追放された元妃は多くを望まない ~とある才女が残した最高の置き土産~
第一章 後宮入り
一年前・後宮「白の離宮」――。
「シャーロット上級妃様におかれましては、今日からこの離宮で過ごしていただきます」
そう言って恭しく頭を下げたのはこの白亜の宮殿の侍女長。
侍女長の背後に控える数十名の侍女も揃って頭を下げている。彼女たちの態度に思うところはない。ないのだけれど……。
後宮に入る前に、もっと〝後宮の取り扱い説明書〟のようなものがあればよかったのに。
魔法がある国とはいえ、魔法は誰でも簡単に使えるものではないわ。
魔力そのものは、赤子であっても必ず持っている。
けれど、魔力を〝魔法として扱う〟には、専門的な訓練と厳しい修業が必要で、普通の人には到底習得できない。
魔法を自在に操れるのは、魔術師と神官――その二つの職に就いている者だけ。
魔術師は、結界や防御などを中心とした高度な魔法を扱う。
神官は治癒魔法が一般的。
とはいえ、今では魔法道具の発達でそれらの職種に就く者が若干減っているのも事実だった。
計算機能のある魔導盤、記録を自動で残す魔導紙、温度調整の魔導灯……。
個人的にはそろそろ翻訳機能のある魔道具が開発されないかと期待しているところだわ。
でも、後宮は別。
後宮は王の私的領域として古くから守られており、王宮魔術師も基本出入りは禁止されている。
神官も特別な儀式の時以外は立ち入り禁止。
魔法の専門家が入れない特殊な場所。
ある意味で、魔法文明の抜け穴のような場所に、私はこれから住むのだ。
「私は中級妃だと聞いていたのだけれど? これは何かの間違いではないかしら?」
聞いていた話と違う。〝中級妃〟として後宮入りするという話だったのに、〝上級妃〟として扱われている。それがまったく理解できなかった。
どういうことなの?
お父様からは何も聞いていないわよ?
後宮に見取り図がないのも恨めしい。
説明書すらない。
後宮だから仕方がないと理解はしているけれど……。
私の疑問に目の前に立つ侍女長は眉一つ動かさずに言葉を返してきた。
「いいえ、間違いではございません。この度、新たに妃の配置換えが行われました」
「配置換え?」
「はい。以前いらした上級妃様は別の場所へと移られました」
「……そういうことね」
つまり、新しく来た妃のために、本来の上級妃を別の建物へと移したのだ。
「妃の配置換え」と言葉を濁しているがそういうことだ。
前の上級妃は中級妃へと降格と相成ったのだろう。
そして、本当なら中級妃になるはずの私は、上級妃へ昇格となった――と。
「白の離宮」の上級妃は確かシリル・リーベン侯爵令嬢。
陛下よりも年上の方だったはず。なら、年齢は二十代後半くらいかしら……?
忖度された結果だろう。
誰がしたのかは分からない。
それでも同じ侯爵家出身とはいえ、リーベン侯爵家よりもカールストン侯爵家が格上だと判断されたのでしょう。あながち間違いでもないから否定できない。
侯爵家の中ではトップに位置するのがカールストンだもの。
「子供のいない妃」ということも関係しているはずだわ。
もう一人の上級妃は公爵令嬢で王女を二人産んでいる。降格はまずあり得ない。
子を産まない侯爵家出身の妃より、新しく入った年若い侯爵家出身の妃を優遇するのは当然のことだった。
ましてや元上級妃の実家は、侯爵家といえども既に力を失って久しい。
資産、宮廷での立場を考慮した結果の忖度。
後宮の管理人はなかなかのやり手のようだわ。
まぁ、誰が管理人なのかは知らないけれど。
こうして私は不本意ながら新たな住まいとなる「白の離宮」へと足を踏み入れた。
「今日からよろしくお願いしますわ」
離宮の入り口で、私とリコリスは大勢の使用人たちに出迎えられていた。
その中には、睨み付けるような眼差しもちらほら交じっている。
ほんの一瞬、視線の角度が鋭くなるだけで、表情は礼儀正しく整っているから、普通の人なら気付かないだろう。私は気付いたけれど。
歓迎の列に紛れた、僅かな敵意の揺らぎ。
あぁ、敵意だけではないわね。
困惑の眼差しや訝しげなものも交じっているわ。
敵意を向けてくるのは、前の上級妃を慕っていた使用人かしらね。
後は……、警戒に近いものを感じるわ。
私は微笑を作り、何事もなかったかのように歩みを進めた。
背後で、使用人たちの視線がゆっくりと私の背中を追ってくる気配を感じながら。
後宮入りを命じられた日のことを思い出す。
お父様は、後宮を〝魔物の住処〟〝伏魔殿〟として忌避していた。
娘をそんなところへ送るなど論外――それが家の方針だった。
だからこそ、お父様は私と専属侍女のリコリスを呼び出して、説明をしてくれたのだ。
『後宮入りはあくまでも一時的なものだ。時期が来れば必ず戻ってこられる。それまでの間は、誰にも邪魔されず離宮で静かに暮らせるよう取り計らった』
つまり、上級妃として隔離される形での後宮入り――ただし、私はこの時点では「上級妃として扱われる」とは聞かされていなかった。
本来は中級妃として入るはずだったのに。
後宮の忖度で、私は上級妃へと押し上げられていた。
お父様は最初からご存知だったのかしら?
なら説明の時に話してくだるはず……。
それがなかったということは、何か理由があったということよね。
それとも、あえて言わなかった?
答えは後日、お父様が白の離宮に面会に訪れた時に分かった。
「後宮は慎重すぎるくらいで丁度いい。離宮の元の主は使用人たちから慕われていた。お前が最初から〝上級妃になる〟と知っていたら、彼らの反感はもっと強くなっていたはずだ」と――。
要は、私を守るためにぎりぎりまで黙っていたのだ。
もちろん、後宮が危険であることに変わりはない。
だからこそ後宮入りに合わせて記録を映像や音声として残す魔法道具をいくつか準備した。
一見ただの装飾品にしか見えない魔法導具は、白の離宮の廊下や部屋に設置する予定。
後は、リコリスが周囲に気付かれずに設置すればいいだけ。
この時点ではまだ、〝準備が必要になるほどの事態〟が、すぐそこまで迫っているとを知らなかった。
白の離宮に入った翌日の朝。
リコリスが入れてくれた紅茶を飲んでいるところに来客が現れた。
「先触れもなくやってきたというの?」
「はい」
「誰かしら?」
「赤の離宮の主、ローズ上級妃様でございます」
その名を聞いた瞬間、自分でも分かるほど顔を歪ませてしまった。
来客の正体は、もう一人の上級妃、ローズ・カペル。公爵の出身。
彼女の突然の訪問。
どう考えても穏やかではないわね。
「……通して差し上げて」
そう告げると、扉の前に控えていた侍女は深く頭を下げて退室した。
扉が閉まると同時に、部屋の空気がひどく静かになる。
紅茶の表面に映る自分の顔が、僅かに強張っているのが分かった。
白の離宮に来てまだ二日目、しかも朝食前だというのに。
「厄介な相手が来たわね」
「シャーロット様……」
「リコリス、紅茶をもう一つお願いね」
「畏まりました」
私は、突然の来客をもてなす用意をするようにリコリスに命じた。
リコリスは、端に控えていた侍女に「茶請けの菓子の追加を準備すること」と「侍女長に予定のない来客を来たことを伝えるよう」に指示を出す。
もっとも、侍女長ならばローズの突然の訪問を既に知っているかもしれないけれど。
「離宮の者は誰も止めなかったのね」
赤の離宮は、主人の非常識な訪問に対して忠告する者はいないみたいね。
「主人の振る舞いで自分たちの評価も下がるというのに。理解していないのかしら?」
もしくは、忠告しても聞き入れられなかった……か。
彼女なら、あり得そうだわ。
昔、会った時も「え?」と戸惑うような性格だったもの。
アレはきっと今でも健在なんでしょうね。そう簡単に矯正できるとは思えないレベルの性格だったもの。となると……。
うん。引き止める以前の問題ね。
もっとも、止められなかったという点では、白の離宮の者たちも同じだった。
伝えに来た侍女の態度から、それがはっきりと感じ取れた。
恐らく、他の使用人たちも、彼女を普通に通そうとしたのだろう。
「ただの挨拶でないことくらい、誰の目にも明らかなはずなのに……」
使用人たちは理解していないのかしら?
