夜だけ、わがまま聞いて?

午前0時の獣

【side律】


激しい雷鳴が、九龍の屋敷を揺らしている。
土砂降りの雨のなか、俺は手袋をはめた両拳を固く握りしめ、主の命令通り、お嬢様の部屋のすぐ外の廊下に立っていた。
「……くそっ……!」
壁に頭を押し付け、声を殺して毒を吐き出す。
あの部屋の中には今、愛李栖と、あの男が2人きりでいる。
昼間、校門前で愛李栖を強引に抱きすくめたあの男の腕を、今すぐへし折ってやりたかった。
10年前、テラスの陰で指をくわえて見ていることしかできなかった11歳の俺とは違う。
今の俺なら、あの男を消すことだって容易いのに。
『お前はただの執事だ。口を挟むな』
旦那様の冷徹な言葉が、呪いのように頭のなかでリフレインする。
分かっている。身分が違うことなど、嫌というほど分かっている。
だからこそ、夜の闇に紛れて、鍵をかけたあの部屋のなかだけで、俺は愛李栖に「わがまま」を言って、飢えを凌いできたのだ。
時計の針が午前0時を回る。
いつもなら、2人だけの秘密の時間が始まるはずの、愛しい時間。
我慢の限界だった。
気づけば俺は、足音を消して、雨の吹きすさぶベランダへと向かっていた。
執事としての身体能力のすべてを使い、気配を完全に消して愛李栖の部屋のベランダへと飛び移る。
カーテンの、わずか数センチの隙間。
そこから盗み見た光景に、俺の脳の血管がブツリと千切れる音がした。
「……っ、あ……」
ベッドの上で、あの男が愛李栖を後ろから抱きしめて寝ていた。
それだけじゃない。激しい雷の音が響いた瞬間、愛李栖は怯えたように、あの男の胸に自ら縋り付き、必死に抱きついたのだ。
嘘だろ、愛李栖。
雷が鳴る夜、いつも俺の腕の中で「律、怖い」と泣いていた君が。
どうして、他の男の胸でそんなに可愛い声を出す?
どうして、そんなに愛おしそうな顔で、あいつに見つめられている?
あいつが、愛李栖のおでこに、愛おしそうにキスを落とすのが見えた。
愛李栖は拒むこともせず、あいつの腕の中にすっぽりと収まっている。
「いける?……って、何がだ。ふざけるな……ッ!」
激しい嫉妬のマグマが全身の血を駆け巡り、視界が真っ赤に染まる。
パチィィン、と嫌な音がして、握りしめていた白の手袋の縫い目が裂け、俺の爪が手のひらに食い込んで血が滲んだ。
愛李栖、約束を破りましたね。
俺以外の男に触らせないでと、あんなに懇願したのに。
俺のつけた首筋の刻印を隠しながら、他の男に抱かれるなんて、いい度胸です。
窓ガラスを叩き割って、今すぐあの男の首を締め上げてやりたい衝動を、狂いそうなほどの自制心でどうにか抑え込む。
ここで騒げば、俺は愛李栖の側から永久に排除される。それだけは絶対に避ける。
「……愛李栖。あなたをあんな男に渡すくらいなら、俺は……」
雨に濡れた前髪の間から、完全に光の消えた、漆黒の瞳が部屋の中を凝視する。
10年間、執事の仮面の下で飼い慣らしてきたはずの『ケダモノ』が、完全に檻をぶち破って覚醒した。
翌朝、お嬢様を学校へお送りする車内が、俺たちの本当の戦場だ。
バックミラー越しに怯えるあなたの顔を見るのが、今から狂おしいほど楽しみですよ、お嬢様――。
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