夜だけ、わがまま聞いて?

仮面を脱ぎ捨てた夜

停電の夜から一夜明けた、同居生活6日目の夜。
明日になれば、司くんは元の部屋へと戻り、この1週間の試みは終わる。
緊迫した空気のなか、部屋のソファに座る司くんが、いつになく真剣な目で私を見つめていた。
「愛李栖。明日で一応、この同居は終わりだけど……俺、お父さんたちに言うよ」
司くんが立ち上がり、私の目の前に歩み寄ってその大きな両手で私の肩を包み込んだ。
「俺、この1週間でお前のことが本当に好きになった。10年前の約束、絶対に形式だけの政略結婚になんてさせない。本気でお前を愛して、一生守る」
少し掠れたハスキーな声。けれど、そこには迷いが一切ない。
私を真っ直ぐに愛そうとしてくれる司くんのその瞳は、あまりにも眩しくて、綺麗すぎて……私の胸に、鋭いナイフが突き刺さるような痛みが走った。
私の心は、もう司くんの綺麗な光の中には戻れない。あの執事の、暗くて、ドロドロとした淫らな夜の熱で満たされているのだから。
「司くん、私は……っ」
「返事は今じゃなくていい。……お前のこと、本気にさせてみせるから」
司くんの顔がゆっくりと近づいてくる。唇が重なる、そう思った瞬間、私は無意識に顔を背けてしまった。
司くんの唇が、私の頬をかすめる。
「……そっか。焦らせて悪かった。じゃあ、また明日な」
司くんは寂しそうに、でも愛おしそうに私の頭をポンと撫でると、寝支度をしに隣の洗面所へと向かった。
一人残された寝室。罪悪感で押しつぶされそうになりながら、私がベッドに崩れ落ちた、その時だった。
カチャリ――。
静寂を引き裂くように、鍵の閉まる乾いた音が響いた。
振り返ると、そこにいたのは、いつも通り黒の三つ揃いのスーツを纏った律だった。
だけど、何かが決定的に違っていた。
「律……? まだ司くんがそこに……」
「――もう、限界です」
律の低く掠れた声が、私の言葉を冷酷に遮った。
いつもなら完璧に整えられているはずの髪はわずかに乱れ、汗に濡れた前髪の隙間から覗くその瞳は、完全に光を失った、狂気的な『獣』のそれだった。
律は音もなく突進してくると、私の身体をベッドへ激しく押し倒した。
「っ、りつ……っ、だめ、すぐそこに司くんが……むぐっ!?」
抵抗しようとした唇が、強引に、貪るように塞がれた。
昼間の冷徹な執事のポーカーフェイスなんて、もうどこにもない。
一糸乱れぬはずのジャケットのボタンが乱暴に外され、床に脱ぎ捨てられた白の手袋の代わりに、驚くほど熱い律の素肌の手が、私の制服のブラウスの中に滑り込んできた。
「ん……っ! ぁ……っ、んむ……」
息が整う隙もないほど、何度も、何度も、場所を変えて繰り返される熱い口づけ。
首筋、鎖骨、そして昨日彼が噛みついた薬指へ。
律は、司くんに触れられたかもしれない私の身体のすべてを、自分の熱い唾液と痕跡で塗り潰そうと、狂ったように私を貪り尽くしていく。
「あいつの言うことなんて聞かないで……! 俺を置いて、あの男の妻になるなんて、絶対に許さない……ッ!」
顔を上げた律の瞳には、激しい独占欲と、私を失う恐怖の涙がウルウルと濡れていた。
21歳の大人の男の身体でありながら、その中身は、10年前にテラスの陰で絶望していた11歳の少年のまま、私への愛執だけで狂ってしまったケダモノ。
「愛李栖、愛李栖……っ。俺のものになってよ……もう、ただの執事でいるのは嫌だ……っ」
律の大きな手が、私の華奢な身体を壊しそうなほど強く抱きしめる。
洗面所からは、司くんが戻ってくる気配が近づいている。
見つかれば、律はただでは済まない。
なのに、律のこの命がけの、狂わんばかりの愛の重さに、私の心臓はハチ切れそうなほどの歓喜の音を立てていた。
「明日、あの男が部屋を出たら……俺と、駆け落ちしてくれませんか? お嬢様」
耳元で囁かれた、執事のすべてを捨てた決死の宣戦布告。
隣の部屋から司くんの足音が近づくなか、私はただ、律の背中にきゅっと爪を立てて、その甘くて危険な毒に、どこまでも溺れていくことしかできなかった――。
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