いいえ、それはないわね。あからさまなんですもの。〝普通の挨拶〟ではないことは、誰だって分かっているはず。にも拘わらず、当たり前のように離宮に入れようとする。その神経が理解できない。
白の離宮の使用人たちの反応からして、前の上級妃の頃にも、アポ無し訪問は度々起こっていたのかもしれないわね。
門番が平然と通しているところを見ると、ね。
コツコツコツ。
廊下の向こうから、足音が近付いてくる。
軽やかで、けれど決して急いではいない。
〝訪れる側が主導権を握っている〟とでも言いたげな歩調に、「ああ、彼女か」と妙に納得してしまう。傲慢が服を着て歩いているような女性だったものね。
足音だけで、過去のあれこれがよみがえってくる。
元婚約者の姉。
社交界で何度も顔を合わせ、会うたびに不快な思いをさせられた相手だ。
あの人の足音は、嫌でも耳に残る。
いつだって「私が上よ」と告げるようだった。
足音にまで性格が出る人も珍しい。
コツン――。
扉の前で足音が止まった。
到着したのね、と思った次の瞬間、控えめとは言いがたい勢いで扉が開けられた。
「お久しぶりね、シャーロット」
「ええ、お久しぶりです。……ローズ様……」
笑顔で挨拶をしてくるローズに対し、私もまた笑顔で応じた。
内心では「さっさと帰れ」と思っているけれど、もちろん口には出さない。
「やってきたばかりの新米妃になんの用なのよ。こちらは昨日から精神的に疲れているというのに。暇人の非常識女の相手なんて、できるか!」と、心の中でだけで罵倒しておく。
なにせ、ここは後宮。品格を落とすわけにはいかない。
まぁ、後宮でなくても言えるはずがないけれど。
ローズは先に後宮入りした先輩であり、国王陛下の子を産んだ唯一の妃。
同じ上級妃とはいえ、新参者の私とは立場が違う。
正妃が不在の今、ローズが〝後宮の女主人〟といっても過言ではないだろう。
失礼な態度を取ってはならない存在だった。
それを抜きにしても、私たちの間にはちょっとした確執
があるのだから――。
ローズ上級妃。
王家の血を引く名門カペル公爵家の令嬢。
腰まである赤い髪にルビーのような瞳が印象的で、名前の通り大輪のバラのように華やかな美しさを持つ方。スタイルもよく、出るところは出て、引っ込むところはしっかり引っ込んでいる見事な体型をしている。
そして華美を好む傾向にあった。
今も、黄色のドレスに身を包み、胸元や裾にたくさんの宝石を身につけている。
その輝きは派手というよりもギラギラとした下品さがあるのに、彼女の持つ生来の華やかさがそれらを補って余りある魅力になっているのだから不思議だわ。
「急にごめんなさいね。どうしても貴女とお話ししたかったのよ」
「私とですか?」
にこにこ微笑むローズ。
けれど、その笑顔にはどこか胡散臭さをが漂っていた。
そもそも、これまで殆ど接点のなかった相手である。
それなのに、どうして突然会いに来たのか。
しかもこんな早朝から……。
何か裏があるのではないかと勘繰ってしまうのも、仕方ない。
もちろん、そんな心情などおくびにも出さず、表面上はにこやかに対応するしかなかった。
本当に何の用事なのかしら。
まさか世間話をしに来たわけでもないでしょうし……。
ローズの目的は一体なんなのか。
それが分からない限り、警戒を解くわけにはいかなかった。
用意されたお菓子とお茶を口にして一息ついたところでローズが口を開いた。
「まさか、貴女が後宮入りするなんて思いもしなかったわ」
「私もです
「てっきり、どこかの貴族夫人に収まるとばかり思っていたわ」
「私もです」
誰も好き好んでこのような場所には来ない。
私の心の声を読んだかのように、ローズの右眉がピクリと上がる。
どうやら機嫌を損ねてしまったようだわ。
片眉を上げる仕草は、彼女が不愉快だと思っている時に見せる癖。
昔と変わらない癖は、きっと無意識の反応なんでしょう。
「ねえ、シャーロット」
「なんでしょうか?」
「秩序というものは守らなければならない。そう思わなくて?」
「そうですね」
一体何の話だと思いながらも、肯定しておく。
ローズの言う「秩序」とは、後宮における規則のことだろうか。
ああ、でも、確かにそうね。
今の私の状況はそれに値する。
いずれにしても、私が「秩序を乱している」と言いたいのだろう。
無法者扱いされても仕方のない立場だ。
元々いた上級妃を追い落とした、と非難されてもおかしくない立場。
妃の序列に割って入ったのは間違いない事実だった。
私が指示したわけではないわ。
望んだわけでもない。
勝手にそうなっていたのだとしても周囲はよく思わないだろう。
なるほどね。
どうやら、彼女は私に釘を刺しにきたのだ。
これから後宮で生活する者として相応しい行動をするように、と――。
案の定、ローズは後宮での決まりごとをグチグチと言い出した。
要は、「お前、上級妃として後宮に入ったからといって調子に乗るなよ。こっちは既に王女を産んでいるんだ。それも二人も。近いうちに必ず王子を産んでみせる。そうなれば自分が正妃になること間違い無しだから、邪魔するなよ!」ということである。要約すればだが。言われたほうからすれば堪ったものではない。
こちらは好きで後宮入りしたわけではないのだから。
必要に駆られて仕方なく来たにすぎない。
はっきり言って「知るかボケ」なのだけれど、口に出せないのが辛い。
「それにしても、シャーロット。貴女、白の離宮に入ったからといって、あまり浮かれないほうがよろしくてよ。後宮というのはね、自分の立場をわきまえない者から順に足をすくわれる場所なの。分かりやすく言えば、貴女のように〝急に上に立った方〟は特にね。……お気を付けあそばせ?」
わざとらしい微笑みを浮かべながら、ローズは紅茶を飲む。
まったく。
文句なのか嫌みなのか分からない話を延々と聞かされる身にもなってほしい。
ただでさえ、上級妃になってしまって面倒だと感じているのに。
まぁ、ローズのこの様子を見る限り、そんなことを言ったところで信じないでしょうし、訳の分からない罵りを受ける羽目になりそうなので黙っていよう。
そもそも、私が後宮に来ることになった理由の一つとして、カペル公爵家がまったくの無関係とは言いがたい。
ローズの弟、ウツケット・カペル元公爵子息。
彼は、私の最初の婚約者だった。
ウツケットの有責で婚約は破棄となっている経緯もあり、正直、ローズとはあまり関わり合いたくないというのが本音だったりする。
「――分かったわね? くれぐれも身の程を弁えた行動を心がけることね」
言いたいことだけ言って満足したのか、ローズは上機嫌な様子で帰っていった。
三日後、ローズからお茶会の招待状が届いた。
開催日は一週間後。
内容は『紅薔薇茶会』という名の、招待客全員がそれぞれ〝紅薔薇の髪飾り〟をつけて参加するというものらしい。
なんなのそれは?
