恋をしない秘書と恋に落ちた御曹司の甘くて危険な攻防戦
 ホテル内に一歩足を踏み入れると、ピカピカに磨き上げられた大理石の床に、私たちの足音がコツコツと響いている。エレベーターに乗り込むと、副社長は迷うことなく目的の階のボタンを押した。

 海外から帰国したばかりのはずなのに、その動作には一切の迷いがない。まるで何度も訪れたことがあるかのような慣れた様子に疑問を覚えたけれど、その理由はすぐにわかることになった。

――チンッ

 目的のフロアに到着し、エレベーターの扉が静かに開く。

 そこには落ち着いた空気が流れていた。床には厚みのある絨毯が敷かれ、足音はほとんど吸い込まれてしまう。間接照明に照らされた廊下を進むと、突き当たりには重厚感のある木製の扉と、品の良い暖簾が掛けられていた。

 どう見ても高級店だと物語っている。

「あの……ここは?」

 私が副社長に尋ねようとした、その時だった。

「時任様! お久しゅうございます」

 店内から着物姿の男性が足早に姿を現した。背筋をぴんと伸ばした立ち姿には品格があり、一目でこの店の責任者だとわかる。

「支配人、お久しぶりです」

 副社長が穏やかに微笑む。

「ようこそいらっしゃいました。海外へ行かれていると伺っておりましたので、お顔を拝見できて嬉しゅうございます」

 支配人と呼ばれた男性は目を細め、感慨深げな表情を浮かべた。その口ぶりからして、二人は昔からの付き合いなのだろう。

 しかもただの顔見知りではない。副社長を迎える支配人の態度には、常連客以上の親しさと敬意がにじんでいた。
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