『神の手を持つ社長は、隠れ限界オタクを鍵盤の上で転がす』
第二章:神の手の主と、至近距離の誘惑
「え……っ?」
私の口から、情けないほどマヌケな声が漏れた。
思考が完全にフリーズする。
ラグジュアリーな革張りの社長椅子に深く腰掛け、端正な顔立ちに極上の笑みを浮かべている男性。間違い ない。毎週、あの隠れ家バーで私の理性を木っ端微塵に打ち砕いていた、あのピアニストの彼だ。
昼の光の下で見ても、その美貌は恐ろしいほどに整っている。けれど、私の視線は彼の顔ではなく、デスクの上に組まれた【十本の指先】へと吸い寄せられた。
(ま、間違いない……。あのしなやかで長い指、清潔に整えられた爪、うっすらと浮き出る大人の色気を孕んだ血管の筋……。本物の、神の手だ……!)
脳内が大パニックを起こして限界オタクの叫びを上げそうになるのを、私は必死で抑え込む。
いや、待って。なんでピアニストの彼がここにいるの? しかも、秘書はさっきハッキリと「社長」って呼んだ。
「驚かせてしまったかな。一応、初めまして……と言うべきなのかな。スターライズの社長を務めている、一ノ瀬蓮(いちのせれん)です」
「し、しゃ……、しゃちょう……っ!?」
蓮さんは、バーでの気だるげな雰囲気とは少し違う、仕立ての良い高級スーツを完璧に着こなしている。そのギャップがまた破壊力抜群で、心臓が爆発しそうだ。
メディア露出をしない若き二代目社長の正体が、まさか夜な夜なバーでエモーショナルなJAZZを奏でるピアニストだったなんて、誰が想像できるだろうか。
「あの、一ノ瀬社長……。なぜ、私のような末端の者がこちらに呼び出されたのでしょうか。もしや、私が何か、重大な規約違反か何かを……」
私はパニックのあまり、最悪の妄想へと突き進む。まさか、あのバーで彼の指を凝視しすぎて、ストーカー認定されてクビを宣告されるのでは――。
ガタガタと震えそうになる膝を必死に隠し、営業部主任としての「完璧な仮面」を必死に繋ぎ止めようとする。
そんな私を見て、蓮さんは「くすっ」と低く、意地悪に笑った。
「規約違反? いや、そんなわけないだろう。大塚結衣主任。君の今期の営業成績はトップクラス、後輩の育成も完璧だと報告を受けているよ。我が社の大切なエースだ」
「は、はあ……。ありがとうございます……」
「ただね――」
蓮さんはそう言うと、組んでいた手を解き、デスクの上の高級な万年筆をすっと指先で転がした。
その瞬間、私の目は完全にロックオンされた。
万年筆の漆黒のボディに添えられた、滑らかな人差し指の曲線。ペン先を弄ぶ親指の、男らしい関節の節度。ただペンを動かしているだけなのに、まるで鍵盤の上でアドリブのJAZZを刻んでいるかのような、しなやかでエモーショナルな動き。
(う、美しすぎる……! 今すぐその万年筆になりたい……っ!)
営業部主任としての理性が、フェチおたくの野生の叫びによって一瞬で消し飛びかける。私の視線が彼の「手」に完全に釘付けになっていることに、本人は当然、気づいていた。
蓮さんは万年筆をデスクに置くと、ゆっくりと立ち上がった。
そして、長い足を動かして、デスクを回り込み、直立不動で固まっている私の目の前へと歩み寄ってくる。
大人の男の、少し甘くスモーキーな香りが鼻腔をくすぐる。バーの夜の匂いだ。
「――やっぱり、ここでも俺の『手』を見てるね」
「えっ……」
至近距離から降ってきた低音ボイスに、弾かれたように顔を上げる。
蓮さんの綺麗な切れ上がった瞳が、いたずらが成功した子供のように愉しげに細められていた。
「気づいてないかもしれないけれど、君、バーで俺の演奏を聴いているとき、演奏そのものじゃなくて、俺の指ばっかり凝視してたよ」
「な、ななな、何をおっしゃるか私にはさっぱり……!」
心臓が口から飛び出そうだった。完璧にバレている。重度の手フェチおたくであることが、こともあろうに我が社のトップに完全に看破されている。
「嘘を言っちゃいけないな」
蓮さんはさらに一歩、私との距離を詰めた。私の背中が、社長室の重厚な扉にコツンと当たる。逃げ場はない。
そして、蓮さんはすっと右手を持ち上げた。
(あ、あの、トドメを刺された、神の右手が……っ)
大きくて、温かそうな手のひらが、私の頬へと近づいてくる。
逆らうことなんてできなかった。その手がもたらす圧倒的な美しさに魅了され、私はただ、見つめることしかできない。
す、と、彼の長い親指が、私の頬に優しく触れた。