しかも因縁のある相手からとなると少しばかり、いや、かなり気が重くなる。
「大丈夫ですか? シャーロット様」
「あまり大丈夫じゃないわね。あのローズ・カペルからの招待だもの」
「過激な方ですからね……」
リコリスは心配そうに眉根を寄せた。
先日は一応表面上取り繕っていたものの、弟との婚約破棄をいまだに根に持っているのが分かる。
自分の弟が全面的に悪いとはいえ、やはり思うところがあるのだろう。
「はぁ……憂鬱だわ」
溜息をつきつつ、とりあえずは侍女長に相談をすることにしたのだった。
この離宮の中で、侍女長は数少ない常識人。
ローズ上級妃奇襲事件後すぐに私の指示に従って、使用人たちを再教育してくれたことも大きい。
〝再教育〟といっても、叱り付けるようなものではなく、勤務態度の見直しと意識改革――そして私に対するアンケート調査。
侍女長は全てをその日のうちに実施してくれた。
仕事が早くて助かるわ。
結果は、思った通り。
私に反感を抱いていた一部の使用人が見事にあぶり出された。
『こんなにいるのね』
『申し訳ございません』
『あら、侍女長が謝る必要はないわ。人が何を思っていようと自由なんですもの。そうでしょう?』
『……はい』
『逆に感心しているくらいよ』
『感心ですか?』
『ええ』
侍女長の目には戸惑いの色を宿しつつも、表情は水面のように静かで呼吸すら乱れを見せなかった。ただ視線だけが、控えめに『その判断基準を伺ってもよろしいでしょうか?』と問いかけてきた。
『アンケートを二項選択式にしていたでしょう』
『はい』
『記入するアンケートなら取り繕ったでしょうけど。〝はい〟か〝いいえ〟の選択式に関しては正直に答えるものよ。まぁ、今回は事前説明もないまま行ったもので、離宮の者たちも虚を突かれて正直に選んだんでしょうね』
あえて急かして書かせたことで「考える」ということをさせなかった。
ある意味で思考能力を失わせたといえる。
それが功を奏したのだろう。
『シリル様は、とても人望のある方のようね』
私の言葉に侍女長は、静かに視線を伏せた。
言わんとしていることを理解したのだろう。
『彼女たちは、早急に異動させておきます』
どこに、とは問わない。
前の上級妃の住まう場所に異動させる――それ以外にないのだから。
つまり、私に反発している使用人たちを、ここから追い出すということ。
もっとも、使用人たちにしても不満を抱えたまま私の屋敷に仕えるより、慕っているシリル中級妃のもとへ移れるのだから、嬉しいはず。
結果的には、互いにとって悪くない話だ。
仕事のできる侍女長で助かるわ。
『お願いするわね』
反抗的な使用人は一掃することに成功し、離宮の空気は初日より幾分マシになったように感じていた。
その矢先にコレだなんて。
ローズと話すことなんて何もないのに。
はぁ~~……。
これも妃としての牽制?
「私が一番上だ」とか?
「お前は下だ」とか?
巻き込まないでほしいのに。
本当に面倒だわ。
「〝紅薔薇の髪飾り〟でございますか。これは困ったことになりました。よりにもよって、あれをおつけになってのご参加を促してくるとは……。想像の範囲を些か超えておられます」
侍女長の眉が一瞬だけ寄った。
言い方からしてあまりよろしくない部類だと分かる。
「何かあるの?」
何事かと尋ねると、侍女長は言いづらそうに口を開いた。
「実は……この『紅薔薇』というのは、ローズ妃様のお住まいである『赤の離宮』のかつての呼び名なのでございます」
「そういえば、確か、昔は上級妃の定員は三名だったと聞いたわ。その時の名残りということ?」
「はい。以前は『黄の離宮』がございました。三つの離宮はそれぞれの『色』に合わせた薔薇をシンボルとしておりました。赤の離宮は『紅薔薇の離宮』、白の離宮は『白薔薇の離宮』、黄の離宮は『黄薔薇の離宮』と呼称されていたのです。各離宮は茶会を催す時には必ず『紅薔薇茶会』、『白薔薇茶会』、『黄薔薇茶会』と名を冠し、それぞれの上級妃様方は『自らの色』を装う場でもございました。……ゆえに、茶会の主催者である上級妃を示す『色』と『花』を他の上級妃が身にまとうのは、大変な失礼にあたります」
「失礼、ねぇ」
「はい、暗黙のルール……と申しましょうか。随分昔の慣習ですので、今では知っている者は少ないはずです」
侍女長の言葉に「なるほど」と、納得した。
だからこの離宮は至る所に白薔薇が飾られているのかと、今更ながら理解した瞬間だった。
これは、恐らく私に対する宣戦布告だろう。
白薔薇の離宮の主人が紅薔薇の飾りをつけるというのは、つまりそういうことなのだ。
喧嘩売られている。
あのローズが考えそうなことだわ。
マウントを取ってくるわね。間違いなく。
それ以外に考えられないもの。
一昔前の上級妃の慣習を持ち出してくるだなんて。
面倒臭いことこの上ないわ。
どうしてこうなったのかと頭を抱えたくなった。
参加してもしなくても面倒なことになりそうだと、思わず遠い目になってしまう。
かといって馬鹿正直に紅薔薇の髪飾りをつけて参加すれば、それこそローズの思う壺。
これから先ずっと彼女の風下に立たなければならなくなるのは目に見えている。
それだけは絶対に嫌だ。
そんな思いもあって、お茶会の欠席を申し出ることにした。
「お断りしてちょうだい」
「しかし……」
「招待されたとはいえ、欠席してはいけないという決まりはないわ。そうでしょう? まして、彼女は上級妃。正妃ではないわ」
渋る侍女長にきっぱりと断る。
わざわざこちらが折れなければならない理由はない。
これで彼女が正妃なら話は別だけど、残念ながらそうではない。地位的には同じ上級妃。つまり対等な立場にあるわ。ここは譲るべきではない。譲ったら最後ともいうけれど……。
無理だわ。
だって、ねぇ。
どう考えても分が悪すぎる戦いだわ。
敵の陣営にたった一人で乗り込むようなものよ。
相手側の力量もイマイチつかめていない状況ではね。
和気あいあいとした茶会には絶対にならないと想像が付く。
もしかすると、弟の件を持ち出してくる可能性だって無きにしも非ず。
あらぬ誹謗中傷をされるかもしれないし……。
そうなれば、私だって黙ってはいられない。
当然、反撃をするわ。
……収拾がつかなくなるでしょうね、きっと……。
「シャーロット様はそれでよろしいのですか?」
確認するかのように問いかけられた。
案じるような声で問いかけられた。あれこれと考えを巡らせている姿が、侍女長には悩んでいるように見えたのだろう。
答えは決まっている。
「ええ、構わないわ」
それ以外にいい案が思い付かない。
行く、という選択肢は皆無。
ここは、逃げの一択しかないわ。
「それならば」と、侍女長は頷いたのだった。
本当に仕事の早い侍女長だとスムーズに物事が進むわね。
◆◇◆
《ローズ上級妃視点》
赤の離宮。
深紅の絨毯が敷きつめられ、王家の紋章を象った深紅のタペストリーが壁一面に飾られ、天井には金細工の装飾が輝く豪奢な一室で、私は侍女の報告を受けた。
「なんですって!? 来ないですって?」
「はい。白の離宮からは欠席の連絡が入りまして……」
「何故!?」
「わ、分かりません。ただ、欠席するとだけ……」
「~~っっ!」
欠席?
