ORANGE×BOY

昼休みになると、教室は一気にざわめきだした。

 椅子を引く音、お弁当を広げる音、友達を呼ぶ声。
窓の外には、日差しに照らされた中庭がきらきらと明るい。

「ねぇ咲良、売店行かなーい?」

 と茉那に誘われたけれど、彼女は途中で別のクラスの友達に捕まり、結局咲良は一人で売店へ向かうことになった。

 廊下を歩きながら、咲良は購買の人気パンを頭の中で思い浮かべる。
今日は焼きそばパンにしようか、それとも苺ジャム&ホイップか。
限定ピスタチオクリームパンも捨てがたい。

そんな小さなことを考えているうちに、少しだけ気分も落ち着いていた。
 けれど、売店の近くまで来たとき、異変に気づく。

「……何だろう、この騒ぎ」

 廊下の空気が、明らかにおかしい。

ざわざわ、というより、きゃあきゃあ、という高い声が響いている。しかも、ひとつやふたつじゃない。

いくつもの黄色い歓声が重なって、売店前の廊下一帯がまるでライブ会場みたいになっていた。

「綾瀬先輩だ!」
「うそ、ほんとに来てる!」
「やばい、久しぶりに学校来たんだけど!」
「え、近くで見たらほんと無理、かっこよすぎ……!」

 その名前が耳に入った瞬間、咲良の足がぴたりと止まる。

「……え」

 まさか、と思った。
 けれど次の瞬間、人だかりの向こうに見えた金色の髪に、咲良は息を呑む。

 昨日の――いた。
 本当にいた。

 しかもひとりじゃない。
昨日コンビニ前にいた男子たちも一緒だった。
数人でぞろぞろと歩いていて、その中心にいるのが、綾瀬蓮と言われている彼だ。

 昼の光の差し込む廊下を、彼らはまるで舞台の真ん中みたいに歩いていた。

心臓が、耳の下あたりでバクバクと狂ったように警報を鳴らし始める。

茉那が言っていた紫陽花学園で有名な不良。
コンビニで私に夕陽みたいに笑った金髪のヤンキー。
そのすべてのピースが、最悪なほど完璧な形でカチリと噛み合ってしまった。

周囲の女子生徒たちの熱狂的な視線を一身に浴びながら、彼はまるでスポットライトの当たる舞台を歩くかのように、悠然と廊下を進んでくる。

その金色がだんだんと、咲良のいる方向へと近づいてくるのが分かった。

ポケットに片手を入れ、少し気だるげに、それでも周囲の空気を全部さらっていくような圧倒的な存在感で、彼は歩いていた。

制服は昨日と変わらず少し着崩されているのに、それすら計算された演出のように絵になっている。

初夏に近い光をはらんだ美しい金髪も、眠たげな目元も、雑誌の表紙から飛び出してきたみたいに整った横顔も、あまりにも人目を引きすぎていた。

周りの女子たちが、まともな思考を奪われたように騒ぎ立てる理由も、正直わかってしまう。

悔しいけれど、本当に狂おしいほど顔がいい。

「嘘でしょ……」

咲良は目を見開いたまま、小さく呟いた。

学校には滅多に来ないという都市伝説のような不良ヤンキーが、こんな風に普通に学校へ来て、しかもこれでもかと目立ちながら廊下を堂々と歩いているなんて思いもしなかった。

咲良の心臓が、恐怖と混乱でトクトクと激しく鐘を鳴らす。

(ダメだ、ここにいたら絶対に巻き込まれる……!)