滑らかな指先の感触が肌に伝わった瞬間、脳内にあの夜の、激しくも切ないJAZZの弱音(ピアニッシモ)の旋律が爆音で鳴り響く。まるで、鍵盤を愛おしそうに撫でるあのフェザータッチで、今、私が撫でられている。
「ひゃうっ……!」
変な声が出た。恋愛経験ゼロの私には、刺激が強すぎる。
「バーで俺の手を崇拝するように見つめるときの君、すごく可愛い顔をしてるんだ。もっと近くで見たいと思ってね。調べたら、まさかうちの社員、それも営業部の中核にいる『完璧な大塚さん』だっていうから、驚いたと同時に嬉しくなっちゃってさ」
蓮さんの親指が、私のリップラインをなぞるようにしなやかに動く。その指の動き一つ一つが、あまりにもエモーショナルで、私の心臓をぐずぐずに溶かしていく。
「社長……あの、仕事中、ですから……」
必死に絞り出した私の拒絶は、あまりにも蚊の鳴くような声だった。
蓮さんは私の耳元に顔を寄せ、吐息が触れるほどの距離で囁いた。
「仕事の話だよ。大塚主任、優秀な君を、俺の直属の『社長秘書』に任命しようと思ってね。……もちろん、公私ともに、俺のすぐ隣にいてもらう。これなら、毎日特等席で、俺の指の動きを好きなだけ見られるだろう?」
「え……?」
「その代わり、条件がある」
蓮さんは私の頬から手を離すと、その美しい手のひらで、私の手をそっと包み込んだ。大きな、けれどしなやかな力が私を支配する。
「俺以外の男の手は、絶対に、一瞬たりとも見ないこと。……いい配置換えだろう、結衣?」
バーでの「ピアニストの彼」の顔のまま、底知れない笑みを浮かべる社長。
理想の神の手に物理的に包み込まれ、名前で呼ばれた瞬間、私のライフは完全にゼロになった。
仕事も恋も完璧に――なんて、もう絶対に無理!
私の、神級玉の輿・溺愛バトル(という名の、社長の指先による完全監禁飼育)のゴングが、今、派手に鳴り響いたのだった。
(第三章へ続く)
私の口から、情けないほどマヌケな声が漏れた。
思考が完全にフリーズする。
ラグジュアリーな革張りの社長椅子に深く腰掛け、端正な顔立ちに極上の笑みを浮かべている男性。間違い ない。毎週、あの隠れ家バーで私の理性を木っ端微塵に打ち砕いていた、あのピアニストの彼だ。
昼の光の下で見ても、その美貌は恐ろしいほどに整っている。けれど、私の視線は彼の顔ではなく、デスクの上に組まれた【十本の指先】へと吸い寄せられた。
(ま、間違いない……。あのしなやかで長い指、清潔に整えられた爪、うっすらと浮き出る大人の色気を孕んだ血管の筋……。本物の、神の手だ……!)
脳内が大パニックを起こして限界オタクの叫びを上げそうになるのを、私は必死で抑え込む。
いや、待って。なんでピアニストの彼がここにいるの? しかも、秘書はさっきハッキリと「社長」って呼んだ。
「驚かせてしまったかな。一応、初めまして……と言うべきなのかな。スターライズの社長を務めている、一ノ瀬蓮(いちのせれん)です」
「し、しゃ……、しゃちょう……っ!?」
蓮さんは、バーでの気だるげな雰囲気とは少し違う、仕立ての良い高級スーツを完璧に着こなしている。そのギャップがまた破壊力抜群で、心臓が爆発しそうだ。
メディア露出をしない若き二代目社長の正体が、まさか夜な夜なバーでエモーショナルなJAZZを奏でるピアニストだったなんて、誰が想像できるだろうか。
「あの、一ノ瀬社長……。なぜ、私のような末端の者がこちらに呼び出されたのでしょうか。もしや、私が何か、重大な規約違反か何かを……」
私はパニックのあまり、最悪の妄想へと突き進む。まさか、あのバーで彼の指を凝視しすぎて、ストーカー認定されてクビを宣告されるのでは――。
ガタガタと震えそうになる膝を必死に隠し、営業部主任としての「完璧な仮面」を必死に繋ぎ止めようとする。
そんな私を見て、蓮さんは「くすっ」と低く、意地悪に笑った。
「規約違反? いや、そんなわけないだろう。大塚結衣主任。君の今期の営業成績はトップクラス、後輩の育成も完璧だと報告を受けているよ。我が社の大切なエースだ」
「は、はあ……。ありがとうございます……」
「ただね――」
蓮さんはそう言うと、組んでいた手を解き、デスクの上の高級な万年筆をすっと指先で転がした。
その瞬間、私の目は完全にロックオンされた。
万年筆の漆黒のボディに添えられた、滑らかな人差し指の曲線。ペン先を弄ぶ親指の、男らしい関節の節度。ただペンを動かしているだけなのに、まるで鍵盤の上でアドリブのJAZZを刻んでいるかのような、しなやかでエモーショナルな動き。
(う、美しすぎる……! 今すぐその万年筆になりたい……っ!)