私の茶会を? 〝紅薔薇茶会〟を?
「……ふざけているの?」
あり得ないわ。
この私の誘いを断るだなんて。
「新参者の妃の分際で……。この私に逆らうと……?」
そんなことが許されるとでも?
私を誰だと思っているの!
次期王妃に向かって無礼な!
「ねぇ」
「は、はい」
「紅薔薇の髪飾りをつけてくるように伝えたわよね?」
「は、はい」
「本当?」
「はい」
「それに対して欠席? 挑発しているの? 私に?」
これは、私に逆らうという意思表示。
宣戦布告されたのも同然の行為だわ。
後宮の頂点に立つ私へ、挑もうとでも?
まさか、王妃の座を狙っていると……?
上級妃になったのはその布石だとでも?
無欲な顔をして腹の立つ!
どこまで人の神経を逆撫ですれば気が済むの!
弟のことだってそうよ!
可哀想なウツケット。
望まない婚約を強いられたせいで、道を踏み外してしまった可哀想な子。
だいたい、ウツケットが侍女と恋仲になってしまったのだってシャーロットのせいよ。
シャーロットが弟の心を繋ぎ留めておけなかったことがそもそもの原因じゃない!
シャーロットに女としての魅力がないせいで、ウツケットは侍女に走ってしまったのよ!
侍女だってそう!
弟が見初めたのは、シャーロット付きの侍女だった。
──『姉上! 僕は彼女と結婚します!』
──『名前は、エデン! 僕の愛する女性です!』
頬を赤らめて報告する弟は可愛かったわ。
詳しく聞けば、エデンという侍女は子爵令嬢だとか。
──『姉上に生まれてくる子供の名前を付けてほしいと言っているんだ』
──『未来の王妃である姉上に、ぜひに、って』
名付け親に、私を指名してきたわ。
お父様ではなく、私に。
最初は図々しいと感じていたけれど、よくよく弟の話を聞いて納得したわ。
公爵より、将来の王妃に願い出るのは当然のことだったわ。
──『エデンは姉上に憧れているみたいなんだ』
──『最近は姉上のことばかり話すんだよ』
家格はまったく釣り合わなかった。
けれど、ウツケットが『彼女でなければ』と力説するだけはあって、なかなか、道理を弁えていることは分かったわ。少なくともシャーロットをはじめとする、カールストン侯爵家の者たちとは違う。
あの侯爵家は、私たちの素晴らしさを理解しない。
カペル公爵家との縁組がどれだけ凄いことなのかを、分かっていなかった。
ウツケットとの婚約が整い、両家の顔合わせの場。
そこで、私はカペル公爵家の歴史や功績を語って聞かせてあげたわ。
なのに――。
まったく気にも留めていなかった。
あり得ないでしょう!
私を誰だと思っているの!
本当に失礼極まる人たちだったわ。
あんな無礼な連中と親族になるだなんてと、内心不満に感じていたのよ。
弟が結婚を取りやめると聞いた時は「いいんじゃない?」くらいにしか思わなかった。
それなのに――。
『これはどういうことよ!?』
『落ち着きなさい』
『お父様!』
離宮に珍しく、お父様が訪ねてこられたわ。
「家族に関係する重要な話がある」ということで、後宮への出入りが許可されたみたい。
弟の結婚の件だと、想像は付いていたわ。
でも、まさか――弟が廃嫡されて市井に放り出されただなんて思いもしなかった。
しかも話はそれだけではなかったのよ。
『慰謝料? 賠償金? どういうことなのお父様!』
『ウツケットの有責なんだ。当然だろう』
『有責だなんて!』
『他になんと言えばいいんだ?』
『シャーロットが自ら身を引いたんじゃないの?』
『……ローズ、それは誰から聞いた』
『え……。ウツケットからだけど……』
『はぁ~~……』
私の返答に、お父様は脱力したように溜息をついたのです。
何かおかしなことを言ったかしら?
『いいかい、ローズ……。ウツケットが言うことを真に受けてはいけない』
『でも!』
『今後のこともある』
『え……?』
『援助金を返却しなければならなくなった』
『は……?』
『当然と言えば、当然だが、な』
お父様は眉間を押さえ、静かに告げてきた。
その声音は怒りでも叱責でもなく、長く積み重なった疲労を滲ませたもので、こんなお父様を見るのは初めてだった。
『数年前の災害で、領地が壊滅的な被害を被ったのは覚えているだろう? 元々、ウツケットとシャーロット嬢の婚約は、我が公爵家を助けるためのものだ』
そう言えば、当時、そんなことを言っていたような……。
陛下の妻になる前のことで、何かと忙しかったせいか、あまり覚えていないけれど。
『いずれ、親族になるということで何かと援助を受けていたんだ。……援助といっても、金銭だけではない。交易の便宜、紹介状、領地間の協力。挙げればきりがない。恩恵を受けておいてこの体たらくだ。恩を仇で返した我が家を見る目は、今後、厳しくなるだろうな……』
婚約がなくなれば、当然、援助もなしとなる。
その上で、今までの援助金の返還を求められているだなんて!
なんなのよ!
さらに驚いたことに、カペル公爵領は復興の途中らしく、今、侯爵家に手を引かれたら立ち行かないとのこと。
まだ復興していなかっただなんて……。
呆然とする私に、お父様は「元に戻すには莫大な資金と時間がかかる」のだと。
『ローズ。荒れた土地というのは、建物を直せば終わりではない。人が戻り、産業が息を吹き返し、交易が再び動き出すまで……十年、二十年かかることも珍しくない』
二十年……。
想像しなかった年数に、時が止まった気がしたわ。
お父様が後宮に来たのは、私にそれらのことを説明するだけではなかった。
万が一、弟から連絡をもらったとしても決して助けてはいけないと、忠告をするため。
そして、領地の復興について王家の力を借りるため。
『もう、私一人ではどうしようもないのだ』
力なく吐き出されたその言葉は、いつも威厳のあるお父様の姿とは似ても似付かないものだった。
お父様を責めるわけにはいかない。
災害が起こったのは、お父様のせいではないもの。
でも、実家が資金難になったことで、私の王妃への道は遠のいてしまった。
はっきり告げられたわけではないわ。
だけど、陛下の言葉には「そういう理由がある」と匂わされるのよ。
許せない。
私以外に誰が王妃になるというの!
王妃に相応しい者など、このローズしかいないというのに!