反射的に、背を向けるようにして咲良はそっと後ずさった。
よし、見つかる前にここから逃げよう。
幸い、彼は周りの熱狂的な人だかりに囲まれている。
ひとりの一年生の姿なんて、視界に入っているはずがない。

そう自分に言い聞かせ、購買の売店に背を向け、なるべく気配を消して静かにそろりと、その場を離れようとした――そのとき。

「あ!」

人混みのざわめきを軽々と突き抜ける、よく通る明るい声が、廊下に響き渡った。

「咲良ちゃんみーっけ!」

「っ!!」

びくぅぅっ、と心臓が止まるかと思うくらいに肩が跳ね上がり、驚きのあまり手元が狂って、握りしめていた財布を床に落としてしまった。

プラスチックのがま口が床に当たり、パチンと高い音を立てる。
文字通り、心臓が口から飛び上がるかと思った。

咲良は脂汗がにじむのを感じながら、ロボットのようにぎこちなく後ろを振り返った。

信じたくない。
けれど、それは現実だった。

廊下を埋め尽くす人混みの向こう側。

あの「綾瀬 蓮」先輩が、片手をズボンのポケットに突っ込んだまま、もう片方の長い腕を高く上げて、咲良に向かってひらひらと手を振っていた。

周りの女子生徒たちの視線が、一斉に彼の視線の先――つまり、咲良の方へと突き刺さるのが分かって、肌がチクチクと痛む。

「あ、やっぱ同じ学校だったんだー! 昨日ぶりー!」

そう言ってにかっと笑った彼の笑顔が、信じられないくらい自然で、そして網膜が焼けそうなほど眩しかった。

まるで本物の王子様みたい――そんな、大嫌いなヤンキーに対して一番使いたくない甘い言葉が脳裏をよぎってしまって、咲良はますます顔を般若のようにこわばらせる。

少しだけ無邪気で、咲良の動揺を楽しんでいるみたいに少し得意げで。

降り注ぐ日の強い光の中で、まるで宝物を見つけたかのように、子供みたいに嬉しそうに笑うその顔が、悔しいほど、憎らしいほどに様になっていた。



しかも、恐ろしい事態はそこからだった。

「さら、ちゃん……?」
「え、誰??」
「綾瀬先輩、今女の子の名前呼んだよね!?」
「どこどこ!? どこの女子?!」

その瞬間、静まり返っていた周囲の女子たちが、一斉に蜂の巣をつついたようにざわめきだした。

一瞬にして、廊下にいた全員の視線が一点に集中する。
好奇心と、剥き出しの嫉妬と、そして強烈な驚きが混ざり合ったような熱い視線が、刃物のようにいくつも咲良の身体に突き刺さる。

一瞬で血の気が引き、咲良は顔が青ざめていくのが分かった。

(や、やばっ……!!)

(っていうか、なんで私の名前!知っているのよ!?)

昨日だって今日だって、咲良は一度も彼に名前なんて名乗っていない。

なのに、綾瀬先輩の口からさも当たり前みたいに「咲良ちゃん」なんて名前が飛び出してきたせいで、全校生徒の嫉妬の対象として、いらない注目を一気に浴びてしまっている。

昨日の男子達が学校の制服から何かを調べたのだろうか。
だとしても、いくらなんでも早すぎるし、この公衆の面前で叫ぶなんてデリカシーがなさすぎる。

(もー、最悪っ……!!)

咲良の頭の中で、完全に何かがぷつんと弾けた。

これ以上ここにいたら、女子たちの視線だけで消し炭にされてしまう。

咲良はさっと慌てて床の財布をひったくるように拾い上げると、購買のパンなんてどうでもよくなり、踵を返した。

そして、そのまま人混みをすり抜けて、脱兎のごとく逃げ出した。

「あ、ちょ、逃げた?」

後ろの方から、蓮先輩の少し間の抜けた、焦ったような声が聞こえたけれど、止まるわけがない。

むしろその声のせいでさらに周囲の視線が鋭くなった気がして、咲良の足は加速する。

背後から飛んでくる「今の1年?」「誰あの子?」というひそひそ声を置き去りにしながら、女子たちの間を縫うようにして、咲良は一目散に自分の教室へと走り戻ったのだった。


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