捨てられ才女はどうやら繁栄の切り札だったようです~新生活を謳歌していたら、記憶チートで追放先が大発展していました~
6.知識の報酬
「本当に大丈夫かしら……?」
色々なことが頭の中を通り抜けていく。
レオールは軍人として極めて優秀だし、エベラルド辺境伯の兵も精強なはず。
それでもイエティはラッセリア公国において強力な魔獣だ。
公国には数百種の魔獣がいるが、その中でもイエティの厄介さは十指に入る。
猿に似ているが、それは外見だけ。青白い体毛に爪と角を持ち、体高は五メートル。さらには触れたものを凍らせる。
しかも群れで襲ってくることが多く……数によっては正規軍でないと対処できない。
もし本当に魔獣がイエティだとしたら、それはラッセリア公国から来たものだろう。
イエティは重点的に対策と管理がされる魔獣のひとつ。それゆえ人里にまで襲来してくることはほとんどないのに。
「それが帝国にまで来たということは……っ」
つまりラッセリア公国が魔獣討伐の頻度を低下させている疑いがかなり強くなる。そうでなければ説明がつかないからだ。
私は唇を噛んで悔やんだ。
ディルダが悪意を持てば、確かに公国の南部や西部で魔獣討伐を減らすことも可能だろう。
……でもそこまでやるなんて。
考えもしなかったが、言い訳にはならない。
実際に公国の政治は荒れて、私もヴォルデへ送られた。
今、王都から情報は来るけれども制約されている。しかしそれではいけないんだ。もっと私が動いていかないと……。
やらなくちゃいけないことがある。
うとうとしながらも神経が高ぶって、結局寝ることができなかった。
それでも身体をふかふかのベッドで横にできただけマシだろうか。窓のカーテン越しに朝の光が入り込む。
「レオール様がご帰還されましたー!」
「……!!」
屋敷中に響き渡る声。人がバタバタと行き交う。
私は簡単に支度を調え、寝室から出てレオールを出迎えた。
屋敷の門に戻ってきた彼はいくぶんか疲れているようで――でも、少しも怪我はしていない。
レオールは張り詰めたままの顔で、言った。
「今、戻った」
「被害のほうは……?」
「物的被害が多少。だが幸いにも人的被害はほぼなかった。討伐隊も無事だ」
「……被害が少ないのは何よりね。本当は何も被害がないほうがいいのだけれど」
「これはエベラルドの領内のことだ。コーデリア、君が責任を感じることではない」
「でも……っ」
言いかけて、レオールが制する。
「それよりも見てもらいたい物がある。起き抜けのようだが構わないか?」
「もちろんよ」
レオールに案内されたのは屋敷内にあるこぢんまりとした工房だ。
これは魔獣から得た素材などを簡易に加工する作業場だろう。
「討伐した魔獣だが、やはり帝国の記録にない。その一部を持ち帰ってきた」
魔獣は魔力の結晶体でもあり、討伐すると身体の大部分が塵になる。ただ、魔力が集中している部位は残りやすく、それで種類の判別を行う。
イエティの場合は青色の爪や角のはずだ。
レオールの部下が木箱を持ち込み、開けた。
それだけで工房内の室温が数度下がった気がする。冷気がどっと流れてきたからだ。
箱の中を覗き込むと、そこにあったのは青みがかった爪や角であった。
イエティのものだ。暗い気持ちになりかけるが、なんとか踏み止まる。
「これはイエティの角と爪ね。間違いないわ」
「ではこれらの魔獣の大元はラッセリア公国か」
「ごめんなさい。あなた方に公国の後始末をさせてしまって……」
「君は最善を尽くした」
レオールはこのようなところでお世辞は言わない。
本当にそう思っているのだろう。だからこそ心が痛い。
「王都に戻ったら必ず埋め合わせをするわ。約束する」
「……ふむ」
そこでレオールはじっと私を見つめた。
