浮気相手の子を「育てろ」と押しつけられたので、罪のない少女は丁重に育てつつ、夫だけを優雅に制裁することにしました

帰ってこなかった夫

 親友の幸福を見届けながら、私は、自分の来し方を静かに振り返っていた。

 夫のジェラルドが亡くなったのは去年のことだ。
 リーゼが学園を卒業し、女子爵として家を継いで間もない頃だった。
 その頃を目処に離婚を考えていたのだけれど、思い留まることになった。

 結局、私たちが世間でいう睦まじい夫婦に戻ることは最後までなかった。
 寝室は別のままだったし、あの人が私の生き方に口を挟むことも二度となかった。

 けれど奇妙なことに、その後の私たちは、それなりに穏やかにやっていた。
 夜会には夫婦として連れ立って出た。
 リーゼも交えて家族三人で薔薇園を歩く日も増えた。
 外で食事をしたり、観劇や、美術館に足を運んだり。そういうささやかな家族の行事を、私たちは案外そつなくこなしたように思う。

 かつて彼が私に詫び、軋んでいた歯車にほんのわずか油が差されて以来。
 私たちは愛し合う夫婦ではなかったけれど、無関心な同居の仮面家族でもなくなっていた。

 そして意外なことに、ジェラルドは新しい愛人をついぞ作らなかった。
 リーゼの実母を真実愛していたというのは、本当だったのだろう。

 思い返せば、私との結婚生活のあいだ、彼が私以外の女性と浮いた噂を立てたことはただの一度もなかったのだ。
 不器用だけど一途に、彼は彼なりの誠実を亡き恋人にだけ捧げ続けていた。

 私にとって物足りない夫ではあったが、そういう人ではあった。



 その夫がある日、学生時代の友人たちとの同窓の宴に招かれ、数泊の旅で海辺の町へと向かった。

 そして帰ってこなかった。

 酔って、夜の遊覧船から落ちたのだという。そのまま、二度と水面に浮かび上がってはこなかった。
 同じように海に沈んだ友人が他にも数名。
 何十人と参加していたうちの、ごく少数に入ってしまったのだ。

 亡骸はとうとう見つからなかった。捜索も先日打ち切られたばかりだ。
 彼の墓に亡骸は納められていない。普段、彼が身につけていた服や小物だけが、空の棺にひっそりと収まっている。

 もうすぐ、彼の死から一年が経つ。

 不思議と涙は出なかった。深い悲しみも、後ろ暗い安堵も湧いてはこなかった。
 ただ、長い旅の同行者が、ある分かれ道でふいに別の方角へ歩き去っていった。そんな淡い喪失感だけが、胸の隅に残った。

 最後の最後まで掴めない人だった。亡骸さえ海の向こうへ消えてしまうあたりが、いかにもあの人らしかった。

 私は憎むことも愛することも、もう、とうにやめていた。
 ただ、ひとりの不器用な男が確かにこの世にいて、そしていなくなった。
 その事実だけを胸に残して、今後も生きていく。

 ——夫は、もういない。

 リーゼは立派に家を継いだ。優秀な婿も得て、子爵家は安泰だ。

 ならばもう、私がこの家にしがみつく理由はどこにもないのだった。


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