まだ恋とは呼べない距離で

流星群と一瞬

双子座流星群の夜。

«流星群みたくない?»

スマホの画面に表示された短い一文を見た瞬間、理緒の胸が小さく跳ねた。

窓から外を見ると、暗い夜道の先に、先輩の姿があった。
自転車を押しながら、こちらに向かって手を振っている。

――何日ぶりだろう。

理緒は一度だけ息を吸って、すぐにメッセージを打つ。

«少しだけなら大丈夫です»

送信してから、そっと部屋を出る。

階段を降りる途中で、母の声が聞こえた気がした。
でも振り返らなかった。

玄関を開けると、夜の空気が冷たく頬に触れた。

「よっ」

先輩は白い息といつもどおりの声で言った。

でも、その声は疲れているようにも聞こえた。

「……塾、終わったんですか?」

「うん……。今日は自習をちょっと早く切り上げた」

軽く言って笑う。

「行こうか」

先輩が自転車を押しながら歩き出す。

理緒は小さく頷いて、その隣に並んだ。

---

公園は、誰もいなかった。

二人きりでベンチに座ると、先輩は空を見上げる。

「今日、双子座流星群なんだってさ」

「……はい。ニュースで見ました」

「ちゃんと見たことなかったからさ」

少しだけ間。

「見てみたくて。神崎と」

理緒は、その横顔を見てしまう。

少し痩せたように見えた。

目の下も、わずかに影があるように見える。

「……受験まであとわずかですね。忙しいですよね」

「まぁな」

先輩は笑ってごまかす。

でも、その笑いはいつもより柔らかかった。

沈黙が落ちる。

夜空は澄んでいて、まだ流れ星は見えない。

「神崎さ」

先輩がぽつりと言う。

「最近どう?」

「私は……相変わらず、未来と仲良くしてますよ」

誤魔化すように言って、少しだけ迷う。

「でも……先輩のほうこそ、どうですか」

先輩は一瞬だけ黙る。

「俺は平気」

そう言ってから、空を見上げた。

その“平気”は、少しだけ不器用な優しさだった。

しばらくして。

空に、光が走った。

「「あ」」

二人揃って小さく声を漏らす。
お互いの顔を見合わせて、二人で笑う。

「見れましたね」

「うん……見れた」

一つ、また一つ。
夜空を横切る光。

二人から言葉が消えていく。

ただ、見ていた。

気づけば、理緒の肩に温もりを感じる。先輩の肩が優しく触れていた。

お互い離れようとしないまま。

流れ星が消えるたびに、胸の奥が少しずつ満たされていく。

「綺麗だな」

先輩の声が、静かに落ちる。

「……はい」

理緒は小さく頷いた。

その声は、さっきよりずっと柔らかかった。

嬉しさが、静かに胸の奥を満たしていく。

理緒は無意識にそっと先輩の袖を掴んでいた。

先輩が少しだけ驚いたように振り向く。

「……神崎?」

理緒は言葉が出なかった。

先輩は、理緒の表情を確かめるように見つめる。

理緒は、上目遣いに先輩のほうへ視線を向け、小さく微笑む

「……今日、会えて嬉しいです」

先輩は少しだけ目を細める。

そして、ゆっくりと息を吐いた。

「……帰る時間、少し遅くなるな」

小さく笑う。

でもその笑いは、今この瞬間を惜しむような優しさだった。

理緒の胸がきゅっと鳴る。

「……先輩」

呼んだだけで、それ以上は続かない。
ただ、真っ直ぐに先輩を見つめる。

先輩は一瞬だけ迷ってから、そっと理緒の頬にを包み込むように大きな手を添えた。

軽い触れ方。

でも、逃げない。

理緒は目を閉じる。

先輩の硬く厚い手のひらが、理緒の顎を優しく持ち上げる。

次の瞬間、ほんの一瞬だけ唇に触れる。

確かめるようで、でも迷いのない、やわらかい時間。

離れたあと、夜の空気がまた戻ってくる。

理緒がゆっくり瞼を開くと、優しく覗き込むような先輩の目と目が合う。

どちらもすぐには言葉が出なかった。

でもそれは、困惑ではなく、余韻だった。

理緒の胸の奥は、じんわりと温かく満たされていく。

先輩は少しだけ照れたように視線を逸らす。

「……やば」

小さく笑う。

「帰らないと」

その声も、どこか嬉しさを隠しきれていない。

理緒も小さく頷く。

---

帰り道。

並んで歩く距離は、さっきより近く感じる。

公園の出口で、先輩は立ち止まる。

「……理緒」

呼び方が、少しだけやわらかい。

「ん……はい」

先輩はしばらく黙っていた。

言うか迷っているのが分かった。

「……こういうの、さ」

少しだけ笑う。

「また、してもいい?」

理緒は一瞬だけ止まる。

でもすぐに、その意味が温かく胸に落ちる。

理緒は、頬が熱くなっていることを悟られないように俯く。

「……はい」

それ以上の言葉は要らなかった。

先輩は目を細める。

「じゃ、帰ろ」

それだけ言って、理緒の家の前まで並んで歩く。

お互い、少しだけ照れたまま。

家の前まで来ると、先輩は温かい手をポンと理緒の頭におく。

そして、先輩は自転車に跨がると、ペダルを踏む前に、もう一度だけ理緒を見る。

優しく笑いかける。

そして、軽く手を振って走り出した。

理緒はその背中を見送る。

夜空は静かに輝いている。

流星群は、もうただの背景じゃなかった。

胸の奥に残っているのは、痛みではなく、確かな温かさだった。

理緒は振り返って家の門をくぐる。
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