優しさと厳格さが同居した瞳にごくりと息を呑む。
「それよりも君自身の身のほうが心配だな」
「えっ?」
「君が来てから少ししてイエティが襲来した。ヴォルデ山脈の氷と雪はイエティがもたらしたものもあるのだろう。昔から、ああも雪は降っていたのか」
「そ、それは……」
私の記憶力に抜けはない。一度見たものは忘れない。
でも見たことのないものの比較は不可能だ。
ヴォルデに来たことはなく、昔と違うのかどうか判断できなかった。
私が言葉に詰まっていると、ルーインが引き受ける。
「ヴォルデにも前々から手を入れていたと……」
「その可能性はある。ヴォルデの魔獣が制御不能になれば、領主であるコーデリアの責任問題にもなりかねん」
「……そうね」
その前に帝国へ魔獣をあふれ出してしまったわけだが。
何度も起きればレオールだけでは抑えきれなくなり、正式な外交ルートを通じて私の責任が問われるだろう。
うごごご……っ! 表面上の顔は取り繕いながらも、心の中では頭を抱えるしかない。
「しかし、昨夜の出来事でひとつ前向きなこともある」
「なんでしょうか……?」
レオールがイエティの爪や角を見やった。
「君の知識でイエティを難なく討伐できた。君にはこれらの半分を受け取る資格があるだろう」
「――っ!? そ、それは受け取れないわ!」
「なぜだ? 帝国で判別できなかった魔獣討伐への貢献だ。我々に協力すべき道理は君になかったのに、全くの善意で協力してくれた」
「確かにそうかもしれないけれど……」
「公国側妃の君の知識を借りるなら、ラッセリア公国の中央政府に問い合わせてからが筋。その工程を短縮できたのは君のおかげだ」
ううむ。何とも面倒な理屈を。こーいうのをこね回すのがレオールは得意だ。
しかしイエティの素材……か。今の私には喉から手が出るほど欲しい。
魔物の素材の有用性はしっかりと理解している。イエティの場合は住む山との親和性により、ある種の鉱物と反応する。
「帝国は魔獣の脅威を重く見ている。ヴォルデ領主である君との協力関係はこれからも重要になるだろう。資金面や資材面において、連携は惜しまない」
それは……レオールからの感謝と恩返しだった。
つまりは私の目標。当座の資金を調達するという目標が達せられたということでもある。
「あなたはそれで構わないの? これらイエティは公国から来たものかもしれないのに」
「ふむ? そうなのか」
レオールはわざとらしく小首を傾げてとぼけた。さっきまでその話をしていたのに!
「しかし公国から魔獣が来たのかもしれない、というのは国際問題にもなりかねん。慎重に真偽は確かめねばならんだろうな」
「……わかったわ。すぐではないけど動くから」
「ありがとう。それは帝国の利益にも繋がる気高い精神だ」
ということでイエティの素材の半分を受け取ることにして、様々な協定をレオールと結んだ。
内容的には今後の協力――魔獣に関する情報交換や連携、交易の推進等だ。
その中には必要な人員の派遣や帝国製の蒸気機関車のレンタルも含まれる。
正直に言うとこちらにかなり有利な協定だった。
「本当にいいの?」
「問題ない」
レオールの表情は変わらないが、博打をやっているふうではない……。
「このエベラルド辺境伯領でラッセリア公国とほぼ同等の人口がある。加えて帝国内でも君を評価する声は多い」
「恐れ多いわね」
「公国の状況が状況だ。取りうる手段を取る。君もそうだろう?」
問われて頷き返す。その通りだ。このままでは終われない。
諸々の取り決めを交わし、私たちはレオールの屋敷を後にした。
すっかり夕方近くだが、まだヴォルデには戻れる時間だ。
「もう少しゆっくりしていってもいいのにな」
「ヴォルデでやらないといけないことが山積みですから」
「……そうだな。君は使命を自覚している」
