鏡花水月
食事を終え、食器を片付けた頃には外はすっかり暗くなっていた。
母星の夜空は、地球とは少し違って見える。見慣れた星に淡い光を放つ小さな衛星が、静かに空を漂っていた。
「はぁ……今日も疲れたー」
桃李がそう言いながら、リビングのソファへ勢いよく倒れ込む。
「お前は何もしていないだろう」
重治が呆れたように言うと、桃李は心外だと言わんばかりに顔を上げた。
「いやいや、精神的な疲労ってやつがあるんだよ。ほら、テレビ見てみー」
桃李がリモコンを手に取り、テーブルの上に置かれていたテレビの電源を入れる。
画面には、ローカルニュース番組が映し出されている。
『――では次のニュースです。先日起きた魔都での行方不明事件について、新たな情報が――』
「あれ、ワンにゃん集一時間スペシャル終わってる」
​桃李は露骨にショックを受けた様子でガックリと肩を落とし、ソファに深く沈み直した。
「お前……ニュースより先にそこを気にするのか」
「いやいや、大事でしょ!?この荒んだ生活に必要なのは癒やし成分なの!精神のオアシスなの!」
「今必要なのは癒しより情報だろう」
「重治は真面目すぎるんだよー」
そんな軽口を叩き合っていたけれど、画面に映し出された映像を見た瞬間、空気が変わった。
​画面に映し出されたのは、かつては権力者達の非合法な巣窟(そうくつ)であったろうカジノの凄惨な残骸だった。
爆破されたかのように倒壊した建物内。そしてその周囲をいくつもの黄色い規制テープが取り囲んでいる。物々しい装備を身につけた警察や軍の人間が、重苦しい表情で現場検証を行っている。
「てか、平八どこ行った?」
「あいつなら、さっき外に行ったぞ。多分コンビニだろう」
​重治が静かに答え、視線を階段の方へと向けた。
「近くにコンビニないよ?」
​ニュース画面には、黄色い規制テープが張り巡らされた現場の様子と、重苦しい表情で取材に応じる捜査関係者の姿が映し出されている。
「そういや、外の離れた場所に小屋があったな。そこにいるんじゃないか?」
私の素朴な疑問に、重治は特に深考する様子もなく、画面に流れる規制テープと捜査関係者のインタビュー映像を見つめながら呟いた。
「小屋?」
「倉庫の裏手だ。『覗いても良いが後悔すんなよ』って言われたがな」
「……それ、絶対『覗くな』って意味じゃん」
桃李はテレビ画面から目を切らないまま、呆れたように呟く。
​「でも……そうやって念を押されると、逆にめちゃくちゃ気にならない?」
「ならない」
​重治は間髪入れずに冷ややかな声で即答した。
​「俺は超気になるんだけど!」
「気になるのはお前だけだ。無駄な好奇心は命を縮めるぞ」
「紫乃は?紫乃はどう思う?」
「私も気になる。行方不明になった幹部の人達の手がかりを探さないといけないから」
桃李は、ほら見ろ!と言わんばかりにソファから跳ね起き、親指をビシッと私に向けた。
​「だよね!? 流石紫乃、分かってる!ほら重治、 民主主義の勝利だ~!」
「……呆れたな。手がかりを探すのは結構だが、なぜそれがその小屋に直結するんだ」
​重治は眉間を指で揉みほぐしながら、深くため息をついた。
「よし決まり!突撃、謎の小屋捜査隊!」
「勝手に隊を組むな。……おい、紫乃。本当に行くつもりか?」
​重治が念を押すように私を見てくる。
私は黙って頷いた。手がかりがこんな身近な場所にあるとは限らないけれど、指をくわえてニュースを眺めているだけじゃ、何も変わらない。
​「はぁ……分かった。ただし、何かあっても俺は知らんからな」
​重治はそう突き放しながらも立ち上がった。口では嫌がりつつも付き合ってくれるあたり、根は面倒見が良い。
私たちは足音を殺しながらリビングを抜け、裏口のドアを静かに開けた。
ひんやりとした夜の風が、肌を撫でる。
​倉庫の裏手の裸電球の明かりが届く範囲を抜けると、あたりはほとんど闇に包まれている。
その先に―――小屋があった。
古びた木造の建物。
窓には板が打ち付けられ、入り口には古びた南京錠が掛かっている。
​「……ねぇ重治。あそこ、なんか光ってない?」
桃李が先ほどまでのテンションをすっかり潜め、少し引きつった声で囁く。
