浮気相手の子を「育てろ」と押しつけられたので、罪のない少女は丁重に育てつつ、夫だけを優雅に制裁することにしました
美麗伯爵、最悪のプロポーズ
「では、私はこのまま孤児院へ向かい、改めてスノーフレーク嬢に求婚してまいります」
メガエリス卿はすべてを語り終えると、迷いのない声でそう言った。
真実を知ってなお、彼女への想いは微塵も揺らいでいない様子。
立派だと思う。けれど……
「お待ちください、閣下」
私は彼を引き止めた。
「もし、あなたの妻となれば。スノーフレークは、いずれ伯爵夫人として社交の場に出ることになります。そうなれば、いつか必ず、あの男と再び顔を合わせることになりましょう。彼女が何より怖れているのは、それなのですよ」
スノーフレークの実家は、没落したとはいえまだ残っている。侯爵から子爵へと爵位を落としながらも、今は弟が跡を継いで、家名だけは保っていた。
けれど、スノーフレークはその家に戻らなかった。貴族籍を自ら抜いたのだ。
今の彼女は平民である。すべては、二度とあの男と同じ世界で息をしたくない。その一心からだった。
彼女との文通間隔の間が何ヶ月も開くのは、親友とはいえ、貴族と平民の垣根を意識した彼女が遠慮がちなせいでもあった。
そこまで徹底しているのに、社交界に戻るなど、彼女にとっては、地獄へ舞い戻るに等しい。
ところがだ。
「ああ。それなら、もう解決しておりますので」
メガエリス卿はこともなげにそう言った。
「えっ」
それから彼は声を潜めて、自分が「解決」のために何をしてきたのかを語った。
私は絶句した。
学園卒業の直後、スノーフレークを計画的に陥れ、後始末役の従者まで控えさせていた、あの男。
証拠を残さず、すべてを揉み消すつもりだったあの卑劣漢に対して、メガエリス卿がいったいどのような手段で、いかなる報いを与えたのか。
ここでは詳らかには語るまい。
ただ、ひとつだけ言えるのは、あの男はもう二度と、表の世界を歩くことはない。
社交界はおろか、人前に顔を晒すことすらできぬ身となった。
スノーフレークが恐怖に震え、また実家を継いだ弟に迷惑をかけたくなくて、自分の手では決して討てなかったであろう仇を……この男は、このたった一ヶ月で討ち終えていたのだ。
報復はすでに完遂されていた。
一ヶ月前は、しおれた子犬のような顔で私の応接間で項垂れていた、この男が。
その裏では長年の闇を掘り起こし、加害者を地の底へ叩き落とすところまで、とうに片をつけていた、と。
――リースト家の狩り。
リーゼの言葉が今になって本当の重みをもって蘇る。
この人は可愛らしい求婚者などではない。一度狙いを定めたものは、なりふり構わず確実に、敵を根こそぎ仕留める。
そういう男だったのだ。
私は慄きながらふと、あることに気づいて血の気が引いた。
「め、メガエリス卿! あなた、まさか。それをそのまま、彼女に言うおつもりではないでしょうね!?」
「そのつもりですが」
彼はきょとんとした顔で私を見た。
そんな顔をしても麗しいのだから、美形は本当に得だ。
「何か問題でも?」
「大ありですわ!」
思わず声が裏返った。
既婚で、酸いも甘いも噛み分けたつもりの私ですら、聞いて絶句するような内容なのだ。
それを、よりにもよって、求婚の言葉としてあの、触れれば壊れそうに儚いスノーフレークに面と向かって語ったら。
卒倒する。間違いなく彼女は倒れてしまう。
あるいは、求婚を受け入れるどころかこの男の苛烈さに怯えて、いっそう深く殻に閉じこもってしまうかもしれない。
せっかく真実に辿り着いた本気の男が、最後の最後、伝え方ひとつですべてを台無しにしようとしている。
これほど有能なくせに、この男は女心の機微というものが、まるでわかっていない。
「これからプロポーズに行かれるのですね? 少々お待ちください、私もご一緒いたします!」
一方的に宣言して、私は慌てて自室へ駆け戻った。
外出着に着替えながら、私は自分でも可笑しくなっていた。
一月前まで、私は静かに子爵家を出ることばかり考えていたのに。