レオールのそういう言葉遣いは好きだった。
「あとは蔵書を置いて行かざるを得なかった、とも聞いた。本を愛するコーデリア妃には耐えがたいことだろう」
「そうね。読む本がなくなってしまいそうよ」
屋敷に残されたのはわずかな本だった。しかも屋敷の前の主は本に大した興味がなかったようだ。
公国で非常に一般的な本、それこそ貴族なら誰でも読むレベルの本しかなかった。
なので私が読んだことのある本しかなく、仕方なしにそれらの本を読み直して凌いでいるところである。
「君の読書欲を満足させられるかはわからんが、蔵書をいくらか貸そう」
「ええっ!? いいの?」
「あとで第三書庫に案内する。古い本から新しい本もそこそこあるはずだ」
「た、助かるわ……!」
新しい本! それが読めなくて鬱屈としていたのだ。
ということで私は書庫に案内され、十冊ほどを借りていくことにした。
本当にレオールは私のことをよく知っている。
丁重に礼を言って屋敷を去り、鉄道列車に乗ってヴォルデへと戻る。
とりあえず大変なことになっているのはわかったが……。
さて、何から手をつけようか。
◆◆◆
コーデリアが側妃となってヴォルデに流されすぐ、ラッセリアの王宮にて。
小うるさいコーデリアがいなくなり、王宮はさらに退廃していった。
昼間からディルダは竪琴を手にして、酒をかっ喰らっている。
「陛下は本当に音楽がお好きですのね」
ディルダの隣のメルダがしだれかかる。
ラッセリア公国の王族は音楽に秀でた者が多い。それは初代ラッセリア国王がまさに音楽の名手であったからだ。伝説によると彼の奏でる音色は魔獣をも鎮めたという。
「ああ、音楽はいい。楽器も素晴らしい」
ただ、ディルダの音楽好きは度を越していた。なにせ楽器までいくつも自作して、王宮の楽団を急拡大させたのだから。その規模は公国財政にダメージを与えるほどであった。
「もちろん酒も女も好きだがな」
「まぁ、嬉しいです!」
メルダが手を叩き、喜ぶ。子爵家に生まれたメルダの虚栄心が満たされていた。
節操、倹約なんて馬鹿らしい。
貴族に生まれたからには心の奥底から楽しみたい、それがメルダであった。
「あのコーデリア様を追い出して、私が次の正妃ですわよね?」
「まぁ、それも面白いのだがな。しかし周りがうるさい」
ディルダが窓の外を見やる。王宮にはまだコーデリア派の貴族や官僚が数多くいる。
いきなり全てを辞めさせるのはさすがに無謀だ。
「少しずつ、俺色に塗り替えていかないとな」
先代の父から残る目障りな女、それがコーデリアだ。公爵家の出身でもある彼女だけは貴族階級でもあり、官僚からも非常に人気がある。
官僚たちは好き勝手に金を無駄遣いするディルダを嫌ってさえいる。だがコーデリアを排除すれば官僚どもも動かしやすくなるだろう、とディルダは考えていた。
メルダは猫撫で声を出してディルダにせがむ。
「早く妃になりたいです! 何か手はないのですか?」
「コーデリアに落ち度があれば、もっと話は簡単なのだがなぁ」
意地悪い笑みをディルダが浮かべる。竪琴を撫でる手が邪悪な音を立てる。
「私にできることは……? なんでもやりますわよ」
「ほう、そんなに妃になりたいのか」
「もちろんです! だって、あの……あの女! あたしに恥をかかせて!」
メルダの目は見開かれ、血走っていた。
「その屈辱を晴らすためなら……あたし!」
「お前の領地は……確かヴォルデのちょっと北だったか?」
「ええ、東部と北部の間にありますわ」
「じゃあ、手の者はいるんだな」
「もちろんですわ。家族は勉学に専念しろとかうるさいですけれど。あたしに期待してくれる人もたくさんいますから」
「なら、役目はあるぞ」
ディルダが広間の配下に目を向ける。ここにいるのはディルダが選んだ部下だけで、コーデリアやオルドスの息はかかっていない。
