一夜のあと、君に溺れる
「お母さん、お父さん」

「桜子、体調はどうだ?」

「少しぼんやりするけど、それ以外は大丈夫」

「そうか……」

父は言葉少なげに、ベッドの横に置いてある椅子に腰を下ろした。

窓に掛かるカーテンの隙間から、月が見える。扉の向こうの廊下は消灯されていて薄暗い。病室は煌々と明かりがついているのに、真夜中の静かで少し不気味な病院の雰囲気が、室内の空気を重くした。

「あの……」

いたたまれなくなって、先に口火を切ると、被せるようにして父が頭を下げた。

「すまなかった」

「えっ?!」

まさか父に謝られると思っていなかったため、思わず素っ頓狂な声が出てしまう。だって、これまで父に謝られたことなんてない。目の前の光景が現実ではない気がして母を見ると、困ったように眉を下げて微笑んだ。

「ほら、あなた。ちゃんと言わないと、桜子が混乱していますよ」

「ああ、そうだな。……桜子」

「はい」

神妙な顔つきで私を見つめるものだから、思わずシャキッと背筋が伸びる。

「父さんは、今まで桜子に理想を押しつけすぎていたみたいだ。結婚相手が医師なら、桜子も幸せになれると思っていた。優秀なら優秀なほど、将来安泰だと考えていた。だけど、違ったんだな」

父は言いづらそうにしながらも、しっかりと私の目を見る。

「桜子が本当に好きな人と、結婚しなさい」

「医師じゃなくてもいいの?」

「ああ」

「理事長を継がなくても?」

「いい。桜子が幸せでいてくれることが、親としての一番の願いだからな」

横で静かに聞いていた母も、うんうんとにこやかに頷く。

自分では感じていなかった無意識の足枷が、すっと外れた気がした。とたんに、胸の奥がふっと軽くなる。込み上げる思いでいっぱいになった。

「私は大ちゃんと一緒にいたい。私の人生を支えてくれる人なの」

「ああ、いいんじゃないか。桜子の人生だろう?」

そんな風に、父が肯定してくれるなんて思わなかった。父はずっと、神木坂総合病院のことを考えていたから。私のことなんて、二の次だと思っていたから。
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