離縁したはずですが、元夫が再会後に溺愛してきます
1 、運命の再会

『――それでは、今日のビジネス特集です。いまホテル業界で最も注目を集めている若きリーダーをご紹介します。創業わずか二年で急成長を遂げた、新進気鋭の社長、式島樹さんです』

テレビから聞こえてきたアナウンサーの紹介に、私は慌ただしく動かしていた料理の手を止めた。

(樹さんだ……)

コンロのスイッチを切って、テレビの前に駆け寄ると、朝のニュース特番を齧りつくように見た。

『私たちのホテルは 〝泊まる場所〟 ではなく〝思い出が詰まったアルバム〟のような場所にしたいんです』

ホテルのコンセプトを聞かれ、爽やかに微笑みながら答える樹さんに釘付けになった。声を聞いたのは四年ぶりで、好きだった低く艶のある声を思い出した途端、かつての彼と過ごした日々の記憶が蘇った。


樹さんと初めて出会ったのは、就職先のホテルだ。
関東圏に二十カ所ほど事業展開している深井ホテルリゾート。

駅近で大浴場があり、ホテルのデザインはシティホテルにもかかわらず和風コンセプトだ。ホテルに入っているレストランは和食メイン。浴衣の貸し出しもあって、都会の便利さを備えつつ気軽に日本文化体験をできると、外国人観光客にも人気だ。私は新卒で入社後、東京、大手町のフロント業務に配属され、そこで本社勤務で定期的にホテルに巡回に来ていたのが営業職の樹さんだ。

法人や旅行代理店へのエージェント営業を任されており、その時の樹さんは二十六歳。

まだ中堅とも言い難い年齢なのにチームを統括していて、責任感が強く頼りになる人材として、同僚や後輩からも信頼されていた。仕事へ臨む姿勢も羨望されていたが、樹さんはそれだけではなかった。背がすらりと高く、くっきりとした二重にすっと通った鼻梁。彫刻のように整った容姿をしていて、樹さんを知る人は誰もが彼の容姿も褒め讃えた。

彼の特別になれたらと憧れる女性は多く、私も樹さんのどこか強さを含んでいるが物腰の柔らかい性格に惹かれたひとりだ。
彼と距離が近くなったきっかけは、就職して半年が経った頃の事だ。

宿泊予約は実際には入っていないのだが、取れたと勘違いをして来てしまうお客様の対応があった。

これは実はよくあることで、同じ系列のホテルだが違う地域を予約していたり、期限までに決済に進まずに、予約が自動キャンセルされてしまっていたり、手続きが完了していないことに気が付かない方など、予約が取れていない理由は様々だ。

ホテル側に非がないとしても、思ってもない緊急事態に気分を悪くされるお客様は多く、慎重に会話を進めないとトラブルに発展することもある。

これは社内研修でも必ず扱う題材で誰もが心に留めている案件ではあるが、その日のお客様は中年の男性で口調が強く、アルコールも入っているようで対応が難しかった。
私の伝え方が良くなかったのか、男性は怒りだしてしまったのだ。

あいにく満室で、部屋を用意してあげられない。その後もやんわりと断りつつ、宿泊代がさほど変わらず、比較的近いホテルを検索しておすすめする方法をとった。なんとか新しい宿泊先は確保できたが、男性はなにかと難癖をつけ、こちらの不手際をののしり、近場のホテルまでの移動にかかる費用を要求してきた。ちょうど助けを呼べるスタッフがおらず、対応に困っているところに現れたのが樹さんだ。

樹さんはスマートに宥め、新しく予約が取れたホテル方面へちょうど向かう用事があったと、社用車にお客様を乗せ連れ出してくれたのだ。
その場は収まり、後日そのお客様からは、仕事が上手くいかなく苛々していた、丁寧に対応してくれてありがとうと、謝罪と感謝のメールが届いた。

こんな樹さんの活躍はいくらでもある。しかし彼はそれを鼻にかけるタイプではなくいつも謙虚だった。格好よく頼もしい背中に憧れ、私もあの人のようになりたいと、より仕事に精を出した。