「上手く行けば、貴様を早く妃にできるかもな」
色々なことが頭の中を通り抜けていく。
レオールは軍人として極めて優秀だし、エベラルド辺境伯の兵も精強なはず。
それでもイエティはラッセリア公国において強力な魔獣だ。
公国には数百種の魔獣がいるが、その中でもイエティの厄介さは十指に入る。
猿に似ているが、それは外見だけ。青白い体毛に爪と角を持ち、体高は五メートル。さらには触れたものを凍らせる。
しかも群れで襲ってくることが多く……数によっては正規軍でないと対処できない。
もし本当に魔獣がイエティだとしたら、それはラッセリア公国から来たものだろう。
イエティは重点的に対策と管理がされる魔獣のひとつ。それゆえ人里にまで襲来してくることはほとんどないのに。
「それが帝国にまで来たということは……っ」
つまりラッセリア公国が魔獣討伐の頻度を低下させている疑いがかなり強くなる。そうでなければ説明がつかないからだ。
私は唇を噛んで悔やんだ。
ディルダが悪意を持てば、確かに公国の南部や西部で魔獣討伐を減らすことも可能だろう。
……でもそこまでやるなんて。
考えもしなかったが、言い訳にはならない。
実際に公国の政治は荒れて、私もヴォルデへ送られた。
今、王都から情報は来るけれども制約されている。しかしそれではいけないんだ。もっと私が動いていかないと……。
やらなくちゃいけないことがある。
うとうとしながらも神経が高ぶって、結局寝ることができなかった。
それでも身体をふかふかのベッドで横にできただけマシだろうか。窓のカーテン越しに朝の光が入り込む。
「レオール様がご帰還されましたー!」
「……!!」
屋敷中に響き渡る声。人がバタバタと行き交う。
私は簡単に支度を調え、寝室から出てレオールを出迎えた。
屋敷の門に戻ってきた彼はいくぶんか疲れているようで――でも、少しも怪我はしていない。
レオールは張り詰めたままの顔で、言った。
「今、戻った」
「被害のほうは……?」
「物的被害が多少。だが幸いにも人的被害はほぼなかった。討伐隊も無事だ」
「……被害が少ないのは何よりね。本当は何も被害がないほうがいいのだけれど」
「これはエベラルドの領内のことだ。コーデリア、君が責任を感じることではない」
「でも……っ」
言いかけて、レオールが制する。
「それよりも見てもらいたい物がある。起き抜けのようだが構わないか?」
「もちろんよ」
レオールに案内されたのは屋敷内にあるこぢんまりとした工房だ。
これは魔獣から得た素材などを簡易に加工する作業場だろう。
「討伐した魔獣だが、やはり帝国の記録にない。その一部を持ち帰ってきた」
魔獣は魔力の結晶体でもあり、討伐すると身体の大部分が塵になる。ただ、魔力が集中している部位は残りやすく、それで種類の判別を行う。
イエティの場合は青色の爪や角のはずだ。
レオールの部下が木箱を持ち込み、開けた。
それだけで工房内の室温が数度下がった気がする。冷気がどっと流れてきたからだ。
箱の中を覗き込むと、そこにあったのは青みがかった爪や角であった。
イエティのものだ。暗い気持ちになりかけるが、なんとか踏み止まる。
「これはイエティの角と爪ね。間違いないわ」
「ではこれらの魔獣の大元はラッセリア公国か」
「ごめんなさい。あなた方に公国の後始末をさせてしまって……」
「君は最善を尽くした」
レオールはこのようなところでお世辞は言わない。
本当にそう思っているのだろう。だからこそ心が痛い。
「王都に戻ったら必ず埋め合わせをするわ。約束する」
「……ふむ」
そこでレオールはじっと私を見つめた。
優しさと厳格さが同居した瞳にごくりと息を呑む。
「それよりも君自身の身のほうが心配だな」
「えっ?」
