追放された侯爵令嬢の幸せと、彼女を捨てた者たちの末路
第05話 噂の王太子妃【仕立屋の娘視点】
王都の冬は冷えるけど、商人通りはいつも通りにぎやかだった。
露店には焼き菓子の匂いが漂い、朝の市場では魚と野菜の値段で母さんたちが喧嘩してる。私は仕立屋の父さんの手伝いで、絹の反物を届けに広場の貴族屋敷まで向かっていた。
「ねえ、知ってる? 王太子殿下の婚約者だった、あのセレスティア様――」
すれ違った洗濯女たちが、そんな言葉を交わしているのを耳にした。
セレスティア様――私が、小さい頃からずっと憧れていた人。
金色の髪と深い青の瞳、堂々としていて誰にも媚びない気高い令嬢。
民の話をきちんと聞いてくれて、税の見直しを進めてくれたって父さんも何度も言ってた。
でも――今、街で囁かれているのは、全然違う噂だった。
「……内通だってさ。隣国に王国の機密を漏らしてたらしいよ」
「ふん、頭が良すぎる女は信用ならないってね」
「自分の立場を利用して、こっそり金も動かしてたとか」
「表向きは優等生でも、裏じゃ悪女だったのよ」
「王太子様も、よくあんな女を切ったわよね。見る目あるじゃない」
「そもそも、政務に口出す女なんて、王妃にふさわしくなかったのよ」
「愛人の方がずっと可愛げがあるって評判よ。立ち居振る舞いも柔らかいしねぇ」
「やっぱり、女は愛嬌よ愛嬌」
「上から目線で民に説教してたくせに、結局裏では売国奴だったなんてね」
「ざまぁみろって感じ。追放じゃ甘すぎるくらいだわ」
みんな、まるでそれが確かな真実であるかのように話している。
声を潜めるでもなく、得意げに、嘲るように。
王太子妃候補だった令嬢様が地に落ちたことが、彼女たちの日常を鮮やかに彩る娯楽であるかのように。
怖かった。
つい数日前まで、「次期王妃はセレスティア様で決まりよね」って言っていた大人たちが、手のひらを返して彼女を悪女扱いしている。
……そんな、はずない。
あの人が、私たちの生活を良くしようとしてくれたの、知ってるのに。
王宮の子どもたちに読み書きの教育を取り入れようって、言い出したのもあの人なのに。
どうして――どうして誰も、味方しないの?
「おい、セリナ! 何してんだ、はよ届けに行け!」
父さんの怒鳴り声に我に返り、私は足を動かした。
心臓が、ぎゅっと痛い。
(……私なんかが、何か言える立場じゃないけど)
けど、何も言わずに黙っていることが、どうしようもなく罪に思えた。
その夜、商人街の宿屋では、もっとおぞましい話が飛び交っていた。
「国外追放だってさ。処刑にならなかっただけマシなんじゃねえか?」
「いやいや、甘い甘い。あれだけ王家を裏切ったんだ、首をはねるべきだっただろ」
「お前知らねえの? あの女の親父――アルセイン侯爵、貴族派の連中からも見放されたってさ。家も地位も終わりだよ、終わり」
「ふっ、政務に口出す女の末路なんてだいたい決まってんだよ。出しゃばりは嫌われるの」
「王太子様も、ようやく目が覚めたってわけだ。新しい愛人の方がずっと上品で可愛げがあるしな」
「今の王妃様、すっごく気が利くらしいじゃん。料理とか裁縫も完璧で、おっとりしてて……ま、男はそういうのが好きなんだよね」
「セレスティアとかいうやつ、最初から鼻についたんだよな。偉そうに民のためとか言ってさ、裏じゃ何やってたか」
「結局、あの女のせいで王国が危うくなったんだ……なあ、まじで処刑じゃないだけありがたいと思えよな」
――まるで、みんなが最初から彼女を疑っていたかのような口ぶりだった。
誰一人、「本当にそうなのか?」なんて考えもしない。都合の悪い真実よりも、耳触りのいい噂の方が気楽で、盛り上がるから。
それを聞きながら、私はこっそり下を向いた。
誰にも気づかれないように、小さく、自分に言い聞かせるように。
「……セレスティア様は、そんな人じゃない……」
だけど、その声は誰にも届かない。
誰も聞いてくれない。誰も立ち止まってくれない。
噂は真実を飲み込み、正しさは声を失う。
この国で正しい人が勝つことなんて、もう――ないのかもしれない。
赤い王宮の絨毯を、セレスティア様が歩かされているのを思い浮かべた。
堂々としていたあの人が、あの誇り高い背中がどんな思いで【追放】を受けたのか――私には、知る由もない。
だけど、だけど……
心の中で、私はずっと叫んでいた。
(……ごめんなさい。あの時、誰も信じてあげられなくて……私も、声を上げなかった。黙って、見ていただけだったから)