忘れ「」私、と君
「……わかった」
そう答えれば、また彼は笑った。
よく笑う、わからない人。
思い出せるまで、なんて……いつになるかわからないなぁ。
ほんの少し冷静になった頭で思う。
「ま、俺も意地悪だったか」
立ち上がった彼はそう言った。
一体何に対しての意地悪?
「なに?」
「んー? 君の名前は海美、だよ」
聞くと、立たせるためか手を差し出しながら答えてくれた。
私の、名前を。
「名前」
「わかんないんでしょ?よかったね」
「確実なものが増えた」なんてまたにこって笑いかけてきた。
「確実なもの……」
「ん?」
名前わかったね、とかじゃないんだ。
いや、私も確実なものが欲しいって、思ってけど。
不思議な言い方。
名前、海美。
聞いたまま心の中でかみ砕いてみる。
けど、ダメだ全然聞き覚えない。
「ねぇ、あなたの名前は?」
「えー……俺?」
「うん」
すごく歯切れ悪く彼は視線を泳がせた。
それがものすごく引っ掛かった。
そんな言いにくいもの?
ただ黙って彼の返事を待ってみた。
「俺の名前ねー」
「え……」
え、もしかして。
なんとなく、頭をよぎった。
「あ、勘違い。名前はあるよ」
あ、よかった。あるんだ。
あまりに言い渋るからもしかしてないのかと思った。
一瞬早くなった鼓動を深呼吸して落ち着かせる。
そして彼の次の言葉に耳を傾ける。
「ま、あるけど…覚えてない、かな」
「え?」
「あ、記憶喪失じゃないからね?」
彼は「海美と同じにしないでよー?」なんて笑って言うけど、だったらなおのこと名前を憶えてないのが不思議。
でも踏み込んでいいのかダメなのかその境が彼はわからない。
彼を見てみるけど相変わらず笑ってるし。
「あ、気になる?」
「え、まぁ……うん」
「まぁ、単純に呼ばれる相手がいないからなんだけど」
呼ばれる相手がいないって……。
え?どういう?
困惑が顔に出てたのか、彼は私を見たあと楽しそうに笑った。
いや、笑い事じゃないんだけど!
「ごめんごめん、そっか。ここの話してなかったか。ここはね、俺しかいないんだよ」
彼しか、いない。
ここのお城みたいな場所に?それとも……外にも?
「って、ここで長話あれだね。部屋行こっか」
彼に手を引かれながらこの大きい窓の場所を後にした。