「君が来てから少ししてイエティが襲来した。ヴォルデ山脈の氷と雪はイエティがもたらしたものもあるのだろう。昔から、ああも雪は降っていたのか」
「そ、それは……」
私の記憶力に抜けはない。一度見たものは忘れない。
でも見たことのないものの比較は不可能だ。
ヴォルデに来たことはなく、昔と違うのかどうか判断できなかった。
私が言葉に詰まっていると、ルーインが引き受ける。
「ヴォルデにも前々から手を入れていたと……」
「その可能性はある。ヴォルデの魔獣が制御不能になれば、領主であるコーデリアの責任問題にもなりかねん」
「……そうね」
その前に帝国へ魔獣をあふれ出してしまったわけだが。
何度も起きればレオールだけでは抑えきれなくなり、正式な外交ルートを通じて私の責任が問われるだろう。
うごごご……っ! 表面上の顔は取り繕いながらも、心の中では頭を抱えるしかない。
「しかし、昨夜の出来事でひとつ前向きなこともある」
「なんでしょうか……?」
レオールがイエティの爪や角を見やった。
「君の知識でイエティを難なく討伐できた。君にはこれらの半分を受け取る資格があるだろう」
「――っ!? そ、それは受け取れないわ!」
「なぜだ? 帝国で判別できなかった魔獣討伐への貢献だ。我々に協力すべき道理は君になかったのに、全くの善意で協力してくれた」
「確かにそうかもしれないけれど……」
「公国側妃の君の知識を借りるなら、ラッセリア公国の中央政府に問い合わせてからが筋。その工程を短縮できたのは君のおかげだ」
ううむ。何とも面倒な理屈を。こーいうのをこね回すのがレオールは得意だ。
しかしイエティの素材……か。今の私には喉から手が出るほど欲しい。
魔物の素材の有用性はしっかりと理解している。イエティの場合は住む山との親和性により、ある種の鉱物と反応する。
「帝国は魔獣の脅威を重く見ている。ヴォルデ領主である君との協力関係はこれからも重要になるだろう。資金面や資材面において、連携は惜しまない」
それは……レオールからの感謝と恩返しだった。
つまりは私の目標。当座の資金を調達するという目標が達せられたということでもある。
「あなたはそれで構わないの? これらイエティは公国から来たものかもしれないのに」
「ふむ? そうなのか」
レオールはわざとらしく小首を傾げてとぼけた。さっきまでその話をしていたのに!
「しかし公国から魔獣が来たのかもしれない、というのは国際問題にもなりかねん。慎重に真偽は確かめねばならんだろうな」
「……わかったわ。すぐではないけど動くから」
「ありがとう。それは帝国の利益にも繋がる気高い精神だ」
ということでイエティの素材の半分を受け取ることにして、様々な協定をレオールと結んだ。
内容的には今後の協力――魔獣に関する情報交換や連携、交易の推進等だ。
その中には必要な人員の派遣や帝国製の蒸気機関車のレンタルも含まれる。
正直に言うとこちらにかなり有利な協定だった。
「本当にいいの?」
「問題ない」
レオールの表情は変わらないが、博打をやっているふうではない……。
「このエベラルド辺境伯領でラッセリア公国とほぼ同等の人口がある。加えて帝国内でも君を評価する声は多い」
「恐れ多いわね」
「公国の状況が状況だ。取りうる手段を取る。君もそうだろう?」
問われて頷き返す。その通りだ。このままでは終われない。
諸々の取り決めを交わし、私たちはレオールの屋敷を後にした。
すっかり夕方近くだが、まだヴォルデには戻れる時間だ。
「もう少しゆっくりしていってもいいのにな」
「ヴォルデでやらないといけないことが山積みですから」
「……そうだな。君は使命を自覚している」
レオールのそういう言葉遣いは好きだった。