​「……言わんこっちゃない。引き返すなら今の―――」
重治が言いかけた、その時。
「何してやがる」
背後から聞こえた声に、私達は一斉に振り返った。
そこに立っていたのは、手持ち提灯を片手に下げた平八だった。
「こんな夜中に、三人揃って何の用だ」
低い声。
怒鳴っているわけではない。 けれど、いつもの軽口とは明らかに違う。
​平八は呆れたように片眉を上げると、南京錠が揺れる古びた小屋に視線を向け、それから私達へ交互に目をやった。
「……まさかと思うが」
「いや、その……」
「小屋を見に来たのか」
「はい」
私が素直に頷くと、平八の眉間に深いシワが刻まれた。
「帰れ。見ても良いもんじゃねぇよ」
「でも――」
「帰れ」
​今度は、一切の反論を許さない明確な拒絶だった。
「平八が『後悔すんなよ』なんて言うから、行方不明になった幹部の手がかりとか、ヤバい秘密基地があるのかなって……」
​桃李がしどろもどろに言い訳をすると、平八はハッと鼻で笑い、豪快にため息をついた。
​「バカかお前らは。害虫駆除用のバルサン焚いてるだけだ」
​「……害虫駆除?」
​重治が眼鏡の奥の目を丸くする。
「そうだ。夏は虫が出るからなぁ。扉開けたら一斉に飛び出してきて後悔するぞって言ったんだよ」
​「うわぁ……」
​桃李が想像したのか、露骨に嫌そうな顔をして一歩後退りした。
​「ほら見ろ。言わんこっちゃない」
​重治がすかさず呆れたように吐き捨て、私の方を振り返る。
​「紫乃もだ。変な期待をして無駄足を踏んだな」
​「う、うん……」
​手がかりがなかったのは残念だけれど、巨大な蛾の大群にお目にかからずに済んだのは、間違いなく幸運だったかもしれない。
「クククッ……残念だったなぁ」
平八は、心底愉快そうに口元を歪めてニヤリと笑った。
「……何が『クククッ』だ、腹立つな……!」
​桃李は脱力した勢いのまま、平八に向けて恨めしそうな視線を向ける。
​「せっかくのミステリー展開が、ただの『虫除け大作戦』で終わるなんて……俺のこのワクワク感を返せ!」
「誰も頼んでおらん。無駄な期待をして、一人で勝手に落ち込んでいるだけだろう」
​重治が冷ややかに言い捨て、呆れたようにため息をつく。
​「それにしても平八。その手持ち提灯はなんだ?コンビニに行ったのではなかったのか」
「あぁ?懐中電灯の電池が切れたから倉庫の奥から引っ張り出してきた。ここらへん、夜は真っ暗になるからな」
​平八は提灯をぶらぶらと揺らしながら、顎で倉庫の方をしゃくった。
​「ほら、さっさと戻った戻った。変な虫にかまれても知らんぞ」
「はいはい、戻りますよ……はぁ、本当に骨折り損だったなぁ」
桃李はがっくりと肩を落とし、ダラダラとした足取りで歩き出す。重治もそれに続き、和服の(たもと)に手を突っ込んだまま隣に並んだ。
私も二人の後を追おうとして――ふと、足を止める。
「……?」
ざわ……と胸を撫でる不快な胸騒ぎに押し切られるように、振り返る。
​小屋は相変わらず、深い暗闇の中にひっそりと佇んでいた。
​平八は提灯をぶら下げたまま、こちらを気にする風もなく、ゆったりとした足取りで倉庫の方へと向かって歩いている。
​その背中に続く桃李と重治の姿が、少しずつ夜の闇へと溶けていく。
​「紫乃?どうした、早く来ないと置いていくぞ」
​重治が立ち止まった私に気づき、振り返って声をかけてきた。
​「……ううん、なんでもない」
​私はもう一度だけ、じっと小屋を見つめた。
板が打ち付けられた窓の隙間から、ほんの僅かに漏れ出していた怪しい光。それは今では完全に消え去り、ただの静寂だけがそこにあった。
​「気のせい……かな」
胸の奥に小さな引っ掛かりを覚えつつも、私は二人の背中を追いかけて走り出した。
「まぁ、幹部の手がかりがこんな場所で簡単に手に入るわけもないか〜」
​桃李の呟きに、私は「そうだね」と短く答えた。
拍子抜けではあったけれど、不気味な夜の静けさの中で、少しだけ緊張がほぐれたのも事実だった。
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