追放された侯爵令嬢の幸せと、彼女を捨てた者たちの末路

最終話 辺境の花嫁

 半年の月日は、長くもあり、また瞬きほどの短さでもあった。
 嘗て王都を飲み込んだ戦火の残滓は、隣国の王アルベルトの賢明な統治によって、緩やかに、けれど着実な再生の息吹へと書き換えられていた。
 そして今日――辺境ではこれまでの歴史の中で最も華やかで、そして最も温かな空気に包まれていた。
 広場には色とりどりの野花が飾られ、大樽から溢れんばかりの酒が振る舞われている。着飾った兵士たちや、砦の周辺で暮らす民たちが、朝から落ち着かない様子で行き交っていた。
 私は鏡の前に立ち、白いドレスの裾をそっと整えた。
 昔の私なら、もっと重厚な絹や、首が折れそうなほどの宝石を身につけていただろう。
 けれど、今身に纏っているのは、砦の女性たちが一針ずつ丁寧に縫い上げてくれた、軽やかで清楚なドレスだ。

「……セラ、本当に綺麗……」
「ありがとう、サーシャ!」

 後ろで手伝ってくれていたサーシャが、潤んだ瞳で私を見つめていた。
 私は彼女の手をそっと握り、静かに微笑む。

 その時、扉が開き、一人の男が部屋に入ってきた。
 黒い正装に身を包んだその姿は、いつもの鎧姿よりもずっと凛々しく、どこか窮屈そうに見えて笑みがこぼれてしまう。

「カイ様」

 カイ様は私をひと目見るなり、まるで石像のように固まってしまった。
 そして、照れ隠しのように顎をさすりながら、低く呟いた。

「……驚いたな。今日のお前は、眩しすぎて直視できねぇぞ……なんだ、魔術か?」
「魔術じゃありませんよ、将軍様!ちょっと、しっかりしてください!」
「フフ……将軍様も、今日はとても素敵ですよ」
「よせ。慣れない格好で、戦場にいるより肩が凝る」

 しっかりしろとサーシャが言っているが、私はそんなカイ様の姿を笑いながら見つめた。
 いつも以上に違うカイ様の姿に、私も少しだけ見惚れてしまったなんて、言えない。
 そのまま、私の前まで歩み寄った。
 開け放たれた窓からは、広場に集まった民たちの歓声が風に乗って聞こえてくる。

「準備はいいか。みんなが待ち構えているぞ」
「はい。どこへでも」

 彼に導かれ、私たちは広場へと向かった。
 姿を見せた瞬間、地を揺らすような拍手が沸き起こる。
 兵士たちが剣を掲げ、子供たちが花びらを撒き、民たちが口々に祝福の声を上げる。

「将軍様! セラ様! おめでとうございます!」
「おめでとうセラさん!」
「セラ様!将軍様!おめでとう!!」

 かつて王都で受けた、義務的な万歳三唱とは違う。
 それは、一人一人の顔が見えた、美しい光景。
 広場の中央、古びた祭壇の前で、カイ様は私の両手を大きな掌で包み込んだ。
 その手は硬く、数多の戦いを潜り抜けてきた傷跡がある。
 けれど、今の私にはどんな宝石よりも尊く、信頼できる場所だった。
 カイ様は真っ直ぐに私を見つめ、静かな、けれど力強い声で告げた。

「……セラ。俺は不器用な男だ。王のような贅沢も、派手な暮らしも出来ねぇ。だが、この土地と、ここに生きる奴らと、そしてお前だけは命に代えても守り抜くと誓う」

 視界が少しずつ熱くなる。
 彼は私の瞳をじっと見つめ、一文字ずつ噛みしめるように言った。

「これからも、ずっと俺の隣に立っていてくれ」

 その言葉は、命令でも義務でもない。
 対等なパートナーとして、共に歩んでほしい――彼からの愛の告白だった。

「はい……喜んで。あなたの隣が今となっては私の居場所なのですから」

 私は、溢れそうになる涙をこらえ、はっきりと答えた。
 それと同時に再び沸き起こる大歓声。
 その中を、一人の伝令が静かに割って入ってきた。彼はアルベルト王からの親書を携えていた。
 届けられた祝辞には、隣国の王からの最大限の敬意と、これからの時代を象徴する言葉が記されていた。

『――旧王国の終焉と、新たな盟約を祝して。かつての王妃の盾ではなく、一人の自由な女性として選んだ道に、幸多からんことを』

 それは、過去のすべてとの決別であり、新しい歴史の幕開けを告げる言葉だった。
 カイ様が私の肩を抱き寄せ、私たちは共に空を見上げた。
 雲ひとつない青空に、白い鳥たちが羽ばたいていく。
 もう、奪い合うことも、比べられることも、偽りの笑顔で自分を殺すこともない。
 名前を捨てて手に入れたのは、何にも代えがたい「自分自身」という誇りなのだから。

 私は、隣で笑う愛しい人の手を強く握り返した。
 この辺境の地から、私たちの新しい生活が、今、始まっていくのだから。
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