ORANGE×BOY
2.逃亡
高校に入学してからの世界は、滑稽なほどに様変わりした。
咲良は入学して最初の一週間で、早くも二人の男子から告白された。
二週間目には、さらに三人。
かつて教室の背景だった地味な少女が、外見の仮面を一枚纏っただけで、誰もが群がる『高嶺の花』へと祭り上げられる。
見た目が変われば、こうも簡単に世界は手のひらを返すのかと、笑えてしまうくらいだった。
けれど、咲良の返す言葉はいつだって冷徹で、同じだ。
『ごめんなさい、無理です』
『軽そうな人って、生理的に苦手なんで』
『誰にでもそういう調子いいこと、言ってそうですよね』
完璧な美貌に、いっそ清々しいほどの冷たい笑みを浮かべ、容赦なく切り捨てる。
特に相手が、着崩した制服に明るい髪色のチャラい男子や、素行の悪そうなヤンキー系なら尚更だった。
彼らのニヤついた顔を見るたびに、あの暗い体育館裏で響いていた嘲悪な笑い声が耳の奥で蘇る。
だから、嫌いだ。
心の底から、反吐が出るほどに。
そして、今日もまた――。
「小鳥遊さん、ちょっと今いいかな?」
「え、無理です」
放課後の静まり返った廊下。
他クラスの男子に呼び止められた咲良は、間髪入れずにシャッターを下ろした。
相手は、シャツのボタンを外し、ワックスで髪を遊ばせた、見るからに“軽い”部類の男子だった。
「え、ちょっと待って、まだ何も言ってないんだけど」
「たぶん、告白ですよね」
「……まあ、そうなんだけどさ」
「じゃあ、当たってますね。ごめんなさい、無理です」
「即答!?」
「はい、失礼します」
「俺、まだ何も言わせてもらえてないんだけど?!」
男子ががっくりと大げさに肩を落とすのを横目に、咲良は一瞥もくれずにその場を後にした。
昇降口を出ると、少し肌寒い夕方の風が頬をなでる。
西の空は燃えるような薄オレンジ色に染まり始めており、古い校舎の窓ガラスがきらきらと光を跳ね返していた。
けれど、その情緒に浸る心の余裕は、今の咲良にはなかった。
「……はぁ」
小さくため息をつきながら、駅とは反対方向の道を歩き出す。
今日は週に一度の塾の日だった。
開始までは少し時間があるが、まっすぐ向かえば十分に間に合う。
そう頭の中で計算していた、その時だった。
「ねえ、小鳥遊さん」
背後からかけられた粘つくような声に、咲良は露骨に顔をしかめた。
振り返ると、そこに立っていたのは数日前にに振ったはずの男子――いわゆる“ヤンキーAくん”だった。
(名前なんだったっけ…)
制服のシャツは第二ボタンまでだらしなく開いており、髪色も校則違反ギリギリの明るさ。
咲良が最も嫌悪する、苦手なタイプど真ん中だ。
「……何か用ですか?」
「いや、ちょっと話したいなーって思ってさ」
「話すことなんて、何もありませんけど」
「そんな冷たくすんなって。ちょっと付き合ってよ」
「冷たくしてません。れっきとした普通の対応ですけど」
「いやいや、十分冷たいって」
拒絶を無視して、当然のように隣に並んで歩いてくる彼に、咲良の眉間のしわは深く刻まれていく。
こういうキャラは本当に反吐が出るほどにしつこい。
「前にも言いましたよね。無理ですって」
「でも、俺はマジなんだって」
「だから何ですか?」
「え?」
「本気なら、相手が嫌がっていても、何をやっても許されると思ってるんですか?」
ぴたり、と男子の足が止まった。
咲良はそこでようやく足を止め、ゆっくりと振り返る。
夕陽の逆光を背に立ち尽くす男子を、一片の温度もない瞳で見上げた。
「何か勘違いしてない?マジで、そろそろうざいんだけど」
自分でも驚くほど、ドスの利いた冷たい声だった。
男子はショックを受けたように目を見開き、やがて気まずそうに唇を引き結ぶと、「……悪かったよ」と小さく吐き捨てて、逃げるように去っていった。
遠ざかっていく背中を見送りながら、咲良は胸の奥が少しだけ、ざらざらと擦れるのを感じていた。
さすがに、少し言いすぎただろうか。
いや、これでいい。曖昧な優しさを見せれば、男なんてすぐにつけ込んでくる。
だから、これでいいはずだ。
自分を納得させるように強く拳を握りしめる。
それなのに、武装する前の、あの泣き虫で地味だった『昔の自分』が、胸のどこかでひそかに泣いているような気がしてならなかった。