鯨のうた

「それじゃあ、キッチンお借りしますね!」

わたしはそう言って、持参したエプロンを身に付ける。
持っているだけで、自宅ではほぼ使った事がないエプロン―――

着慣れないわたしは、何だかエプロンを身に付ける自分を妙に恥ずかしく感じてしまった。

「じゃあ、俺は米を炊こうかな」

そう言って、わたしとキッチンに並ぶ雨龍課長。
わたしは「ありがとうございます」と言いながら、まずは手を洗った。

すると、炊飯器から釜を取り出す雨龍課長が、何気なく「今日は髪の毛結んでるんだね」と言った。

その事にわたしはドキッとすると、慌てて「へ、変ですかね?」と雨龍課長に尋ねた。

「いや、変じゃないよ。何だか新鮮だし、それに可愛い」

―――か、可愛い···

そう言われ慣れていないわたしは、その言葉にどう反応したら良いのか困惑する。
そのせいで無駄に長く手を洗い続けてしまっていた。

「あ、あっ、そういえば···、何か雨龍課長と会うの、久しぶりですよね」

"可愛い"から離れようと、わたしは話しを逸らす。
そして、やっと手を洗い終えたわたしは、袋から食材を取り出し始めた。

「―――あぁ、そうだね。クリスマス以来、会えてなかったよね」
「仕事も忙しかったですしね」
「まあ···そうだね」

(···あれ)

わたしは、なぜか雨龍課長の返答にぎこちなさを感じた。
この感じは何?

(え、もしかして···わたし、避けられてた?)

そう思うと、突然わたしの中の不安が膨らみ始める。

今日もわたしから誘ってお邪魔させてもらってるし、本当は迷惑だったんじゃ―――

そんな不安からわたしの手が止まる。
すると、そんなわたしの異変に気付いた雨龍課長が「···千衣?」と呼ぶ。

わたしは手元にあるジャガイモを見つめると、雨龍課長に溢れるように不安を口にしていた。

「―――わたし、来ない方が良かったですかね···」
「えっ?」
「雨龍課長、本当は···、わたしと会いたくなかったんじゃないですか?」

言葉を選ばず、ストレートに出てきてしまうわたしの気持ち―――
気付けばわたしは、エプロンを外し、それを握り締めていた。
< 84 / 123 >

この作品をシェア

pagetop