好きなのは匂いだけだったはずなのに。〜完璧上司の独占欲が止まりません〜
午後の会議を終えて、会議室の後片付けをしているとふと椅子にかけられたままのジャケットに気付いた。

それを手に取った瞬間にふわりと香る私の好きな匂い。
この香りがするのは一人しか思い当たらない。
つい、と無意識に顔を寄せると、

「水瀬?」

後ろから聞こえた白石部長の声に、一瞬にして顔が青ざめた。ぎぎぎ、と油の切れた機械のような動きで振り返る。

「し、しししらいし部長、」

人のジャケットに顔を寄せて匂いを嗅ぐなんて変態極まりないところを上司本人に見られるなんて。
どう考えても弁解の余地もない。

「いや、あの、これは……!」

緊張で口の中がカラカラと乾く。
どんな言い訳を並べても苦しくて、その後の言葉が続かない。

「俺のジャケットがどうかしたか?」

私が手に持っているものに気付いた白石部長は、怒っている様子もなくただただ不思議そうに首を傾げた。

「何かついてたか?」
「ついてません!」

反射的に否定して、ハッと口を塞ぐ。

沈黙が痛い。
きっと数秒しか経ってないのに、体感ではもう何十分も経った気分だった。

もう誤魔化せない。

「私、」
「うん」
「………匂いが、好きなんです。昔から鼻が良くて……その人の匂いを覚えるのとかも得意で、だからその、」

目を合わせることなんて出来なくて、おろおろと地面を泳ぐ。
その先の言葉を言おうと思うと、頬が熱くなる。

「その、」
「……その?」

優しい相槌に背中を押されるように口を開く。

「白石部長の匂いが好きなんです……!」

……言った。言ってしまった。

「匂いが?」
「……はい」

声が震えそうになる。

「……昔から、人より鼻がよくてそれで」

匂いを嗅いだだけでその人の私物がわかったり、通った道までわかるときがある。

ーー紬ちゃん、気持ち悪いよ。

小さい頃に言われた何気ない言葉が棘となって、今も痛みを残してくる。

「……勝手に匂いが好きとか気持ち悪いですよね」
「そんなわけないだろ」

自然と俯いていた顔を上げて、白石部長を見つめる。
一瞬、その瞳が揺れた気がしたけどすぐに目を伏せて笑った白石部長に隠れてしまう。

「恥ずかしいけど、嬉しいよ」
「え?」
「俺に話してくれたことも、俺の匂いが好きって言ってくれたことも。ありがとう、水瀬」

柔らかな瞳に、泣き出してしまいそうだった。
お礼を言いたいのは私なのに、口を開いたら涙がこぼれそうでぶんぶんと首を振ることしか出来ない。

「……俺を避けてたのはそれが原因?」

ぎくりと肩が跳ねる。
……やっぱり気づかれてた。

「それは、その……はい」

尻窄みになっていく声。
頬を染める私に白石部長が目尻を下げて笑う。

「そうか。理由がわかって正直安心した。……俺が何かしてしまったのかと思ってたから」
「白石部長はなにも」
「ああ」

誰にも打ち明けたことのなかった秘密を引かれなかったのが嬉しくて顔をあげると、白石部長が一瞬曇った表情をした気がした。

「白石部長……?」

私の声に、白石部長は綺麗な笑みで笑っていた。
けど、どうしてだろう。
その笑顔は、少しだけ寂しそうに見えた。

「ーーそうか。匂いが好きだから、近くにいたのか」

白石部長が目を伏せて小さく呟く。

「俺じゃなくて、俺の匂いだけ……か」

苦しそうに眉を寄せて呟かれたそれに、その時の私は気付かなかった。
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