鯨のうた
わたしは、すぐに席を立った。
一秒でも早く、この場から立ち去りたかった。
優作さんが中原専務の娘さんを強く拒めないのは分かってる。
上司の娘さんなんだから、失礼な扱いは出来ない。
分かってる、分かってるのに···―――
やっぱりどうしても、そこは強く拒んでほしかった。
もう28歳の大の大人だと思っていたけれど、大人になりきれていない自分に気付かされる。
余裕なんて、これっぽっちもない。
優作さんを信じるって決めたのに、今のわたしは目の前の問題から逃げるだけの、ただの弱虫だ。
わたしはお店を出て、ただひたすらに歩いた。
泣き顔を隠すように俯きながら、ただ真っ直ぐに歩き続けた。
わたしは、優作さんが好き。
だけど―――
このまま付き合い続ける事は難しいのかな。
優作さんの気持ちを確かめたいのに、それがこわくて、向き合う事が出来ない自分。
その日の夜、優作さんから着信があった。
しかし、わたしはその着信に出る事をしなかった。
メッセージも届いていたけれど、既読すらつけなかった。
わたしは眠っているふりをする、嘘つきでズルい人間だ。
いかないで―――
わたしの傍から離れていかないで―――
そう言う事が出来たらいいのに。
優作さんと一緒にいる時は強くなれた気がしていたのに···
今のわたしには、そんな勇気も自信も無くなってしまっていた。