樹さんとの距離が近くなったのはそれからだ。顔を合わせるたびに業務以外の会話も交わすようになり、定期的に誘ってくれるので、食事も行くようになった。
樹さんに思いを寄せる人はたくさんいて、私はただの後輩ポジション。優しい先輩の誘いに勘違いして、実はすっかり恋してしまっている気持ちがバレないように、必死に自分を諫めていた。

色気のないことに、話す内容は主に私の仕事の相談ばかりで、本社に提案したい企画や改善提案に対するアドバイスをもらっていた。
そんな関係を一年ほど続けたある日、休日に樹さんとデートをすることになった。

仕事帰りは何度もあったが、休日に会うのは初めてだ。どんな服装がいいのか悩み、わざわざその日のために新調し、いつもより一時間早く起きて念入りに支度をした。

ドライブをすることになり、横浜まで車を走らせると、ホテルの高級レストランでフレンチを味わいながら、クラシックで格式ある空間と美しい夜景を楽しんだ。
その後、海辺の公園を散歩しゆったりとした時間を過ごす。彼は色とりどりの光を放つ観覧車と港の夜景をバックに「ずっと好きだった」と気持ちを伝えてくれた。

まさか両想いになれると思ってもいなかった相手からの告白は夢のようで、涙を浮かべ秘めていた自分の気持ちも打ち明けた。
それから二年、時々喧嘩もあったが幸せな付き合いを続け、のちに私たちは結婚をした。

樹さんは誰が見ても完璧な旦那様で、家庭では家事も協力的。出勤時のキスも欠かさず、帰宅時に毎日抱きしめてくれるまめな性格も好きで堪らなかった。

しかし長く一緒に暮らしていると、これまで見えてなかったことが垣間見えるようになった。
樹さんに問題があるわけではなく、仕事の面だ。

彼の社内評価は何の問題もなく満点なのに、同期より昇進が遅いこと。また、無理な仕事を押し付けられることが多いのか、急な出張も珍しくない。さらには樹さんの仕事の功績が、いつの間にか深井ホテルリゾート取締役の息子であり部長の、深井雄司の手柄になっていることがたびたびあった。それに気がつく社員は多かったものの、誰もが権力を恐れて口を噤むしかなかった。

樹さんが仕事で疲れを見せる時は、たいていそんな事情が絡んでいたが、それを本人に尋ねてもはぐらかされ、心配をしながらも見守るしかなかった。

思えば、すべてを見せてくれているようで、彼について知らないことはいくつもあった。
仕事の他に、家庭環境についても実は知らないことがある。義父は会ったこともなく話題にもあがらないので、離縁なのか、死別なのかも把握できていない。ただ聞いていたのは、居ないという事実だけだ。

義母には結婚前に挨拶をしたが、とても美人で優しい人という印象だ。独身用のマンションでひとり暮らしをしていて、ほのかに寂しそうな影を感じる人だった。いくら夫婦になったとはいえセンシティブなことはある。家族や親戚について話をしてもらえないことは多少気がかりではあったが、いつか打ち明けてもらえるまで待てばいいという気持ちだった。

そんな小さなもやもやを抱えつつも、新婚生活は順風満帆だった。
子どもが欲しいというふたりの思いは一緒で、時間の許す限り何度も体を重ねた。
樹さんは意外と嫉妬深く、強引なところがある。

毎夜、脳が溶かされるほど彼に深く愛され、胸いっぱいに満たされていた。
そして結婚から一年が経とうとするころ、ついに待望の妊娠となる。

その日仕事が休みだった私は、婦人科のあるクリニックで検診を終え、妊娠二か月と診断をもらった。
小さな赤ちゃんが写るエコー写真を宝物のように抱きしめ、樹さんが仕事から帰宅し報告する瞬間を今か今かと待ちわびた。

その日の樹さんはいつもより帰宅が遅く、これまでになく元気がないように見えた。
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