メイドインダーク(マフィア令嬢と少年メイドのインモラル逃亡潜伏) ※長編・一括掲載(R指定)

 午後には英語と歴史の授業を一遍に。
 どうやってやるかわかります?
 歴史の重要な出来事やなんかをネタに、英語の例文にして、色々と説明しながら覚えさせるんです。これもマリア様のお手製で、英文(+日本語訳)三つくらいと、関連する知識のメモが付いたプリントや手書きのルーズリーフが特別教材なわけで(マリア様は日本を出国する前に書店で仕入れた、英単語の照会が付いた独和・和独辞書を特にご愛用です)。マリア様曰く「自分自身の勉強にもなっている」とのこと。
 ボクは最初に英文をわけがわからないままに朗読します。
 それからマリア様が文法を解説して、次にその単元の説明とお話。
 ちなみに本日は古代ローマ史シリーズの八回目、キリスト教が登場する辺りです。
「学校の先生ってバカで事なかれ主義の無責任な人が多いから。面白いモンを退屈で無味乾燥に教える達人だしぃ。……英語とかでもさー、文法書の例文だの用例だの文法用語だのを生徒がワケもわからないまま、律儀に一ページ目からひたすら重箱の隅突っついてるし。まず最初に、『西洋語は動詞を中心に出来てる』とか『toは前置詞の使い方の他に、動詞を名詞や形容詞にしたり、オマケの文を簡単に省略するために使ったりする』とかってちゃんと有機的に結びつけて、全体の観点から整理して教えないから、みんなワケわからなくなって。……全体の中で何処と何処がどう繋がってるのか教えなかったら、出来るようになるわけないでしょうに」
 マリア様、よっぽど学校の先生たちが虫好かなかったようです。
 下手な学校の授業や学校採用の古典的な参考書よりも、予備校のカリスマ講師とかの書いた良い参考書の方がよっぽど使えるのだそうで。
 あるときの昔話によれば、授業中やテストのときにわざと難しい答え(正解かそれに近い)で回答して、教師たちをおちょくるのがクラスや学年の親しい仲間グループ内の流行だったのだそうで(学校の先生方を「本職のくせに割と低脳」などと見下していたようで)。たとえば歴史上の人物や地名や名称なんかを聞かれたときに、わざと面倒なフルネームやマイナーな方の名称(よく用語集とかで「別名~」とか小さな字で書いてあるアレ)で返事をしたり、同じ意味でも故意に難しい英単語と凝った言い回しで学校教師の頭の程度を逆に計ってやったり。職員室の評価で「非常に優秀だが扱いに困る生徒」四天王の一人だったとか、楽しげに話してくださいました。
 ソファに並んで腰掛け、紅茶を飲みながらお話を聞かせてもらうのです。
「でね、それまで弾圧されてたキリスト教を公認したから、このコンスタンティヌスって人はコンスタンティヌス『大帝』って呼ばれてるの」
「迫害って……暴君ネロとか?」
「そう。噂だとお母さんと近親相姦したって話もあって、最後に殺しちゃった無茶苦茶な人。贅沢の限りで国を破産寸前にして、最後の最後は自分がクーデターで殺されちゃったらしいけど。でも、その少し後の皇帝のマルクス・アウレリウスみたいな真面目な人からも、当時のキリスト教徒は胡散臭い目で見られてたそうだから」
 マリア様はこの手のゴシップみたいなお話も好きなのだそうで。ですがそんな興味本位の面白さのおかげで、ボクの頭にもよく記憶として残ります。もっとも、これも相手が大好きなマリア様だから、というのも大きな理由なんでしょうけれど。
 ボクはこれまでの「授業」を思い出して、合いの手に返事や質問を差し挟むのです。
「五賢帝の最後の哲人皇帝でしたっけ?」
「ええ。覚えてたのね。……子供を亡くした辛さに耐えるためもあって、ストイックな哲学や理想に余計にのめり込んだんだって。まあ、根っから気真面目な人だったんでしょうけど、周りから見たらかなり悲壮かも。『自省録』なんていう、毎日の自己反省文が残ってるわ。いわゆる『名著』らしいけど、ちょっと堅苦しくて無味乾燥な感じかしら? ほら、軍人さんや警察の人とかが、喜んで読みそうな」
 なんだかんだで、平和でトラブルのない日には一日に五・六時間程度(午前中に二・三時間、午後に三、四時間くらい)は勉強している勘定になります。しかも夏休みも冬休みも関係がありません(土日に定期的にサボるくらい)。こんな具合ですから、ボクの勉強が他の同年代の日本の子供よりもかえって進んでいたのだとしても、何ら不思議はないでしょう。マリア様も暇をもてあましたらしく、暇つぶしの成果なのか英語とドイツ語をかなりの程度よく理解しているようです。最近ではインターネットで、ドイツ語の古い小説なんかをダウンロードしてきて読んでいるご様子。
