終電を逃した夜、鑑賞用の王子様は婚約者にした私を離さない
午後からも、思ってた以上に捗らなかった。
キーボードを打つ手は動くものの、クオリティは褒められたものじゃない。
 
(周りにはバレてないのが、あたしのなせる技よね……) 

(効率悪いし、切り上げるか……)

ただ、素直に足は帰る方向に向かない。
気付けばビーナスベルトの扉の前に立っていた。
いつもより重く感じつつ、引いて中に入る。

「いらっしゃいませ」
「……こんばんは、マスター」
「あれ?藤原さん?」
「あっ!」  

マスターの前に座っていたのは、阪野先生。
まさか、次の施術予約の前に会うとは思わなかった。

「藤原さんもここによく来られるんですか」
「はい、阪野先生も?」 
「綾人が連れてきてくれて……それ以来通っています。今日は一緒じゃないんですか?」
「……そう、ですね」
 
誰かさんとは違う、親しみやすい笑顔で隣のスツールを指す。
何となく気まずくて、まだ綾人に連絡を入れてなかった。
シンプルに「帰り遅くなる」とだけ入れて、スマホを伏せる。 
 
「志穂ちゃんはいつもの?」
「うん、ありがとうマスター」

店内に流れるジャズに耳を傾けながら、マカダミアナッツを口に含む。
ちょうどいい塩加減も相まって、体がリラックスしていく。 

「お疲れですね、あいつの側にいるの大変でしょ?」
「そうですね」

ポロリと出た正直な本音に、あたしは思わず口を抑えた。
ところが阪野先生は勿論、マスターまで笑い出す。

「隠さなくて大丈夫ですよ。俺もずっと振り回されっぱなしですから」
「阪野先生もですか?……ほんとにあいつはっ」
「この前のパーティーの話も聞きましたよ。お疲れ様でしたね」
「そうっ……それっ!緊張と重圧で心臓潰れるかと思いましたっ」
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