文豪の楽園
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先生のデビューは華々しいとは言い難い、ひっそりとしたものだった。しかし少なくとも文壇はざわついたと言っても良いだろう。
新人賞にて、何よりその奇っ怪な世界観とミステリーが選考委員の心を撃ち抜いたらしい。そのデビュー作は私も読んだ。それは非日常の上に成り立っているようで、実の所すべて説明のつく事件にすぎないのだというあの構成に私もすっかり虜になった。
全く新しい、というのではない。読者のこういう作家を求めていたんだという強い思いが彼を作家にしたのだろうと思った。
先生は『新谷 丙』という名前でデビューした。
新人賞の授賞式で先生を見かけた時、大正時代からタイムスリップしてきたのかと思った。黒の着物に身を包み、やけに落ち着いた、皆が想像するような作家のイメージそのものだった。
それが3年前のことだ。私はまだ編集者として右往左往しているときだった。良い機会だからと編集長に連れてこられて、なんだか威厳のある人達に囲まれ肩身の狭い思いをした覚えがある。
もちろんその授賞式には名だたる選考委員の作家先生もいて、とても興奮した。
先生のスピーチはとてもよく覚えている。
会場の端っこから私は背伸びをしてそれを聞いていた。
先生は賞を貰ったお礼を述べてからこう言った。
『僕は生まれながらにして読者でした。
僕にとって読み物はいつでもそこにあるもので、誰かが書いたものだということすらも気にならないような、本は物語であり世界のひとつでした。
だから僕がこのように物を書いて、ひとつの世界を書いて、それを誰かに読んでもらうことになるとは露ほども思ってもいませんでした。
ですが、今でも僕は読者のひとりです。誰かに読んでもらう喜びを知った今も、新しい物語を待っています。もし僕の物語を読んで、小説をかくきっかけになった人がいるなら、それこそが僕の本望と言えましょう』
概ねこう言ったことを先生は壇上で語った。
先生も本が好きなんだ、と私は素直に嬉しくなった。
私はさっき先生から受け取った原稿を手に、そんなことを思い出していた。先生の家には大きな書斎があって、膨大な量の書物が本棚に並んでいた。先生の書く物語は明らかに深い知識と考えが滲み出ている。
幼い頃から沢山の知識を蓄え続けたことが、この原稿からも分かる。先生がどんな人かを隠されてこの原稿を読んだなら、おそらく70代の大御所作家が書いたと思う人だって絶対にいるはずだ。
それは決して古いわけじゃない。むしろ新しい。
新谷丙にしか書けない物語だなと思い、原稿をぎゅっと抱きしめた。
「ちょっとちょっと、日比野」
向こうで私に手招きする編集長が見えた。