞かれた⁈)
(どうしよう…)
「あっ、あの、白田さん、今日って時間大丈夫だったりするかな? なんだかちょっと体調が悪くて…。仕事、変わってもらえないかな?」
「えっ? えっ? あっ、だ、大丈夫ですよ」
「そっか、良かった。ごめんね、急に。ちょっと私、店長に話してくるね」
私は「ごめん」と言いながら、慌てて詩音くんの横を通り過ぎる。
「あっ、ちょっ」
店長に体調不良だと伝えた後、急いでロッカーで支度をすると逃げるように店を出た。