鯨のうた
***
優作さんが中原専務に誘われて新年会に出掛けたあの日の夜。
優作さんは、わたしの家に泊まって行った。
しかし何をするでもなく、ただ同じ狭いシングルベッドで優作さんの腕に包まれて眠っただけ―――
優作さんの口から中原専務の娘さんの話が出る事はなかった。
わたしは優作さんを信じている。
しかし、信じているはずなのに、心のモヤモヤは消えない。
優作さん自身は、わたしに対して冷たくなるとか、素っ気なくなったとか、そのような事はなく、いつも通り優しく大切にしてくれている。
けれど、不意に戸惑いのような複雑な表情を見せる事がある。
あの日、やはり何かあったのかもしれない。
でも、わたしに話してくれないという事は、わたしに話せないような事なのではないか―――
わたしに話せないような事···
一体、何があったのだろう。
そんなある日の午後。
わたしが会議で使う資料を印刷し、まとめている時だった。
「―――露草さん」
わたしの名を呼ぶ声が営業部内に響く。
ふと声がした方に顔を向けると、そこには中原専務の姿があった。
中原専務はわたしに微笑みかけると手招きをする。
そんな中原専務の姿にわたしは何故か嫌な予感がした。
「···お疲れ様です」
わたしはそう言い、中原専務に歩み寄る。
中原専務は「露草さんに話があるんだけど、ちょっといいかな?」と言い、場所を移動しようとした。
しかし、会議用の資料の準備が途中だ。
それを伝えようとすると、後ろから「千衣っ」と声が聞こえた。
その声の主は、航だった。
「あとは俺がやっとくから」
気を利かせてそう言ってくれる航。
わたしは「ありがとう」とお礼を言うと、「ちょっと席を外します」と伝え、オフィスを出て中原専務の後を追った。