「あとは蔵書を置いて行かざるを得なかった、とも聞いた。本を愛するコーデリア妃には耐えがたいことだろう」
「そうね。読む本がなくなってしまいそうよ」
屋敷に残されたのはわずかな本だった。しかも屋敷の前の主は本に大した興味がなかったようだ。
公国で非常に一般的な本、それこそ貴族なら誰でも読むレベルの本しかなかった。
なので私が読んだことのある本しかなく、仕方なしにそれらの本を読み直して凌いでいるところである。
「君の読書欲を満足させられるかはわからんが、蔵書をいくらか貸そう」
「ええっ!? いいの?」
「あとで第三書庫に案内する。古い本から新しい本もそこそこあるはずだ」
「た、助かるわ……!」
新しい本! それが読めなくて鬱屈としていたのだ。
ということで私は書庫に案内され、十冊ほどを借りていくことにした。
本当にレオールは私のことをよく知っている。
丁重に礼を言って屋敷を去り、鉄道列車に乗ってヴォルデへと戻る。
とりあえず大変なことになっているのはわかったが……。
さて、何から手をつけようか。
◆◆◆
コーデリアが側妃となってヴォルデに流されすぐ、ラッセリアの王宮にて。
小うるさいコーデリアがいなくなり、王宮はさらに退廃していった。
昼間からディルダは竪琴を手にして、酒をかっ喰らっている。
「陛下は本当に音楽がお好きですのね」
ディルダの隣のメルダがしだれかかる。
ラッセリア公国の王族は音楽に秀でた者が多い。それは初代ラッセリア国王がまさに音楽の名手であったからだ。伝説によると彼の奏でる音色は魔獣をも鎮めたという。
「ああ、音楽はいい。楽器も素晴らしい」
ただ、ディルダの音楽好きは度を越していた。なにせ楽器までいくつも自作して、王宮の楽団を急拡大させたのだから。その規模は公国財政にダメージを与えるほどであった。
「もちろん酒も女も好きだがな」
「まぁ、嬉しいです!」
メルダが手を叩き、喜ぶ。子爵家に生まれたメルダの虚栄心が満たされていた。
節操、倹約なんて馬鹿らしい。
貴族に生まれたからには心の奥底から楽しみたい、それがメルダであった。
「あのコーデリア様を追い出して、私が次の正妃ですわよね?」
「まぁ、それも面白いのだがな。しかし周りがうるさい」
ディルダが窓の外を見やる。王宮にはまだコーデリア派の貴族や官僚が数多くいる。
いきなり全てを辞めさせるのはさすがに無謀だ。
「少しずつ、俺色に塗り替えていかないとな」
先代の父から残る目障りな女、それがコーデリアだ。公爵家の出身でもある彼女だけは貴族階級でもあり、官僚からも非常に人気がある。
官僚たちは好き勝手に金を無駄遣いするディルダを嫌ってさえいる。だがコーデリアを排除すれば官僚どもも動かしやすくなるだろう、とディルダは考えていた。
メルダは猫撫で声を出してディルダにせがむ。
「早く妃になりたいです! 何か手はないのですか?」
「コーデリアに落ち度があれば、もっと話は簡単なのだがなぁ」
意地悪い笑みをディルダが浮かべる。竪琴を撫でる手が邪悪な音を立てる。
「私にできることは……? なんでもやりますわよ」
「ほう、そんなに妃になりたいのか」
「もちろんです! だって、あの……あの女! あたしに恥をかかせて!」
メルダの目は見開かれ、血走っていた。
「その屈辱を晴らすためなら……あたし!」
「お前の領地は……確かヴォルデのちょっと北だったか?」
「ええ、東部と北部の間にありますわ」
「じゃあ、手の者はいるんだな」
「もちろんですわ。家族は勉学に専念しろとかうるさいですけれど。あたしに期待してくれる人もたくさんいますから」
「なら、役目はあるぞ」
ディルダが広間の配下に目を向ける。ここにいるのはディルダが選んだ部下だけで、コーデリアやオルドスの息はかかっていない。
「上手く行けば、貴様を早く妃にできるかもな」