これも全部。
全部、ぜ~んぶ、シャーロットのせい!
「シャーロット上級妃様におかれましては、今日からこの離宮で過ごしていただきます」
そう言って恭しく頭を下げたのはこの白亜の宮殿の侍女長。
侍女長の背後に控える数十名の侍女も揃って頭を下げている。彼女たちの態度に思うところはない。ないのだけれど……。
後宮に入る前に、もっと〝後宮の取り扱い説明書〟のようなものがあればよかったのに。
魔法がある国とはいえ、魔法は誰でも簡単に使えるものではないわ。
魔力そのものは、赤子であっても必ず持っている。
けれど、魔力を〝魔法として扱う〟には、専門的な訓練と厳しい修業が必要で、普通の人には到底習得できない。
魔法を自在に操れるのは、魔術師と神官――その二つの職に就いている者だけ。
魔術師は、結界や防御などを中心とした高度な魔法を扱う。
神官は治癒魔法が一般的。
とはいえ、今では魔法道具の発達でそれらの職種に就く者が若干減っているのも事実だった。
計算機能のある魔導盤、記録を自動で残す魔導紙、温度調整の魔導灯……。
個人的にはそろそろ翻訳機能のある魔道具が開発されないかと期待しているところだわ。
でも、後宮は別。
後宮は王の私的領域として古くから守られており、王宮魔術師も基本出入りは禁止されている。
神官も特別な儀式の時以外は立ち入り禁止。
魔法の専門家が入れない特殊な場所。
ある意味で、魔法文明の抜け穴のような場所に、私はこれから住むのだ。
「私は中級妃だと聞いていたのだけれど? これは何かの間違いではないかしら?」
聞いていた話と違う。〝中級妃〟として後宮入りするという話だったのに、〝上級妃〟として扱われている。それがまったく理解できなかった。
どういうことなの?
お父様からは何も聞いていないわよ?
後宮に見取り図がないのも恨めしい。
説明書すらない。
後宮だから仕方がないと理解はしているけれど……。
私の疑問に目の前に立つ侍女長は眉一つ動かさずに言葉を返してきた。
「いいえ、間違いではございません。この度、新たに妃の配置換えが行われました」
「配置換え?」
「はい。以前いらした上級妃様は別の場所へと移られました」
「……そういうことね」
つまり、新しく来た妃のために、本来の上級妃を別の建物へと移したのだ。
「妃の配置換え」と言葉を濁しているがそういうことだ。
前の上級妃は中級妃へと降格と相成ったのだろう。
そして、本当なら中級妃になるはずの私は、上級妃へ昇格となった――と。
「白の離宮」の上級妃は確かシリル・リーベン侯爵令嬢。
陛下よりも年上の方だったはず。なら、年齢は二十代後半くらいかしら……?
忖度された結果だろう。
誰がしたのかは分からない。
それでも同じ侯爵家出身とはいえ、リーベン侯爵家よりもカールストン侯爵家が格上だと判断されたのでしょう。あながち間違いでもないから否定できない。
侯爵家の中ではトップに位置するのがカールストンだもの。
「子供のいない妃」ということも関係しているはずだわ。
もう一人の上級妃は公爵令嬢で王女を二人産んでいる。降格はまずあり得ない。
子を産まない侯爵家出身の妃より、新しく入った年若い侯爵家出身の妃を優遇するのは当然のことだった。
ましてや元上級妃の実家は、侯爵家といえども既に力を失って久しい。
資産、宮廷での立場を考慮した結果の忖度。
後宮の管理人はなかなかのやり手のようだわ。
まぁ、誰が管理人なのかは知らないけれど。
こうして私は不本意ながら新たな住まいとなる「白の離宮」へと足を踏み入れた。
「今日からよろしくお願いしますわ」
離宮の入り口で、私とリコリスは大勢の使用人たちに出迎えられていた。
その中には、睨み付けるような眼差しもちらほら交じっている。
ほんの一瞬、視線の角度が鋭くなるだけで、表情は礼儀正しく整っているから、普通の人なら気付かないだろう。私は気付いたけれど。
歓迎の列に紛れた、僅かな敵意の揺らぎ。
あぁ、敵意だけではないわね。
困惑の眼差しや訝しげなものも交じっているわ。
敵意を向けてくるのは、前の上級妃を慕っていた使用人かしらね。
後は……、警戒に近いものを感じるわ。
私は微笑を作り、何事もなかったかのように歩みを進めた。
背後で、使用人たちの視線がゆっくりと私の背中を追ってくる気配を感じながら。
後宮入りを命じられた日のことを思い出す。
お父様は、後宮を〝魔物の住処〟〝伏魔殿〟として忌避していた。
娘をそんなところへ送るなど論外――それが家の方針だった。
だからこそ、お父様は私と専属侍女のリコリスを呼び出して、説明をしてくれたのだ。
『後宮入りはあくまでも一時的なものだ。時期が来れば必ず戻ってこられる。それまでの間は、誰にも邪魔されず離宮で静かに暮らせるよう取り計らった』
つまり、上級妃として隔離される形での後宮入り――ただし、私はこの時点では「上級妃として扱われる」とは聞かされていなかった。
本来は中級妃として入るはずだったのに。
後宮の忖度で、私は上級妃へと押し上げられていた。
お父様は最初からご存知だったのかしら?
なら説明の時に話してくだるはず……。
それがなかったということは、何か理由があったということよね。
それとも、あえて言わなかった?
答えは後日、お父様が白の離宮に面会に訪れた時に分かった。
「後宮は慎重すぎるくらいで丁度いい。離宮の元の主は使用人たちから慕われていた。お前が最初から〝上級妃になる〟と知っていたら、彼らの反感はもっと強くなっていたはずだ」と――。
要は、私を守るためにぎりぎりまで黙っていたのだ。
もちろん、後宮が危険であることに変わりはない。
だからこそ後宮入りに合わせて記録を映像や音声として残す魔法道具をいくつか準備した。
一見ただの装飾品にしか見えない魔法導具は、白の離宮の廊下や部屋に設置する予定。
後は、リコリスが周囲に気付かれずに設置すればいいだけ。
この時点ではまだ、〝準備が必要になるほどの事態〟が、すぐそこまで迫っているとを知らなかった。
白の離宮に入った翌日の朝。
リコリスが入れてくれた紅茶を飲んでいるところに来客が現れた。
「先触れもなくやってきたというの?」
「はい」
「誰かしら?」
「赤の離宮の主、ローズ上級妃様でございます」
その名を聞いた瞬間、自分でも分かるほど顔を歪ませてしまった。
来客の正体は、もう一人の上級妃、ローズ・カペル。公爵の出身。
彼女の突然の訪問。
どう考えても穏やかではないわね。
「……通して差し上げて」
そう告げると、扉の前に控えていた侍女は深く頭を下げて退室した。
扉が閉まると同時に、部屋の空気がひどく静かになる。
紅茶の表面に映る自分の顔が、僅かに強張っているのが分かった。
白の離宮に来てまだ二日目、しかも朝食前だというのに。
「厄介な相手が来たわね」
「シャーロット様……」
「リコリス、紅茶をもう一つお願いね」
「畏まりました」
私は、突然の来客をもてなす用意をするようにリコリスに命じた。
リコリスは、端に控えていた侍女に「茶請けの菓子の追加を準備すること」と「侍女長に予定のない来客を来たことを伝えるよう」に指示を出す。
もっとも、侍女長ならばローズの突然の訪問を既に知っているかもしれないけれど。
「離宮の者は誰も止めなかったのね」
赤の離宮は、主人の非常識な訪問に対して忠告する者はいないみたいね。
「主人の振る舞いで自分たちの評価も下がるというのに。理解していないのかしら?」
もしくは、忠告しても聞き入れられなかった……か。
彼女なら、あり得そうだわ。
昔、会った時も「え?」と戸惑うような性格だったもの。
アレはきっと今でも健在なんでしょうね。そう簡単に矯正できるとは思えないレベルの性格だったもの。となると……。
うん。引き止める以前の問題ね。
もっとも、止められなかったという点では、白の離宮の者たちも同じだった。
伝えに来た侍女の態度から、それがはっきりと感じ取れた。
恐らく、他の使用人たちも、彼女を普通に通そうとしたのだろう。
「ただの挨拶でないことくらい、誰の目にも明らかなはずなのに……」
使用人たちは理解していないのかしら?
