銀の羽は、雨音フェチ

第5話 月夜の小舟と、好きの行方

 満月の夜、稜翔が「帰る時間です」と言った。場所は、町外れの湖。月夜の湖に浮かぶ小舟には、銀の羽が帆のように立っている。利輝はここまで来ても、まだ半分だけ疑っていた。だが小舟の底が竹座布団と同じ音でぎしっと鳴り、疑いは七割ほど負けた。

「本当に未来へ帰るのか」
「はい。未来では、好きな感覚が病名みたいに管理されています。僕はその前に、好きが人を笑わせたり、助けたりする証拠を持って帰ります」
「それ、君の仕事?」
「いいえ。勝手に来ました。感謝は求めません」

 羽衣は小舟のへりを観察し、興奮を隠せていない。
「時間移動の材質が竹なの、非常に興味深いです」
「最後まで知識欲か」
「現状には満足しています。ただ、満足したうえで知りたいだけです」

 淳乃は稜翔に弁当を渡した。白米と卵焼き、そして小さな値札がついている。「未来人割引、百円」。稜翔は無表情で受け取り、三秒後に泣いた。
「この値札の角、最高です」
「そこ?」

 小舟が銀色に光る。湖面に町の人たちの好きが映った。炊飯器の湯気。古本の匂い。謝る前の息。現像液の揺れる音。レジ袋の三角。豆腐を切る静けさ。竹座布団のぎしっ。どれも小さくて、笑われやすくて、それでも誰かの暗いところを照らしていた。

 利輝は羽衣へ向き直った。胸が恋わずらいで騒がしい。
「僕は、君の横顔が好きです。知らないものを見ても、怖がらずに名前を探すところが」
 羽衣はうろたえなかった。むしろ辞書を開いた。
「それは横顔フェチに見せかけた、尊敬を含む好意ですね」
「分類が早い」
「返事も早いです。私も、利輝さんが言葉を押しつけず、相手に合わせて言い直すところが好きです」
「それは何フェチ?」
「柔軟性フェチです」

 稜翔が小舟から叫んだ。
「未来では、その二人は結婚します」
「複雑でもない話をそのまま言うな!」

 笑い声の中、小舟は月へすべるように進んだ。銀の羽が一枚、利輝の手に残る。翌朝、いつもの道はいつものままだった。総菜屋は安く、古道具屋は半分だけ開き、竹座布団は店先でぎしっと鳴った。

 けれど利輝は知っている。何気ない光景の奥には、人の数だけ好きが隠れている。見えてはいけないものではない。見えたら、少し丁寧に扱えばいいだけだ。

 羽衣堂の新しい値札には、こう書かれていた。

「あなたの好き、笑いません。持ち帰り百円。話していくなら、お茶つき」

 利輝が値札を見ていると、羽衣が隣に立った。
「今日の茶請けは、総菜屋のコロッケです。落とさないでください」
「見てたのか」
「はい。落とした瞬間の顔も、なかなか研究価値がありました」
「それ、何フェチ?」
「利輝さん限定の、少し情けない顔フェチです」

 竹座布団が、ぎしっと祝福した。
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