鯨のうた

「露草さん、お酒は飲める方?」

スーツの上着を脱ぎながら、雨龍課長は言った。
その瞬間、煙草の匂いが漂う店内に微かに爽やかな石鹸の香りがフワッと香った。

香水ではない、きっと柔軟性の香りだろう。

「まあ、強くはないですけどね」
「じゃあ、お酒も飲んじゃって。料理もどれも美味しいから、好きなの頼んでね」

そう言って、雨龍課長はメニュー表をわたしに差し出す。
わたしはメニュー表を受け取ると、「じゃあ、遠慮なく。好きなの頼んじゃいまーす」と言って、メニュー表を開いた。

「ははっ。露草さん、いいね。遠慮されるとこっちも申し訳なくなっちゃうから、そう言ってくれた方が、俺も有難いよ」

雨龍課長はそう言いながら、ネクタイを緩めた。

その瞬間に少しだけ見えた首元にわたしはドキッとしてしまう。
雨龍課長の男らしい首筋に喉仏をこんなに間近で見たのは初めてで、妙に意識してしまう自分がいた。

すると、先程の女性店員さんがおしぼりとお通しの小鉢を持って来てくれた。

小鉢には、ボイルされた牡蠣に大根おろしが乗せられ、ポン酢のようなものがかけられた料理が二口分だけ入っていた。

「あ、これこの店の人気のお通し。露草さん、牡蠣は食べれる?」
「はい、食べれますよ」

わたしがそう答えると、雨龍課長は自分の分の小鉢をわたし側に寄せ、「じゃあ、俺の分もあげる」と言った。

「えっ、雨龍課長は食べないんですか?」
「俺、牡蠣ダメなんだよね。一度あたっちゃったことあって、それから」
「なるほど。じゃあ、いただきます」

わたしはそう言っておしぼりで手を拭いてから、箸を持ち、小鉢の一つ目に手を付ける。
小振りな牡蠣に大根おろしを乗せ、そっと口の中へ運ぶと、柔らかな牡蠣に程良いポン酢の香りが漂い、微かにだが柚子の香りも感じた。
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