メイドインダーク(マフィア令嬢と少年メイドのインモラル逃亡潜伏) ※長編・一括掲載(R指定)
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黒人執事のジョニーさんなど最初からいない。「モデル」の人物はいたとしても、ケネディが内面の危うい精神バランスを保つために作り出した、空想上の存在でしかない。
言わば子供によくある「イマジナリー・フレンド(空想の友達)」みたいなものなのだ。小さな子供は主観的な想像上の産物をしばしば現実と混同して、客観的に「いる」のだと思い込むそうだが、そんな一種の「退行」や「記憶錯誤」からの固定観念なのだろうか。
意識が途切れて椅子から転がり落ちたケネディは、今はソファで眠っている。
傍らでマリアはソファの縁に腰掛けて、額と顔を手で愛撫していた。
(この子は半分気が狂っている)
しかしそうさせた原因は、他ならぬ自分なのだった。
いかに怒りそのものはある意味では正当だったとはいえ、両親を殺して家庭を奪い、連れ回して、こんな外国の逃亡生活につき合わせている。文字通りの「フルコース」で人生の全てを破壊したようなものだ。せめて破壊のどこかに「手落ち」があれば、せめてケネディの「特殊な事情」を理解した片親だけでも生きているだとか、身体の損傷がないだとかなら良かったのに。あまりにも感情の爆発と勢いのみに任せて「やり過ぎてしまった」のだと痛感する。
(あのときの私は狂っていたんだ。今だって、半分くらいはおかしいのかもしれない。悪魔みたいな女だとしか、自分でも思えない……)
今になって考えれば、おおよそ正気の沙汰ではない。
しかしもはやどうしようもないのだ。時計の針は戻らない。
海外への逃亡にまで巻き込んだのはやりすぎかもしれなかったが、今更に元の生活に返そうとしたところで、おおよそ無理なのは目に見えている。
ケネディに用意されていた、たぶん唯一の「安全な鳥籠」を壊したのは自分なのだ。
この子、幼い愛人はとっくに心身ともに壊れてしまっているのだし、もしも今自分が放り出せば、おそらくは社会復帰すら不可能な、完全な廃人になってしまうのは目に見えていた(医療施設に入れたところで、精神的な理由で衰弱死するかもしれない)。それに自分自身も、ケネディと新しく名づけたこの「メイド」に精神を依存してしまっているし、もしもいなくなったら、生きていることすら耐えられなくなってしまうだろう。
だから何がしかの区切りや結末に辿り着くために、この歪んだ逃亡生活の中で、自分なりに「最善」と思ったやり方を選んできたつもりだった。
どうにか、歪んだなりの愛情と安定が育まれてきた、この二年間。
何度も自殺を思い留まったのはケネディがいたおかげなのだ。
今自分が死を選べば、たぶんケネディも、どんな形であれ死んでしまうだろうから。
それが良かったのか悪かったのか、マリアにはわからない。
(たとえ最後に、この子が私を殺したとしても……)
恨みはしないだろう。
自分はそれだけの過ちを犯したのだし、自業自得なのだ。
けれどもその前に、ケネディにどうにかして、全く普通ではなくても何か新しい人生の門口へと導いてやりたい。こんなのはエゴイスティックで、おかしな義務感なのだろうか?
恋愛と欲情と母性本能と家庭愛がゴッチャになったような、こんな奇妙な愛情は、たぶん普通の枠では説明できないし、世の人に理解も承諾もしてもらえないだろうけれども。それでもマリア自身がケネディのことを愛していて、ケネディも自分のことを愛しているのは確かなことだった。どれだけ歪んで屈折していたとしても、奇形的な共依存なのだとしても、強固な感情の繋がりがあって、それにほだされてどうにか生きているのだった。
黒人執事のジョニーさんなど最初からいない。「モデル」の人物はいたとしても、ケネディが内面の危うい精神バランスを保つために作り出した、空想上の存在でしかない。
言わば子供によくある「イマジナリー・フレンド(空想の友達)」みたいなものなのだ。小さな子供は主観的な想像上の産物をしばしば現実と混同して、客観的に「いる」のだと思い込むそうだが、そんな一種の「退行」や「記憶錯誤」からの固定観念なのだろうか。
意識が途切れて椅子から転がり落ちたケネディは、今はソファで眠っている。
傍らでマリアはソファの縁に腰掛けて、額と顔を手で愛撫していた。
(この子は半分気が狂っている)
しかしそうさせた原因は、他ならぬ自分なのだった。
いかに怒りそのものはある意味では正当だったとはいえ、両親を殺して家庭を奪い、連れ回して、こんな外国の逃亡生活につき合わせている。文字通りの「フルコース」で人生の全てを破壊したようなものだ。せめて破壊のどこかに「手落ち」があれば、せめてケネディの「特殊な事情」を理解した片親だけでも生きているだとか、身体の損傷がないだとかなら良かったのに。あまりにも感情の爆発と勢いのみに任せて「やり過ぎてしまった」のだと痛感する。
(あのときの私は狂っていたんだ。今だって、半分くらいはおかしいのかもしれない。悪魔みたいな女だとしか、自分でも思えない……)
今になって考えれば、おおよそ正気の沙汰ではない。
しかしもはやどうしようもないのだ。時計の針は戻らない。
海外への逃亡にまで巻き込んだのはやりすぎかもしれなかったが、今更に元の生活に返そうとしたところで、おおよそ無理なのは目に見えている。
ケネディに用意されていた、たぶん唯一の「安全な鳥籠」を壊したのは自分なのだ。
この子、幼い愛人はとっくに心身ともに壊れてしまっているのだし、もしも今自分が放り出せば、おそらくは社会復帰すら不可能な、完全な廃人になってしまうのは目に見えていた(医療施設に入れたところで、精神的な理由で衰弱死するかもしれない)。それに自分自身も、ケネディと新しく名づけたこの「メイド」に精神を依存してしまっているし、もしもいなくなったら、生きていることすら耐えられなくなってしまうだろう。
だから何がしかの区切りや結末に辿り着くために、この歪んだ逃亡生活の中で、自分なりに「最善」と思ったやり方を選んできたつもりだった。
どうにか、歪んだなりの愛情と安定が育まれてきた、この二年間。
何度も自殺を思い留まったのはケネディがいたおかげなのだ。
今自分が死を選べば、たぶんケネディも、どんな形であれ死んでしまうだろうから。
それが良かったのか悪かったのか、マリアにはわからない。
(たとえ最後に、この子が私を殺したとしても……)
恨みはしないだろう。
自分はそれだけの過ちを犯したのだし、自業自得なのだ。
けれどもその前に、ケネディにどうにかして、全く普通ではなくても何か新しい人生の門口へと導いてやりたい。こんなのはエゴイスティックで、おかしな義務感なのだろうか?
恋愛と欲情と母性本能と家庭愛がゴッチャになったような、こんな奇妙な愛情は、たぶん普通の枠では説明できないし、世の人に理解も承諾もしてもらえないだろうけれども。それでもマリア自身がケネディのことを愛していて、ケネディも自分のことを愛しているのは確かなことだった。どれだけ歪んで屈折していたとしても、奇形的な共依存なのだとしても、強固な感情の繋がりがあって、それにほだされてどうにか生きているのだった。