いいえ、それはないわね。あからさまなんですもの。〝普通の挨拶〟ではないことは、誰だって分かっているはず。にも拘わらず、当たり前のように離宮に入れようとする。その神経が理解できない。
白の離宮の使用人たちの反応からして、前の上級妃の頃にも、アポ無し訪問は度々起こっていたのかもしれないわね。
門番が平然と通しているところを見ると、ね。
コツコツコツ。
廊下の向こうから、足音が近付いてくる。
軽やかで、けれど決して急いではいない。
〝訪れる側が主導権を握っている〟とでも言いたげな歩調に、「ああ、彼女か」と妙に納得してしまう。傲慢が服を着て歩いているような女性だったものね。
足音だけで、過去のあれこれがよみがえってくる。
元婚約者の姉。
社交界で何度も顔を合わせ、会うたびに不快な思いをさせられた相手だ。
あの人の足音は、嫌でも耳に残る。
いつだって「私が上よ」と告げるようだった。
足音にまで性格が出る人も珍しい。
コツン――。
扉の前で足音が止まった。
到着したのね、と思った次の瞬間、控えめとは言いがたい勢いで扉が開けられた。
「お久しぶりね、シャーロット」
「ええ、お久しぶりです。……ローズ様……」
笑顔で挨拶をしてくるローズに対し、私もまた笑顔で応じた。
内心では「さっさと帰れ」と思っているけれど、もちろん口には出さない。
「やってきたばかりの新米妃になんの用なのよ。こちらは昨日から精神的に疲れているというのに。暇人の非常識女の相手なんて、できるか!」と、心の中でだけで罵倒しておく。
なにせ、ここは後宮。品格を落とすわけにはいかない。
まぁ、後宮でなくても言えるはずがないけれど。
ローズは先に後宮入りした先輩であり、国王陛下の子を産んだ唯一の妃。
同じ上級妃とはいえ、新参者の私とは立場が違う。
正妃が不在の今、ローズが〝後宮の女主人〟といっても過言ではないだろう。
失礼な態度を取ってはならない存在だった。
それを抜きにしても、私たちの間にはちょっとした確執
があるのだから――。
ローズ上級妃。
王家の血を引く名門カペル公爵家の令嬢。
腰まである赤い髪にルビーのような瞳が印象的で、名前の通り大輪のバラのように華やかな美しさを持つ方。スタイルもよく、出るところは出て、引っ込むところはしっかり引っ込んでいる見事な体型をしている。
そして華美を好む傾向にあった。
今も、黄色のドレスに身を包み、胸元や裾にたくさんの宝石を身につけている。
その輝きは派手というよりもギラギラとした下品さがあるのに、彼女の持つ生来の華やかさがそれらを補って余りある魅力になっているのだから不思議だわ。
「急にごめんなさいね。どうしても貴女とお話ししたかったのよ」
「私とですか?」
にこにこ微笑むローズ。
けれど、その笑顔にはどこか胡散臭さをが漂っていた。
そもそも、これまで殆ど接点のなかった相手である。
それなのに、どうして突然会いに来たのか。
しかもこんな早朝から……。
何か裏があるのではないかと勘繰ってしまうのも、仕方ない。
もちろん、そんな心情などおくびにも出さず、表面上はにこやかに対応するしかなかった。
本当に何の用事なのかしら。
まさか世間話をしに来たわけでもないでしょうし……。
ローズの目的は一体なんなのか。
それが分からない限り、警戒を解くわけにはいかなかった。
用意されたお菓子とお茶を口にして一息ついたところでローズが口を開いた。
「まさか、貴女が後宮入りするなんて思いもしなかったわ」
「私もです
「てっきり、どこかの貴族夫人に収まるとばかり思っていたわ」
「私もです」
誰も好き好んでこのような場所には来ない。
私の心の声を読んだかのように、ローズの右眉がピクリと上がる。
どうやら機嫌を損ねてしまったようだわ。
片眉を上げる仕草は、彼女が不愉快だと思っている時に見せる癖。
昔と変わらない癖は、きっと無意識の反応なんでしょう。
「ねえ、シャーロット」
「なんでしょうか?」
「秩序というものは守らなければならない。そう思わなくて?」
「そうですね」
一体何の話だと思いながらも、肯定しておく。
ローズの言う「秩序」とは、後宮における規則のことだろうか。
ああ、でも、確かにそうね。
今の私の状況はそれに値する。
いずれにしても、私が「秩序を乱している」と言いたいのだろう。
無法者扱いされても仕方のない立場だ。
元々いた上級妃を追い落とした、と非難されてもおかしくない立場。
妃の序列に割って入ったのは間違いない事実だった。
私が指示したわけではないわ。
望んだわけでもない。
勝手にそうなっていたのだとしても周囲はよく思わないだろう。
なるほどね。
どうやら、彼女は私に釘を刺しにきたのだ。
これから後宮で生活する者として相応しい行動をするように、と――。
案の定、ローズは後宮での決まりごとをグチグチと言い出した。
要は、「お前、上級妃として後宮に入ったからといって調子に乗るなよ。こっちは既に王女を産んでいるんだ。それも二人も。近いうちに必ず王子を産んでみせる。そうなれば自分が正妃になること間違い無しだから、邪魔するなよ!」ということである。要約すればだが。言われたほうからすれば堪ったものではない。
こちらは好きで後宮入りしたわけではないのだから。
必要に駆られて仕方なく来たにすぎない。
はっきり言って「知るかボケ」なのだけれど、口に出せないのが辛い。
「それにしても、シャーロット。貴女、白の離宮に入ったからといって、あまり浮かれないほうがよろしくてよ。後宮というのはね、自分の立場をわきまえない者から順に足をすくわれる場所なの。分かりやすく言えば、貴女のように〝急に上に立った方〟は特にね。……お気を付けあそばせ?」
わざとらしい微笑みを浮かべながら、ローズは紅茶を飲む。
まったく。
文句なのか嫌みなのか分からない話を延々と聞かされる身にもなってほしい。
ただでさえ、上級妃になってしまって面倒だと感じているのに。
まぁ、ローズのこの様子を見る限り、そんなことを言ったところで信じないでしょうし、訳の分からない罵りを受ける羽目になりそうなので黙っていよう。
そもそも、私が後宮に来ることになった理由の一つとして、カペル公爵家がまったくの無関係とは言いがたい。
ローズの弟、ウツケット・カペル元公爵子息。
彼は、私の最初の婚約者だった。
ウツケットの有責で婚約は破棄となっている経緯もあり、正直、ローズとはあまり関わり合いたくないというのが本音だったりする。
「――分かったわね? くれぐれも身の程を弁えた行動を心がけることね」
言いたいことだけ言って満足したのか、ローズは上機嫌な様子で帰っていった。
三日後、ローズからお茶会の招待状が届いた。
開催日は一週間後。
内容は『紅薔薇茶会』という名の、招待客全員がそれぞれ〝紅薔薇の髪飾り〟をつけて参加するというものらしい。
なんなのそれは?
