財閥令嬢の私が、三つ子の不良御曹司に世界を教えられるなんて
【side 紫苑】


午後九時を少し回った頃、ようやく俺は本社での仕事を終え、西園寺邸へ戻ってきた。

今日の商談はかなり重要な案件だったため朝からほとんど休む暇もなく、普段なら帰宅した瞬間に自室へ直行したくなるほど疲れているはずだった。

しかし、どれほど忙しい日であろうと、どれほど重要な仕事があろうと、私には毎日欠かさない習慣がある。

六花の顔を見ることだ。

正直に言えば、それが一日の楽しみだった。

だから俺はネクタイを緩めながらリビングへ向かった。

すると。

どこか聞き慣れたバイオリンの音色が聞こえてくる。

六花だ。

自然と口元が緩む。

しかし数歩進んだところで違和感を覚えた。

音がおかしい。

技術的な話ではない。

六花の演奏は昔から上手だった。

音程も安定しているし、表現力もある。

だが今聞こえてくる演奏には感情がなかった。

いや、正確には感情しかなかった。

心ここにあらずというべきか。

ただ機械的に弓を動かしているような音だった。

俺は少しだけ眉をひそめる。

そしてリビングへ足を踏み入れた。

広いリビングの中央。

六花はソファの近くに立ちながら、ぼんやりとバイオリンを弾いていた。

視線はどこか遠くを見ている。

楽譜を見ているわけでもない。

窓の外を見ているわけでもない。

ただ放心したように弾いている。

これは間違いなく何かあった。

俺は歩み寄った。

「六花」

六花が顔を上げる。

その表情を見た瞬間、確信した。

拗ねている。

かなり拗ねている。

「何かあったのか?」

できるだけ優しく聞く。

六花は数秒黙っていた。

そして次の瞬間。

「もう玲央兄様ほんとに酷い!」

盛大に爆発した。

俺は思わず苦笑する。

なるほど。

原因は玲央か。

珍しく分かりやすい。

六花はバイオリンを置くと、今日の出来事を一気に話し始めた。

学校帰り。

陽菜という友人。

ファミレス。

佐々木。

玲央への電話。

そして却下。

途中からほとんど愚痴になっていたが、俺は最後まで黙って聞いた。

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