今はどうだ。親友への一世一代の求婚に、付き添い役として馬車を飛ばそうとしている。
人生というのは、まったく、思い通りにいかないものだ。
こうして私たちは別々の馬車に乗り、初夏の街道を孤児院へと急いだのだった。
その光景は、私の知る限り最悪のプロポーズであった。
孤児院に着くなり、メガエリス卿はスノーフレークへの面会を申し入れた。
私は彼の後からこっそりとついていき、扉の外から、そっと部屋の中の様子を窺うことにした。
マイルドに。どうか、マイルドにですよ、メガエリス卿。
祈るような気持ちだった。
けれど、その祈りはどうやら天には届かなかったらしい。
スノーフレークと顔を合わせるなり、彼はこう切り出したのだ。
「スノーフレーク嬢。あなたの憂いはすべて、潰してまいりました」
「は、はい……?」
そして彼は、よりにもよって、スノーフレークが二度と聞きたくなかったであろう、あの元婚約者の名を口にした。
彼女が受けた被害を、自分が知ったのだということを隠しもせずに告げる。
扉の隙間から見えるスノーフレークの顔から、みるみる血の気が引いていく。
話を聞くにつれて、青を通り越して、紙のように真っ白になっていった。今にも倒れそうでハラハラする。
「さすがに証拠は残っておらず、加害者と関係者の自供しか集められませんでしたが……」
——いけない。やめて。そこから先は。
私の祈りもむなしく、メガエリス卿は晴れやかな顔で続けた。
「あなたの元婚約者、きちんと潰してまいりました。具体的には、男の股間のあれを、ですね、しっかり潰して、根こそぎ除去しておきました。あなたを苦しめた汚物は、もうこの世にありません。念入りに焼却して、消滅させております。もう実質、あなたの受けた被害は、なかったも同然かと」
「…………」
スノーフレークはぽかんとした顔になっていた。言われた内容が明らかに許容量を超えている顔だ。
——最悪だ。
私は扉の陰で頭を抱えた。どうして、もっときつく言い含めておかなかったのだろう。
「オブラートに包んで」と、馬車に乗る前に百回でも繰り返しておくべきだった。私の一生の不覚だ。
期待した反応が得られず、メガエリス卿のほうがかえって慌て始めた。
「アッ、もちろん、当主の座も、子息に譲らせました。子息もご令室も、事実をお伝えしたところ大層深刻に受け止められ、責任をもって領地に監禁するとお約束くださいました。あ、これどうぞ」
彼は懐から念書を取り出し、スノーフレークに手渡した。あまりのことに、彼女は思わずそれを受け取ってしまう。
中身に目を通したスノーフレークは、しばし呆然とし——それから、ふいに笑い出した。
「ふふ……あはははっ。鑑定スキル持ちを連れて、あの男の家へ向かわれたのですか。犯罪歴すら読めるという、あの、高ランクの……!」
あっ、と私は声を上げかけた。
この世界には数が少ないために一般には知られていないが、人の能力値を読み取る技能を持つ者がいる。
犯罪歴まで読める者となると、上級以上だ。特別に依頼したとて、大金貨が何十枚も吹き飛ぶような、途方もない代物である。
スノーフレークが当時、被害と加害者確定のため動けなかった理由でもある。ただでさえ没落で物入りな侯爵家は、彼女のためにその費用を出せなかった……
当時の結婚を控えていた私も、そこまでの大金は融通できなかった。苦い過去だ。
後に私が夫からの慰謝料をもとに自分の資産に余裕ができても、その頃にはもう彼女は過去に蓋をして、事実の証明を諦めてしまっていた……
メガエリス卿は言い逃れのできぬ証拠の代わりにその鑑定で過去の罪を白日の下に晒し、相手の家を交渉の卓につかせた。……そういうことか。
証拠が残らぬ過去の罪を、この男は力ずくで動かぬ事実に変えて、相手方に突きつけてみせたのだ。
結果から言えば、このあと改めて膝をつき求愛し直したメガエリス卿のプロポーズを、スノーフレークは——受けた。
最悪の口上から始まったその求婚は、けれど、彼女の凍えた心を確かに動かした。