しかも因縁のある相手からとなると少しばかり、いや、かなり気が重くなる。
「大丈夫ですか? シャーロット様」
「あまり大丈夫じゃないわね。あのローズ・カペルからの招待だもの」
「過激な方ですからね……」
リコリスは心配そうに眉根を寄せた。
先日は一応表面上取り繕っていたものの、弟との婚約破棄をいまだに根に持っているのが分かる。
自分の弟が全面的に悪いとはいえ、やはり思うところがあるのだろう。
「はぁ……憂鬱だわ」
溜息をつきつつ、とりあえずは侍女長に相談をすることにしたのだった。
この離宮の中で、侍女長は数少ない常識人。
ローズ上級妃奇襲事件後すぐに私の指示に従って、使用人たちを再教育してくれたことも大きい。
〝再教育〟といっても、叱り付けるようなものではなく、勤務態度の見直しと意識改革――そして私に対するアンケート調査。
侍女長は全てをその日のうちに実施してくれた。
仕事が早くて助かるわ。
結果は、思った通り。
私に反感を抱いていた一部の使用人が見事にあぶり出された。
『こんなにいるのね』
『申し訳ございません』
『あら、侍女長が謝る必要はないわ。人が何を思っていようと自由なんですもの。そうでしょう?』
『……はい』
『逆に感心しているくらいよ』
『感心ですか?』
『ええ』
侍女長の目には戸惑いの色を宿しつつも、表情は水面のように静かで呼吸すら乱れを見せなかった。ただ視線だけが、控えめに『その判断基準を伺ってもよろしいでしょうか?』と問いかけてきた。
『アンケートを二項選択式にしていたでしょう』
『はい』
『記入するアンケートなら取り繕ったでしょうけど。〝はい〟か〝いいえ〟の選択式に関しては正直に答えるものよ。まぁ、今回は事前説明もないまま行ったもので、離宮の者たちも虚を突かれて正直に選んだんでしょうね』
あえて急かして書かせたことで「考える」ということをさせなかった。
ある意味で思考能力を失わせたといえる。
それが功を奏したのだろう。
『シリル様は、とても人望のある方のようね』
私の言葉に侍女長は、静かに視線を伏せた。
言わんとしていることを理解したのだろう。
『彼女たちは、早急に異動させておきます』
どこに、とは問わない。
前の上級妃の住まう場所に異動させる――それ以外にないのだから。
つまり、私に反発している使用人たちを、ここから追い出すということ。
もっとも、使用人たちにしても不満を抱えたまま私の屋敷に仕えるより、慕っているシリル中級妃のもとへ移れるのだから、嬉しいはず。
結果的には、互いにとって悪くない話だ。
仕事のできる侍女長で助かるわ。
『お願いするわね』
反抗的な使用人は一掃することに成功し、離宮の空気は初日より幾分マシになったように感じていた。
その矢先にコレだなんて。
ローズと話すことなんて何もないのに。
はぁ~~……。
これも妃としての牽制?
「私が一番上だ」とか?
「お前は下だ」とか?
巻き込まないでほしいのに。
本当に面倒だわ。
「〝紅薔薇の髪飾り〟でございますか。これは困ったことになりました。よりにもよって、あれをおつけになってのご参加を促してくるとは……。想像の範囲を些か超えておられます」
侍女長の眉が一瞬だけ寄った。
言い方からしてあまりよろしくない部類だと分かる。
「何かあるの?」
何事かと尋ねると、侍女長は言いづらそうに口を開いた。
「実は……この『紅薔薇』というのは、ローズ妃様のお住まいである『赤の離宮』のかつての呼び名なのでございます」
「そういえば、確か、昔は上級妃の定員は三名だったと聞いたわ。その時の名残りということ?」
「はい。以前は『黄の離宮』がございました。三つの離宮はそれぞれの『色』に合わせた薔薇をシンボルとしておりました。赤の離宮は『紅薔薇の離宮』、白の離宮は『白薔薇の離宮』、黄の離宮は『黄薔薇の離宮』と呼称されていたのです。各離宮は茶会を催す時には必ず『紅薔薇茶会』、『白薔薇茶会』、『黄薔薇茶会』と名を冠し、それぞれの上級妃様方は『自らの色』を装う場でもございました。……ゆえに、茶会の主催者である上級妃を示す『色』と『花』を他の上級妃が身にまとうのは、大変な失礼にあたります」
「失礼、ねぇ」
「はい、暗黙のルール……と申しましょうか。随分昔の慣習ですので、今では知っている者は少ないはずです」
侍女長の言葉に「なるほど」と、納得した。
だからこの離宮は至る所に白薔薇が飾られているのかと、今更ながら理解した瞬間だった。
これは、恐らく私に対する宣戦布告だろう。
白薔薇の離宮の主人が紅薔薇の飾りをつけるというのは、つまりそういうことなのだ。
喧嘩売られている。
あのローズが考えそうなことだわ。
マウントを取ってくるわね。間違いなく。
それ以外に考えられないもの。
一昔前の上級妃の慣習を持ち出してくるだなんて。
面倒臭いことこの上ないわ。
どうしてこうなったのかと頭を抱えたくなった。
参加してもしなくても面倒なことになりそうだと、思わず遠い目になってしまう。
かといって馬鹿正直に紅薔薇の髪飾りをつけて参加すれば、それこそローズの思う壺。
これから先ずっと彼女の風下に立たなければならなくなるのは目に見えている。
それだけは絶対に嫌だ。
そんな思いもあって、お茶会の欠席を申し出ることにした。
「お断りしてちょうだい」
「しかし……」
「招待されたとはいえ、欠席してはいけないという決まりはないわ。そうでしょう? まして、彼女は上級妃。正妃ではないわ」
渋る侍女長にきっぱりと断る。
わざわざこちらが折れなければならない理由はない。
これで彼女が正妃なら話は別だけど、残念ながらそうではない。地位的には同じ上級妃。つまり対等な立場にあるわ。ここは譲るべきではない。譲ったら最後ともいうけれど……。
無理だわ。
だって、ねぇ。
どう考えても分が悪すぎる戦いだわ。
敵の陣営にたった一人で乗り込むようなものよ。
相手側の力量もイマイチつかめていない状況ではね。
和気あいあいとした茶会には絶対にならないと想像が付く。
もしかすると、弟の件を持ち出してくる可能性だって無きにしも非ず。
あらぬ誹謗中傷をされるかもしれないし……。
そうなれば、私だって黙ってはいられない。
当然、反撃をするわ。
……収拾がつかなくなるでしょうね、きっと……。
「シャーロット様はそれでよろしいのですか?」
確認するかのように問いかけられた。
案じるような声で問いかけられた。あれこれと考えを巡らせている姿が、侍女長には悩んでいるように見えたのだろう。
答えは決まっている。
「ええ、構わないわ」
それ以外にいい案が思い付かない。
行く、という選択肢は皆無。
ここは、逃げの一択しかないわ。
「それならば」と、侍女長は頷いたのだった。
本当に仕事の早い侍女長だとスムーズに物事が進むわね。
◆◇◆
《ローズ上級妃視点》
赤の離宮。
深紅の絨毯が敷きつめられ、王家の紋章を象った深紅のタペストリーが壁一面に飾られ、天井には金細工の装飾が輝く豪奢な一室で、私は侍女の報告を受けた。
「なんですって!? 来ないですって?」
「はい。白の離宮からは欠席の連絡が入りまして……」
「何故!?」
「わ、分かりません。ただ、欠席するとだけ……」
「~~っっ!」
欠席?