営業部主任としての理性が、フェチおたくの野生の叫びによって一瞬で消し飛びかける。私の視線が彼の「手」に完全に釘付けになっていることに、本人は当然、気づいていた。
蓮さんは万年筆をデスクに置くと、ゆっくりと立ち上がった。
そして、長い足を動かして、デスクを回り込み、直立不動で固まっている私の目の前へと歩み寄ってくる。
大人の男の、少し甘くスモーキーな香りが鼻腔をくすぐる。バーの夜の匂いだ。
「――やっぱり、ここでも俺の『手』を見てるね」
「えっ……」
至近距離から降ってきた低音ボイスに、弾かれたように顔を上げる。
蓮さんの綺麗な切れ上がった瞳が、いたずらが成功した子供のように愉しげに細められていた。
「気づいてないかもしれないけれど、君、バーで俺の演奏を聴いているとき、演奏そのものじゃなくて、俺の指ばっかり凝視してたよ」
「な、ななな、何をおっしゃるか私にはさっぱり……!」
心臓が口から飛び出そうだった。完璧にバレている。重度の手フェチおたくであることが、こともあろうに我が社のトップに完全に看破されている。
「嘘を言っちゃいけないな」
蓮さんはさらに一歩、私との距離を詰めた。私の背中が、社長室の重厚な扉にコツンと当たる。逃げ場はない。
そして、蓮さんはすっと右手を持ち上げた。
(あ、あの、トドメを刺された、神の右手が……っ)
大きくて、温かそうな手のひらが、私の頬へと近づいてくる。
逆らうことなんてできなかった。その手がもたらす圧倒的な美しさに魅了され、私はただ、見つめることしかできない。
す、と、彼の長い親指が、私の頬に優しく触れた。
滑らかな指先の感触が肌に伝わった瞬間、脳内にあの夜の、激しくも切ないJAZZの弱音(ピアニッシモ)の旋律が爆音で鳴り響く。まるで、鍵盤を愛おしそうに撫でるあのフェザータッチで、今、私が撫でられている。
「ひゃうっ……!」
変な声が出た。恋愛経験ゼロの私には、刺激が強すぎる。
「バーで俺の手を崇拝するように見つめるときの君、すごく可愛い顔をしてるんだ。もっと近くで見たいと思ってね。調べたら、まさかうちの社員、それも営業部の中核にいる『完璧な大塚さん』だっていうから、驚いたと同時に嬉しくなっちゃってさ」
蓮さんの親指が、私のリップラインをなぞるようにしなやかに動く。その指の動き一つ一つが、あまりにもエモーショナルで、私の心臓をぐずぐずに溶かしていく。
「社長……あの、仕事中、ですから……」
必死に絞り出した私の拒絶は、あまりにも蚊の鳴くような声だった。
蓮さんは私の耳元に顔を寄せ、吐息が触れるほどの距離で囁いた。
「仕事の話だよ。大塚主任、優秀な君を、俺の直属の『社長秘書』に任命しようと思ってね。……もちろん、公私ともに、俺のすぐ隣にいてもらう。これなら、毎日特等席で、俺の指の動きを好きなだけ見られるだろう?」
「え……?」
「その代わり、条件がある」
蓮さんは私の頬から手を離すと、その美しい手のひらで、私の手をそっと包み込んだ。大きな、けれどしなやかな力が私を支配する。
「俺以外の男の手は、絶対に、一瞬たりとも見ないこと。……いい配置換えだろう、結衣?」
バーでの「ピアニストの彼」の顔のまま、底知れない笑みを浮かべる社長。
理想の神の手に物理的に包み込まれ、名前で呼ばれた瞬間、私のライフは完全にゼロになった。
仕事も恋も完璧に――なんて、もう絶対に無理!
私の、神級玉の輿・溺愛バトル(という名の、社長の指先による完全監禁飼育)のゴングが、今、派手に鳴り響いたのだった。
(第三章へ続く)