自分のために、ここまで本気で、ここまで容赦なく闇を晴らしてくれた男を、彼女はもう拒めなかったのだ。
メガエリス卿はすべてを語り終えると、迷いのない声でそう言った。
真実を知ってなお、彼女への想いは微塵も揺らいでいない様子。
立派だと思う。けれど……
「お待ちください、閣下」
私は彼を引き止めた。
「もし、あなたの妻となれば。スノーフレークは、いずれ伯爵夫人として社交の場に出ることになります。そうなれば、いつか必ず、あの男と再び顔を合わせることになりましょう。彼女が何より怖れているのは、それなのですよ」
スノーフレークの実家は、没落したとはいえまだ残っている。侯爵から子爵へと爵位を落としながらも、今は弟が跡を継いで、家名だけは保っていた。
けれど、スノーフレークはその家に戻らなかった。貴族籍を自ら抜いたのだ。
今の彼女は平民である。すべては、二度とあの男と同じ世界で息をしたくない。その一心からだった。
彼女との文通間隔の間が何ヶ月も開くのは、親友とはいえ、貴族と平民の垣根を意識した彼女が遠慮がちなせいでもあった。
そこまで徹底しているのに、社交界に戻るなど、彼女にとっては、地獄へ舞い戻るに等しい。
ところがだ。
「ああ。それなら、もう解決しておりますので」
メガエリス卿はこともなげにそう言った。
「えっ」
それから彼は声を潜めて、自分が「解決」のために何をしてきたのかを語った。
私は絶句した。
学園卒業の直後、スノーフレークを計画的に陥れ、後始末役の従者まで控えさせていた、あの男。
証拠を残さず、すべてを揉み消すつもりだったあの卑劣漢に対して、メガエリス卿がいったいどのような手段で、いかなる報いを与えたのか。
ここでは詳らかには語るまい。
ただ、ひとつだけ言えるのは、あの男はもう二度と、表の世界を歩くことはない。
社交界はおろか、人前に顔を晒すことすらできぬ身となった。
スノーフレークが恐怖に震え、また実家を継いだ弟に迷惑をかけたくなくて、自分の手では決して討てなかったであろう仇を……この男は、このたった一ヶ月で討ち終えていたのだ。
報復はすでに完遂されていた。
一ヶ月前は、しおれた子犬のような顔で私の応接間で項垂れていた、この男が。
その裏では長年の闇を掘り起こし、加害者を地の底へ叩き落とすところまで、とうに片をつけていた、と。
――リースト家の狩り。
リーゼの言葉が今になって本当の重みをもって蘇る。
この人は可愛らしい求婚者などではない。一度狙いを定めたものは、なりふり構わず確実に、敵を根こそぎ仕留める。
そういう男だったのだ。
私は慄きながらふと、あることに気づいて血の気が引いた。
「め、メガエリス卿! あなた、まさか。それをそのまま、彼女に言うおつもりではないでしょうね!?」
「そのつもりですが」
彼はきょとんとした顔で私を見た。
そんな顔をしても麗しいのだから、美形は本当に得だ。
「何か問題でも?」
「大ありですわ!」
思わず声が裏返った。
既婚で、酸いも甘いも噛み分けたつもりの私ですら、聞いて絶句するような内容なのだ。
それを、よりにもよって、求婚の言葉としてあの、触れれば壊れそうに儚いスノーフレークに面と向かって語ったら。
卒倒する。間違いなく彼女は倒れてしまう。
あるいは、求婚を受け入れるどころかこの男の苛烈さに怯えて、いっそう深く殻に閉じこもってしまうかもしれない。
せっかく真実に辿り着いた本気の男が、最後の最後、伝え方ひとつですべてを台無しにしようとしている。
これほど有能なくせに、この男は女心の機微というものが、まるでわかっていない。
「これからプロポーズに行かれるのですね? 少々お待ちください、私もご一緒いたします!」
一方的に宣言して、私は慌てて自室へ駆け戻った。
外出着に着替えながら、私は自分でも可笑しくなっていた。
一月前まで、私は静かに子爵家を出ることばかり考えていたのに。
今はどうだ。親友への一世一代の求婚に、付き添い役として馬車を飛ばそうとしている。