私の茶会を? 〝紅薔薇茶会〟を?
「……ふざけているの?」
あり得ないわ。
この私の誘いを断るだなんて。
「新参者の妃の分際で……。この私に逆らうと……?」
そんなことが許されるとでも?
私を誰だと思っているの!
次期王妃に向かって無礼な!
「ねぇ」
「は、はい」
「紅薔薇の髪飾りをつけてくるように伝えたわよね?」
「は、はい」
「本当?」
「はい」
「それに対して欠席? 挑発しているの? 私に?」
これは、私に逆らうという意思表示。
宣戦布告されたのも同然の行為だわ。
後宮の頂点に立つ私へ、挑もうとでも?
まさか、王妃の座を狙っていると……?
上級妃になったのはその布石だとでも?
無欲な顔をして腹の立つ!
どこまで人の神経を逆撫ですれば気が済むの!
弟のことだってそうよ!
可哀想なウツケット。
望まない婚約を強いられたせいで、道を踏み外してしまった可哀想な子。
だいたい、ウツケットが侍女と恋仲になってしまったのだってシャーロットのせいよ。
シャーロットが弟の心を繋ぎ留めておけなかったことがそもそもの原因じゃない!
シャーロットに女としての魅力がないせいで、ウツケットは侍女に走ってしまったのよ!
侍女だってそう!
弟が見初めたのは、シャーロット付きの侍女だった。
──『姉上! 僕は彼女と結婚します!』
──『名前は、エデン! 僕の愛する女性です!』
頬を赤らめて報告する弟は可愛かったわ。
詳しく聞けば、エデンという侍女は子爵令嬢だとか。
──『姉上に生まれてくる子供の名前を付けてほしいと言っているんだ』
──『未来の王妃である姉上に、ぜひに、って』
名付け親に、私を指名してきたわ。
お父様ではなく、私に。
最初は図々しいと感じていたけれど、よくよく弟の話を聞いて納得したわ。
公爵より、将来の王妃に願い出るのは当然のことだったわ。
──『エデンは姉上に憧れているみたいなんだ』
──『最近は姉上のことばかり話すんだよ』
家格はまったく釣り合わなかった。
けれど、ウツケットが『彼女でなければ』と力説するだけはあって、なかなか、道理を弁えていることは分かったわ。少なくともシャーロットをはじめとする、カールストン侯爵家の者たちとは違う。
あの侯爵家は、私たちの素晴らしさを理解しない。
カペル公爵家との縁組がどれだけ凄いことなのかを、分かっていなかった。
ウツケットとの婚約が整い、両家の顔合わせの場。
そこで、私はカペル公爵家の歴史や功績を語って聞かせてあげたわ。
なのに――。
まったく気にも留めていなかった。
あり得ないでしょう!
私を誰だと思っているの!
本当に失礼極まる人たちだったわ。
あんな無礼な連中と親族になるだなんてと、内心不満に感じていたのよ。
弟が結婚を取りやめると聞いた時は「いいんじゃない?」くらいにしか思わなかった。
それなのに――。
『これはどういうことよ!?』
『落ち着きなさい』
『お父様!』
離宮に珍しく、お父様が訪ねてこられたわ。
「家族に関係する重要な話がある」ということで、後宮への出入りが許可されたみたい。
弟の結婚の件だと、想像は付いていたわ。
でも、まさか――弟が廃嫡されて市井に放り出されただなんて思いもしなかった。
しかも話はそれだけではなかったのよ。
『慰謝料? 賠償金? どういうことなのお父様!』
『ウツケットの有責なんだ。当然だろう』
『有責だなんて!』
『他になんと言えばいいんだ?』
『シャーロットが自ら身を引いたんじゃないの?』
『……ローズ、それは誰から聞いた』
『え……。ウツケットからだけど……』
『はぁ~~……』
私の返答に、お父様は脱力したように溜息をついたのです。
何かおかしなことを言ったかしら?
『いいかい、ローズ……。ウツケットが言うことを真に受けてはいけない』
『でも!』
『今後のこともある』
『え……?』
『援助金を返却しなければならなくなった』
『は……?』
『当然と言えば、当然だが、な』
お父様は眉間を押さえ、静かに告げてきた。
その声音は怒りでも叱責でもなく、長く積み重なった疲労を滲ませたもので、こんなお父様を見るのは初めてだった。
『数年前の災害で、領地が壊滅的な被害を被ったのは覚えているだろう? 元々、ウツケットとシャーロット嬢の婚約は、我が公爵家を助けるためのものだ』
そう言えば、当時、そんなことを言っていたような……。
陛下の妻になる前のことで、何かと忙しかったせいか、あまり覚えていないけれど。
『いずれ、親族になるということで何かと援助を受けていたんだ。……援助といっても、金銭だけではない。交易の便宜、紹介状、領地間の協力。挙げればきりがない。恩恵を受けておいてこの体たらくだ。恩を仇で返した我が家を見る目は、今後、厳しくなるだろうな……』
婚約がなくなれば、当然、援助もなしとなる。
その上で、今までの援助金の返還を求められているだなんて!
なんなのよ!
さらに驚いたことに、カペル公爵領は復興の途中らしく、今、侯爵家に手を引かれたら立ち行かないとのこと。
まだ復興していなかっただなんて……。
呆然とする私に、お父様は「元に戻すには莫大な資金と時間がかかる」のだと。
『ローズ。荒れた土地というのは、建物を直せば終わりではない。人が戻り、産業が息を吹き返し、交易が再び動き出すまで……十年、二十年かかることも珍しくない』
二十年……。
想像しなかった年数に、時が止まった気がしたわ。
お父様が後宮に来たのは、私にそれらのことを説明するだけではなかった。
万が一、弟から連絡をもらったとしても決して助けてはいけないと、忠告をするため。
そして、領地の復興について王家の力を借りるため。
『もう、私一人ではどうしようもないのだ』
力なく吐き出されたその言葉は、いつも威厳のあるお父様の姿とは似ても似付かないものだった。
お父様を責めるわけにはいかない。
災害が起こったのは、お父様のせいではないもの。
でも、実家が資金難になったことで、私の王妃への道は遠のいてしまった。
はっきり告げられたわけではないわ。
だけど、陛下の言葉には「そういう理由がある」と匂わされるのよ。
許せない。
私以外に誰が王妃になるというの!
王妃に相応しい者など、このローズしかいないというのに!
これも全部。
全部、ぜ~んぶ、シャーロットのせい!