カットNG、恋はOK ~髪フェチ美容師は失恋女子を放っておけない~
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閉店後、蒼人は一人でシザーを磨いていた。最後までいたスタッフもすでに退勤している。薄暗い店内で道具の手入れを行う蒼人を彼らは「不気味だからやめた方がいい」と言うが、むしろひとり薄暗い空間で作業する方が落ち着くのである。客との会話を行うよりも、髪や道具と語り合う方が蒼人の性に合っているのだ。客商売を行っている身としては難ありだが、彼の美容師としての技術とサロンオーナーとしての経営手腕で周囲を黙らせている。
蒼人が人間に興味を持つことは滅多になかった。が。
――今日のラストの客……美容師として十年以上やってきたが、これほどの髪質はそうそう見なかった。
美容師になって以来、髪に惚れたことは何度もある。素材として、素晴らしいと思う髪に出会うたび、手を入れてみたいと思う。それは職業的な感覚だと思っていた。だが、今日の客“浅倉栞奈”は違った。
あの絹のような艶やかな髪を切りたくないとなぜだか思ってしまった。守りたいと思った。
それがどういう感情なのか、蒼人にはまだわからない。客からしたら失恋した相手に髪を切るなと口出しした美容師など不可解だろう。
――次も俺が担当します、なんて余計なことを言ってしまっただろうか。
シザーを磨く手を止めて、蒼人は窓の外をしばらく眺める。次来たときに、それでも切りたいと彼女が言うのなら蒼人は素直に鋏を手に取るだろう。
これは一度きりで終わりたくないと思ってしまった蒼人のわがままでしかないのだから。