人生というのは、まったく、思い通りにいかないものだ。
こうして私たちは別々の馬車に乗り、初夏の街道を孤児院へと急いだのだった。
その光景は、私の知る限り最悪のプロポーズであった。
孤児院に着くなり、メガエリス卿はスノーフレークへの面会を申し入れた。
私は彼の後からこっそりとついていき、扉の外から、そっと部屋の中の様子を窺うことにした。
マイルドに。どうか、マイルドにですよ、メガエリス卿。
祈るような気持ちだった。
けれど、その祈りはどうやら天には届かなかったらしい。
スノーフレークと顔を合わせるなり、彼はこう切り出したのだ。
「スノーフレーク嬢。あなたの憂いはすべて、潰してまいりました」
「は、はい……?」
そして彼は、よりにもよって、スノーフレークが二度と聞きたくなかったであろう、あの元婚約者の名を口にした。
彼女が受けた被害を、自分が知ったのだということを隠しもせずに告げる。
扉の隙間から見えるスノーフレークの顔から、みるみる血の気が引いていく。
話を聞くにつれて、青を通り越して、紙のように真っ白になっていった。今にも倒れそうでハラハラする。
「さすがに証拠は残っておらず、加害者と関係者の自供しか集められませんでしたが……」
——いけない。やめて。そこから先は。
私の祈りもむなしく、メガエリス卿は晴れやかな顔で続けた。
「あなたの元婚約者、きちんと潰してまいりました。具体的には、男の股間のあれを、ですね、しっかり潰して、根こそぎ除去しておきました。あなたを苦しめた汚物は、もうこの世にありません。念入りに焼却して、消滅させております。もう実質、あなたの受けた被害は、なかったも同然かと」
「…………」
スノーフレークはぽかんとした顔になっていた。言われた内容が明らかに許容量を超えている顔だ。
——最悪だ。
私は扉の陰で頭を抱えた。どうして、もっときつく言い含めておかなかったのだろう。
「オブラートに包んで」と、馬車に乗る前に百回でも繰り返しておくべきだった。私の一生の不覚だ。
期待した反応が得られず、メガエリス卿のほうがかえって慌て始めた。
「アッ、もちろん、当主の座も、子息に譲らせました。子息もご令室も、事実をお伝えしたところ大層深刻に受け止められ、責任をもって領地に監禁するとお約束くださいました。あ、これどうぞ」
彼は懐から念書を取り出し、スノーフレークに手渡した。あまりのことに、彼女は思わずそれを受け取ってしまう。
中身に目を通したスノーフレークは、しばし呆然とし——それから、ふいに笑い出した。
「ふふ……あはははっ。鑑定スキル持ちを連れて、あの男の家へ向かわれたのですか。犯罪歴すら読めるという、あの、高ランクの……!」
あっ、と私は声を上げかけた。
この世界には数が少ないために一般には知られていないが、人の能力値を読み取る技能を持つ者がいる。
犯罪歴まで読める者となると、上級以上だ。特別に依頼したとて、大金貨が何十枚も吹き飛ぶような、途方もない代物である。
スノーフレークが当時、被害と加害者確定のため動けなかった理由でもある。ただでさえ没落で物入りな侯爵家は、彼女のためにその費用を出せなかった……
当時の結婚を控えていた私も、そこまでの大金は融通できなかった。苦い過去だ。
後に私が夫からの慰謝料をもとに自分の資産に余裕ができても、その頃にはもう彼女は過去に蓋をして、事実の証明を諦めてしまっていた……
メガエリス卿は言い逃れのできぬ証拠の代わりにその鑑定で過去の罪を白日の下に晒し、相手の家を交渉の卓につかせた。……そういうことか。
証拠が残らぬ過去の罪を、この男は力ずくで動かぬ事実に変えて、相手方に突きつけてみせたのだ。
結果から言えば、このあと改めて膝をつき求愛し直したメガエリス卿のプロポーズを、スノーフレークは——受けた。
最悪の口上から始まったその求婚は、けれど、彼女の凍えた心を確かに動かした。
自分のために、ここまで本気で、ここまで容赦なく闇を晴らしてくれた男を、彼女はもう拒めなかったのだ。