忘れ「」私、と君
数分経って、私たちは部屋の隅に置いてあったソファに移動した。
「ごめん。なんか、取り乱した」
不安さを拭いきれない表情で、彼はソファに項垂れた。
「私は、別にいいけど」
そっと、しておいた方がいいのか。
駄目なのか。
「ミナトくん」
「……勝手、だよなー。何か、気になる?」
少し困ったように眉を下げて、彼が私を見る。
気になる?なんて、気になることはたくさんある。
少し考えるように、俯いて膝の上のゆきを撫でる。
「そういえば、そのうさぎ……」
彼がゆきを見て、そう呟いた。
バタバタしてて、ちゃんと認識してなかったんだ。
「ゆきー? かわいいでしょ。向こうから近づいてきたんだよ?」
「……ゆきって、名付けたんだ」
「うん、雪うさぎみたいだから。かな」
ほんとはなんとなく、ゆきってでたんだけど。
雪うさぎみたいって思ったのも嘘じゃない。
彼がゆきを見つめた。
なんだろう?
「そっか」
「……ミナトくん、さっきの続き、いい?」
「……うん」
たっぷり五秒、待ってからゆっくり返事をした。
何がいいか、たくさん考えた。
これを逃したら、また何も教えてくれないかも。
でも、最近一番気になったのは……。
「私と、ミナトくんは……昔、ここで会ったことある?」
「……」
ミナトくんは一回、俯いて息を吐いた。
それから、ゆっくりと頷いた。
「……そっかぁ」
ごめんね、と言ったらいいのか。
ありがとうと言ったらいいのか。
わからなくて、黙ってしまった。
会ったことある。
やっぱり、そうだったんだ。
だとしたら、色々繋がる部分はある。
でも、なんでそれを言わなかったのか、とか……まだ全然わかんない。
どこまで、教えてくれるんだろう。
どこまで、訊いていいんだろう。
「海美は……何か、思い出したこと、あるの?」
彼が俯いたままゆっくり聞いてきた。
「私、残念だけど、なにも思い出してないよ」
まだ数日……私の記憶の中では。
まだ数日、こんな彼、見たことない。
どうしたらいいのか、わからない。
「……海美」
いつもより、ワントーン低い声で呼ばれる。
「なに?」
「……いや、いいや。ごめん。他は?」
少し、無理をしたように、笑顔でそう言われた。
笑顔を無理して作らなくて、いいのに。
「ミナトくんは、今。何が怖いの?」
「……俺?」
驚いたように私を見てくる。
でもね、だって……あんまりに必死そうなんだもん。心配になる。
きっと、普通にしようとしてるのは、私のため。
それでも……。
「うん、ミナトくん」
何が、怖いの?教えてよ。
そう、聞くように彼を見た。けど。
「何にも、ないよ。大丈夫」
また笑って言った。
上手じゃない、笑顔。
「ミナトくん。嘘つき」
「え?」
「しかも上手じゃない」
下手な、嘘。
優しさが、溢れちゃってる。
全然、嘘ってわかる。
「ねぇ、教えて? それとも、頼りない?」
「……成長したねー」
答えてくれると思ったら、彼はそう小さく呟いた。
声のトーンは優しいのに戻ってて、同時にどこか、懐かしさを感じた。
気がした。
「そう、かもね」
「……海美は、不安? 安心、できない?」
不安?
何に対して?
……不安、か。
「……ミナトくんが、全部隠して一人で抱えちゃうなら、不安。だよ」
彼はゆっくり「そっか」と言ってからじゃあ、話さないとね。
って、少し悲しそうに笑った。
今日はずっと、どこか不安そうで、どこか悲しそう。不安定。
ゆきが、私の上から少し動いて、彼の手のそばに移動した。
「……ゆき、ありがとう」
彼が優しくそう言って、ゆきの耳付近を撫でた。
「……」
「俺はね、海美が思い出して……傷つくのが怖いんだよ」
「傷つくのが」
思い出したら、傷つくのかな。
記憶喪失は、それが関係あるのかな。
……彼は、どこまで知ってるの?
「……わざわざ、思い出さなくて、いいじゃん」
「……」
あー、ここにいたらいいじゃんって、そういうこと?
……じゃあ、ほんとに初めから知ってたんだ。
そっか。
「私は、全部忘れてるから、なんで忘れたのかも……わかんないから」
だから、だから……何を、話そうとしたんだろう。
でも、忘れたまま、は……ちょっと怖いなぁ。
「……ごめん、うん。海美は、どうしたい?」
「私、は……」
こっちに質問が投げかけられるなんて思わなかった。
私は、思い出したい。
けど、傷つく……か。
それも、やだなぁ。どうしたい。
どうするのが、正解?
「まぁ、ゆっくり考えなよ。……いづれは、うん」
いづれは、なに?
でも、うん。まだ、焦らなくていいってことだよね。
大丈夫。
……今は、ミナトくんを信じてみよう。
「ね、ミナトくん」
「ん?」
「まだ、まだ私はここにいるから」
彼が一瞬、目を見開いた。
そして、また優しくふっと笑った。
「そっか」
未だ、ミナトくんの手の中にいるゆきは心地よさそうに目を閉じている。
大丈夫。
ミナトくんが言ったからじゃない。
私が、選んだの。
まだ、ここにいる。