追放された侯爵令嬢の幸せと、彼女を捨てた者たちの末路

第53話 これから彼女とは【将軍視点】

 鼻をつくような戦の匂いが、ようやく風に流されて薄くなった。
 辺境の砦に、隣国の若き国王であるアルベルトがやってきたのは三日後のことだ。
 連れてきた護衛はほんの数人。
 勝者の余裕か、それとも俺を心の底から信じているのか。
 ……まあ、どちらでもいい。
 俺は応接間の長椅子に深く腰を下ろし、向かいに座る男をじろりと睨みつけた。
 この前もあったが、相変わらず変わらねぇ、無駄に整った顔だ。
 王族らしい落ち着きと、何を考えているのか分からねぇ底の深い目をしている。

「色々とありがとうな、カイ」
「……ああ」

 短く言葉を返す。
 王都は落ち、王妃は自ら命を絶ち、王太子は処刑された。
 あの愛人も同じ末路を辿ったと聞いている。
 血は流れたが、アルベルトは略奪を厳しく禁じ、何よりも街の秩序を優先した。
 だからこそ、俺はこうして大人しくこの男と向き合っているんだ。

「約束通りだな」

 俺が言うと、アルベルトは「当然だ」と言わんばかりに肩をすくめた。

「民は守ると言ったはずだ」
「王家は、俺が跡形もなく終わらせた」
「ああ。腐りきった部分は、もうどこにも残っていない」

 淡々としたやり取り、感傷なんてねぇ。
 俺たちは昔からこうだ。
 戦場で出会い、剣を交え、たまに酒を酌み交わしては、互いの力量だけを認め合ってきた。
 アルベルトはふと、視線を窓の外へ向けた。
 そこからは、砦の中庭が見える。
 洗濯物を干している女たちの姿。その中に、ひときわ目を引く姿があった。
 昼間の陽光を受けて、淡く、柔らかく光る髪。
 サーシャと並んで、笑いながら大きな布を広げている。

 ――セレスティアだ。

「……綺麗な人だな」

 アルベルトがさらりと言いやがった。
 その瞬間、俺の中で何かがピキッと鳴った。

「おい」

 低く威嚇するように言うと、アルベルトはわざとらしく横目でこちらを見てきた。

「何だ?」
「……余計なことは言うな。口を慎めよお前」
「事実を述べただけだ。そんなに怖い顔をするなって」

 アルベルトがくすりと笑う。
 全く……気に食わねぇ。
 俺は無意識に、こいつを殺さんばかりの勢いで睨みつけていたらしい。
 アルベルトは楽しそうに目を細めた。

「安心しろ。取ったりはせんよ」
「当たり前だ。ぶち殺すぞ」

 吐き捨てるように返した。
 あいつは物じゃねぇ。
 ……だが、誰かに奪われることを想像しただけで、腹の底が煮えくりかえるような熱い塊が突き上げてくる。
 アルベルトは話題を戻すように、椅子に深く背を預けた。

「本当に、王にならないのか?」

 ……ちっ、何度目だ、その質問は。

「ならねぇと言っている」
「王都の民は、お前を英雄として見ているぞ。傲慢な王太子を捕らえ、腐った王城を打ち崩した男だ。お前が立てば、国中の人間が付いてくる」
「俺はそんな器じゃねぇよ」

 考える間もなく即答した。
 玉座にふんぞり返って座る自分の姿なんて、これっぽっちも想像できねぇ。

「俺は辺境で過ごすので十分だ」

 王になる器じゃない。
 政治も、狐の化かし合いのような駆け引きも、王家の血筋なんてものも、俺は何も持っちゃいねぇ。
 ただ一本の剣と、守ると決めた意地があるだけだ。

「……あとはお前に任せるぞ、アルベルト」

 息を吐き、静かに告げると、アルベルトはしばらく俺をじっと見つめ、やがて小さく頷いた。

「王都は我々が再編する。貴族の特権を削り、税制を立て直し、腐った派閥はすべて掃除するつもりだ」
「民を泣かすなよ」
「分かっている」

 その目に嘘はねぇ。
 だからこそ、俺はこの男にすべてを預けると決めたんだ。
 しばし、沈黙が落ちると、やがてアルベルトが、また面白そうに窓の外を眺める。

「で」

 嫌な予感がする声色だ。

「愛しいセレスティアとは、これからどうなるつもりだ?」

 俺は舌打ちを必死に飲み込んだ。

「……決めるのは俺じゃねぇ」
「ほう?」
「彼女だ」

 あいつが自分で選ぶことだ。
 王都へ戻って平穏に暮らすのか、それともこの埃っぽい辺境に残るのか。
 俺の隣に立ってくれるかどうかも、全部あいつが決める。
 俺は、あいつに何も強制したくねぇんだ。
 アルベルトがふっと、優しげに笑った。

「随分と殊勝なことだ」
「うるせぇ」

 再び窓の外に目をやる。
 セレスティアが大きな布を広げようとして、風に煽られて少しよろけた。
 サーシャが慌てて支え、二人で顔を見合わせて笑っている。
 あの笑顔――王城にいた頃には、一度も見せなかった顔。
 肩の力が抜けて、心の底から笑っている。
 それを見ているだけで、俺の胸の奥までじんわりと温かくなるような気がした。

「……お前も、そんな顔をするんだな」
「……何のことだ」
「優しい顔だよ、カイ」

 俺はバツが悪くなって、ぷいと顔を逸らした。

「うるせぇ。ほら、さっさと帰れ」

 それ以上は一言も言わせねぇ。
 アルベルトは満足げに立ち上がった。

「王都の政治は我々が引き受ける。だが辺境には指一本触れさせない。ここは、お前の砦だ」
「当然だ……一歩でも踏み込んでみろ、タダじゃおかねぇ」

 互いに視線を交わす。
 ……これでいい。
 王家は終わる。
 だが、国という器は続いていく。
 王都は新しい体制で動き出し、秩序は少しずつ取り戻されるだろう。
 俺は玉座なんて望まねぇ。
 ただ、この場所を守る。
 中庭で無邪気に笑うあいつを。ここで懸命に生きる民を。
 それだけで、俺の人生には十分すぎるくらいだ。
 アルベルトが去った後も、俺はしばらく窓の外を眺めていた。
 白い洗濯物が風に大きく揺れている。
 その下で、セレスティアが太陽のような笑顔で笑っている。
 ああ、王様なんて柄じゃねぇ。
 あいつが笑うここが、俺の、生涯かけて守り抜く存在なのだから。
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