終電を逃した夜、鑑賞用の王子様は婚約者にした私を離さない
(……いや、だから、あたしはあくまでフリ……世界が違いすぎる)

「お似合いですこと」
「九条家と渡瀬家なら申し分ない」
「綾人さんと麗華さん、本当に絵になるお姿ですわね」 

あれほど近くに感じていた香りも熱も、今は消えてしまっている。
 
「麗華さんには、今後もワタセホテルを支えていただきたいと思っております」

会場から、期待を込めた拍手が起こる。
  
「ですので、是非、息子ともども、皆様にもご周知頂きたく——」

周りから口々に、囃し立てるような歓声が広がる。
 
「おお~!!」 

その後のスピーチは聞こえてこなかった。
手にもつグラスの冷たさも、拍手の音も、周りの歓声も、何も届かない。

(……なんでこんなに苦しいんだろ……)

自然と足下に視線が落ちる。
暗い視界に、アンクレットの輝石が煌々ときらめく。
 
——まるで、綾人がそこにいるみたいに
 
はっと顔を上げると、壇上で綾人だけが、不機嫌さを隠そうともしない。
ふと視線が重なり、彼の唇が小さく動く。

——完璧に演じきってやるわよ
——見ててやるよ、志穂       

「……そうだったわね」

グラスを一気に仰ぐと、あたしは近くにいた給仕係に預ける。
勢いそのままに、壇上へ向かっていく。

体がおかしいくらい震えるし、お腹の奥は変に痛い。
でも、仕事でも緊張する場面なんていくつも越えてきたじゃない。

(フリだって分かってるわよ……でも、やるしかないでしょ)

あたしは余裕のある微笑みを浮かべながら、登壇していく。
響くヒールの音と、会場のどよめきを全て受け流しつつ、迷わず綾人の隣に立つ。
彼の手にあるマイクを取ると、そのまま一礼して、まっすぐ見据えた。

「ご来場の皆様、お初にお目にかかります。私は、綾人さんの婚約者、藤原志穂と申します」               

凜とした精一杯の挨拶に、一瞬、会場が静まり返る。

(うわぁぁ・・・・・・だめ、怖がるなあたしっ)
 
自分で作った張り詰めた空気に、腰が引けそうになる。
不意に、隣から腕を引かれた。
スパイシーなウッド系の香りと一緒にぐっと力強く抱きしめられる。
誰かなんて分かりきってる。
名前を呼ぶより先に、にやりとした顔であたしのマイクに寄せてきた。

「改めてご紹介いたします。彼女は私の婚約者で、藤原志穂さんです」
「皆様、以後どうぞお見知りおきください」 

今日一番、爽やかかつ圧のある声が会場中に響く。 
そして、空気が静かにさざ波立つ。     

「えっ……?」
「婚約者って……あの女性が?」
「麗華さんではなく?」

刺すような視線を浴びながら、あたしは心の中で叫んでいた。

(うわぁぁ……言っちゃったぁぁぁ……っ!!)
         
社長や九条さんもだが、隣の綾人の反応が一番気になる。
代わりに精一杯の笑顔で前を向く。
 
——もう、後には引けなかった。
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