鯨のうた
休憩時間になると、わたしはいつものように社員食堂へと向かった。
すると、突然「―――おい」と、わたしの腕を掴み、引っ張ってくる腕が現れた。
「ちょっ、何するの?!」
わたしの腕を引っ張ってきたのは、航だった。
航はわたしの腕を引いたまま廊下を歩き続け、誰も居ない給湯室までわたしを連れて来た。
「ちょっと、腕。痛いんだけど」
わたしがそう言うと、航は「あ、悪い」と言いながら、やっとわたしの手を放した。
「何なの?突然、こんなところに連れて来て」
「い、いや···だから、そのぉ···お前が、心配だったから―――」
そう言いながら、航は目を泳がせた。
(心配?まさか、あの噂で?)
「もしかして···、あの噂、航も聞いたの?」
わたしがそう訊くと、航は落ち着かない様子で腕を組みながら「―――まあ···」と言った。
「そんな噂くらいで、わたしが悩むと思ってるの?わたしは大丈夫、平気だから」
「そ、それなら···良かったけど」
「航がわたしの心配してくれるなんて、珍しい事もあるもんだね。槍でも降るんじゃない?」
「うるせーなぁ」
「でも、心配してくれてありがとう。わたしはこの通り平気だから。じゃっ」
そう言ってわたしが給湯室から出ようと一歩踏み出そうとすると、航は再びわたしの腕を掴んだ。
「―――ちょっと待てよ」
「···何?」
航は掴んだわたしの腕をゆっくり放すと、何だか言いづらそうな雰囲気を醸し出しながら、何度か瞬きをして、それからゆっくりとわたしの方へ視線を向けた。
「千衣···、お前、本当に雨龍課長と、付き合ってるのか?」
まさかの航からの質問にわたしは「えっ?」と間抜けな声を出してしまう。
航がそんな噂を本気にするとは思えなかったからだ。