愛とか恋とかウザいので
萌依が受付に行くと、片手をスラックスのポケットに預けて立っていたスーツ姿の男性が、こちらを見た。
久しぶりに顔を合わせた亨介は、萌依の頭から爪先まで視線を巡らせて、嘲りの笑みを浮かべた。
それでも受付スタフの存在を気にしているのだろう。親しげな声で、萌依に話しかけてくる。
「朝比奈さん、お久しぶり。ウチを辞めた後、ハルモニアに転職したって聞いて驚いたよ。ちょうど近くに寄ったものだから……」
おそらく事前に用意していたのであろう。亨介は、もっともらしい訪問の理由をスラスラと並べていく。
過去の諍いなどなかったように親しげに話しかけてくる亨介に、萌依は冷めた表情で返す。
「とりあえずここでは他の方の迷惑になりますので、外でお話を伺います。それと、事前の連絡がない突然の訪問は、以後控えていただければ幸いです」
萌依に『迷惑』と言われて、亨介の顔がわずかに歪む。
一瞬見せたその表情に、彼はこういう人なのだろうなと、思考の冷めた部分で思う。
恋に浮かれていた頃は気付けずにいたが、感情か冷めた今なら、彼はひどくプライドが高く、自己愛の強い人なのだとわかる。
萌依が亨介を案内した隣のビルにあるカフェはセルフ式なので、それぞれに飲み物を買い、向かい合って席に座る。
「お前さぁ、ハルモニアの社長秘書になったなら、ちゃんと俺に連絡しろよな」
コーヒーに砂糖を入れ、それをかき混ぜながら亨介が言う。
「なんのためにですか?」
意味がわからいとい。
萌依がその思いを表情で示すと、亨介が舌打ちした。
「察しが悪いな。ハルモニアは今、創業百周年のイベントに向けてあれこれ企画しているんだろ? それに俺も噛ませろよ」
一度は倒産しかけたハルモニアだが、無事に業績を回復させ来年には百周年の節目を迎えようとしている。
そのため今年の冬から、様々なキャンペーンを企画しており、広報活動もいつもより盛んだ。広告代理店に勤める亨介としては、ぜひとも契約を取りたいところなのだろう。
だけど概ねの流れを決めるのは、企画部や広報の仕事であり、最終的な采配を振るうのは蒼弥だ。
社長秘書の萌依は、そのサポート役でしかないし、まだまだ勉強中の身なのでなんの権限もない。そもそも亨介のためになにかをしてあげる義理はない。
それなのに、萌依が自分のために動くのは当然の義務だと言いたげな亨介に呆れてしまう。
「お前、昔もそうだったよな。本当に鈍くてイライラする」
亨介は吐き捨てるように呟き、コーヒーを啜る。
彼が言う『昔もそうだった』というのは、交際していた頃、亨介は、秘書課に勤める萌依に、その立場だから知り得る情報を探るような質問をしてくることがあった。
業務上知り得た情報は、どれだけ親しい間柄の人にも明かすべきではないと考える萌依としては、いつもその答えをはぐらかすようにしていたので、それを言っているのだろう。
今になって思えば、彼が秘書課に勤務し始めた萌依と付き合っていたのは、自分の出世に有利な情報を引き出せると思ったからなのかもしれない。
「お話はそれだけでしょうか?」
「なに?」
その言葉の続きを待つ間、萌依は、改めて亨介の姿を観察した。
皺や汚れのないスーツをきちんと着こなし、眉を整えて髪をワックスで纏めている姿は清潔感がある。営業として、商談相手に好印を与えるだろう。
だけど日々、完璧御曹司である蒼弥を見慣れているせいか、彼の本性を知っているからか、萌依には亨介の姿が安っぽい張りぼてのように思えてしまう。
「お前、俺に捨てられて、一段と痛いキャラになったよな」
短い沈黙の後、亨介が絞り出したのは、そんな台詞だった。
つまり要件は、それだけのようだ。
「お話がそれだけなら、失礼します」
立ち上がる萌依を見上げて、亨介が苦々しげな顔で言う。
「役に立たない上にパッとしない見た目で、どうやって取り入ったのかは知らないけど、運良く社長秘書の座につけたからって、お高くとまりやがって。どうせ恋人もなしに、ひとり孤独に生きているんだろ? 眞希子も、お前のことバカにしてるぜ」
自分ひとりの発言では攻撃力が足りないと思ったのか、なぜだか突然、亨介が眞希子の名前を口にした。
その稚拙な言動に、萌依は一度でも彼を好きになったことが悲しくなる。
「恋人なんて……」
自分の人生にはもう必要ない。――それは萌依の素直な気持ちなのだけど、亨介に言ったところで負け惜しみと取られてしまうだろう。
そう思うと、すぐには言葉が出てこない。
その隙を突いて、亨介が勝ち誇ったように言う。
「マジでなんなの? この先ずっと誰にも愛されず、その痛いキャラで過ごすつもり? 俺に捨てられたお前の人生って、ホントに哀れだよな」
亨介は、大げさに腹を抱えて笑う。
思い通りに話しが進まない腹いせに、萌依を傷付けたいだけなのだとわかるけど、その言葉に失恋当時の痛みが蘇ってしまう。
亨介が派手に騒いだせいで、他の客の視線が自分たちに集中する。
その羞恥も手伝い、喉の奥が引きつる感覚に襲われ、身動きを取れずにいる萌依の肩に人の手が触れた。