愛とか恋とかウザいので

 そのまま社内の休憩スペースに移動した萌依は、空いている椅子に腰を下ろして、仁美からのメッセージを開く。
 向こうもちょうどスマホを操作していたのか、萌依が既読をつけると、すぐに【なるべく早く会って話をしたい。本当にごめん】と、追加のメッセージが届いた。
 ただならぬ勢いに、萌依は今日の帰りに仁美と会う約束をしてメッセージを終わらせた。

「加茂さんのことで話だなんて、今更どうしたんだろう?」

 画面をブラックアウトさせたスマホに額を押しつけて、萌依は呟く。
 加茂亨介とは、萌依が以前勤めていた会社にいた頃の恋人の名前なのだが。

(恋人だと思っていたのは、私だけだったのかも……)

 失恋当時は気付けなかったけど、時間が経過して冷静になった今なら、萌依にも自分と彼の関係を正しく理解することができる。
 当時、十和企興という広告代理店に勤めていた萌依は、同じ会社の営業部に務める先輩社員の亨介に告白される形で交際を始めた。
 それは萌依が庶務課から秘書課への異動が決まっ直後で、仕事でのキャリアアップと共に初めての恋人ができて、萌依には毎日が輝いているように見えた。
 亨介に『可愛い』と言ってもらえるのがうれしくて、お洒落をして、手料理なんかも頑張った。
 仕事面でも彼の役に立ちたくて、自分の業務外の雑務も手伝っていた。休日返上で、彼の代わりに会議用の資料を作ったこともある。
 そうやって萌依が亨介の雑用を引き受けている間に、彼が、萌依の庶務課時代の先輩でもある館野眞希子と会っていたと知ったのは、随分後になってからだ。
 眞希子は十和企興の常務の娘で、どういうわけか亨介を気に入り、いつの間にかふたりは付き合うようになっていた。
 それを眞希子に告げられたとき、萌依はすぐには信じられなかった。だけど、彼女から仲睦まじく頬を寄せ合うふたりの写真を見せられて、それが嘘ではないのだと理解した。
 もちろん彼の心変わりも、その相手が萌依の知る人だというのも辛かった。
 それに、面倒なことを萌依に任せて、萌依に食事を作らせ、そうやって浮いた時間とお金で、彼が他の女性と愛を育んでいたということが悲しかった。
 せめて自分と別れてから、眞希子と付き合ってほしかったと、萌依が亨介に話すと、彼は開き直って謝ろうともしなかった。
 それどころか、常務の娘との交際に浮かれていた亨介は、萌依に『お前みたいな残念なヤツ、本気で愛されるわけないだろ』と、残酷な言葉を投げかけ、自分の裏切りを正当化したのだった。
 彼がそんな言い方をしたのは、萌依が、家庭の事情で母方の祖父母に育てられたからだろう。
 萌依は、祖父母に極力負担をかけないよう、大学進学の際に借りた奨学金は、月々自分の給与から返済している。一人暮らしなので、その費用も掛かる。だから同僚と同じような経済的余裕はないと、交際する前に、亨介には話しておいた。
 それを聞いた亨介は当初、萌依の苦労をねぎらい、理解を示していた。
 それなのに他に恋人ができた途端、そのことを理由にして、自分の心代わりするのは当然の権利だと主張してきたことが悲しかった。
 それに深く傷付いた萌依は、とても彼らと同じ職場にはいられないと思い転職を決めた。
 同時に、好きになった人に裏切られて、つらい思いをするくらいなら、もう誰も愛さないと誓ったのだ。

(おじいちゃんとおばあちゃんが、私の結婚を心待ちにしているから、それは申し訳ないんだけど)

 それでも萌依は、もう二度と、恋をすることで傷付きたくないのだ。
 せめて仕事面で頑張って祖父母を安心させてあげよう。萌依はそう自分を鼓舞して、オフィスに戻ることにした。
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