 ちなみに日本から脱出した際にダンボール五箱分の書籍(日本語)を調達して、先に衣類と一緒に海外へ(囮の意味も兼ねてそれぞれ違う国へ)と送り、そのうち一つを逃避行の途上で回収できたため、教材には割合に困らずにいました。ただしフランス語やスペイン語の辞書・文法書を入れた箱のセットなどは全然別方向の国なのでもはや回収は不能ですし(それぞれ、科学関係の新書とか、地理関係のシリーズ本が何冊か同封してありました)、未読の塩野七生(日本で広い読者に普及した、ローマ史・西洋史分野で有名な女性作家)の文庫一束と中国語(北京語)の本も、距離的には比較的手近にあるものの、とりにいく手間とリスクを考えてわざと放置してあるのです。
 ですからマリア様が語学、英語と合わせてドイツ語を自習課題の中心にして血道を上げたのには合理的な理由があるわけです(現地語も初期にダンボールに合わせて詰めた本で集中的に死に物狂いで基本を覚えて、日々に使いながら補強しているので二人ともカタコト以上には話せます)。最大の理由はインターネット経由での情報欲しさや、当地(現住所近く)の書店で手に入る情報誌や書籍を読むためだったのでしょう(一度は日本人街にも行って、何冊か買い足してはいますが)。だって、日本語の書籍が充分に手に入らないならば、他の言語でも覚えるしかないんですから。
 一通りの講義が二時間くらいで終わると、また自習。
 今度はボクは漢字と英単語の書き取り(これもインターネットで探してきて、まとめてダウンロードしたのだとか)。マリア様はドイツ語のオペラの台本(これもWebで転がっていた対訳)を書き写して、動画の該当する部分を何度も聴いていたようでした。
 五時半頃になるとマリア様はテーブルから立ち上がって、キッチンでお料理を始めます。
 ボクにとっては、これも幸せな時間だったりします。
 黙って本を読んだり勉強したりしているすぐ傍で、視界に見えていなくてもそこにいる気配や音がして。やがてロールキャベツが煮える音や、おいしそうな香りが漂ってくるときには、何だか言い知れない安心感が胸に満ちてくるからなのです。
 けれども……何かを忘れている気がする。
 だいたい、どうしてボクはこんなに安心しているのだろう? 感情の根拠が不明です。
 とっさに、何を思い出そうとしていたのかわからない。
 そうだ、ジョニーさんがいない。あの同僚の先輩で「親友」の、頼もしい憧れのナイスガイな黒人執事はもう隣の部屋に帰ってきているのだろうか? 今日の記憶にある限り、そんな様子や気配なんかは感じられなかったように思う。
 顔を上げて見回す。
 やっぱり。
 まだ帰ってきていない。
「マリア様?」
「何?」
「ジョニーさんは……」
 キッチンから顔を上げたマリア様と視線がぶつかります。おそらくはボクの不安げな面差しから、内面の表情を読み取ったのでしょう。フゥっと軽く溜め息して、安心させるみたいに言うのです。
「遅くなるの?」
 なんだか焦燥に駆られるみたいな声になってしまいます。
 マリア様は答えず、しばらく目を伏せて黙っていました。
「ジョニーさん……」
 やがて口の重くなったマリア様は何故か意を決したみたいに、静かに告げるのです。
「いないわ」
 ボクはマリア様の言葉の意味が、一瞬理解できなかった。
 ちょっとばかり動悸までして。軽い立ちくらみのような感覚が押し寄せてくるのです。
「今日は帰ってこないの?」
「……帰っては、こないわ」
「明日くらい?」
「…………」
 やり取りの間の沈黙のせいで、ボクの胸の中に急速に不安が広がってくるのです。
「……まさか、死んじゃったの?」
 深刻な表情で問いかけるボクを、マリア様は慎重に探るような目で見ていた。
「…………」
「どうして、黙ってるの?」
 マリア様は返事をするかわりに、黙ってキッチンからこちらへのテーブルへと歩いてきます。そして、信じられないことを言うのです。
「……ジョニーなんて、いないわ」
 まるでボクの反応を試すような、ゆっくりとした語調の慎重な言い方でした。
 マリア様はもう一度、同じ意味をよりわかりやすく、はっきりと繰り返すのです。
「最初から、いないの。あなたの頭の中にしか、いないのよ」
 どう反応すればいいのかわからなくなる。
 よく考える。考えてみる。思い起こそうとする。
 ジョニーさんが「いる」という、大前提がある。しかし具体的な日常の接触の記憶なんかは、ほとんどない。最初からいない人間を、ボクはいると思い込んでいた?
 手で額を押さえる。眩暈?
 思考が空白になって、何も合理的に考えることが出来なくなる。
 マリア様が慎重に言葉を選ぶように、もう一度繰り返す。
「『執事のジョニー』なんて人は、あなたの勘違いと思い込みの中にだけいるのよ」
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