鯨のうた
Story.1
「···嘘でしょ」
またやられた。
―――"また"だ。
今にも泣き出しそうな厚い曇り空の下、わたしはある見知らぬ誰かが住む一軒の家の前で立ち尽くしていた。
実は、わたしには恋人がいた。
そう···"いた"という過去形だ。
彼との出逢いは半年前―――
付き合っていた恋人が何と既婚者だと発覚し、失恋したばかりの夜だった。
お酒に呑まれたくて、独りで初めて入ったバーに彼は居たのだ。
何気無く話し掛けられて、何気無く失恋話をして、それから彼と連絡を取るようになって、自然と流れるように付き合うようになっていた。
「気分転換にさ、旅行にでも行かない?」
そう提案してきたのは、彼の方だった。
わたしを元気付けようとしてくれているのだと勝手に勘違いしたわたしは、嬉しさからすぐに首を縦に振った。
旅行を計画し、率先して動いてくれていたのは彼の方で、わたしは彼の言う行き先や泊まる予定の宿を聞き、わくわくと胸を踊らせていた。
そんなある日、彼から突然「千衣の分の飛行機代とか立て替えておいたから」と言われた。
"立て替えておいた"―――
その言葉から、わたしはすぐに返さなきゃと思った。
「ごめんね、ありがとう。お金いくら返したらいい?」
わたしは彼にそう訊いた。
すると、彼から返ってきた言葉は「んー、合計したら8万くらいかな」だった。
その返答を聞き、わたしは何と無く違和感を感じた。
(8万?そんなに高いの?)
しかし、その違和感よりもそんな大金を立て替えさせてしまっている罪悪感から、わたしは「すぐに返すね」と言った。