この時間を忘れる方法があるなら
ここまで来て怖気付いていては駄目だ‥‥

私は彼が愛する莉奈さんなのだから‥‥

もし彼女が今ここにこうして座っていたら、こんな甘くて優しい声で呼ばれたらどう感じるだろう‥‥

「どうしたの?柊さん」

ゆっくりと呼吸を整えて閉じていた瞳を開けると、隣に座る柊さんの方に向き直りその甘い声かけに応えるように柔らかい表情で微笑む

何が正解かは分からないけれど、私なら愛しい人にそう呼ばれたらこうしたいと思ったからだ

ゆっくりと目の前に伸びてきた手が私の頬に触れると、そこを愛しそうに親指で優しく撫で、私もその手に吸い付かれるように頬を傾けると
柊さんの目が少しだけ大きく見開かれ、次の瞬間には腕の中に閉じ込められた


背面からではなく、正面からの抱擁に戸惑いながらも、練習だと思い身を預けるように体の力を抜けば、耳に柊さんの鼓動が聞こえる



『フッ‥‥不安とはよく言ったものだな。想像以上で困った‥‥』

抱き締めていた手がまるで子供をあやすかのようにゆっくりと私の頭を撫で、その心地良さに練習だという事を忘れてしまいそうに瞳を閉じて温もりを感じてしまう

本番で人前でこんな事をするわけじゃない‥‥

ただ、柊さんの事を知らない自分にとっては、
こんなに近い距離感で過ごしたこの数分を知らずにいたさっきまでとは全く違う感情を抱いている

「も‥もう大丈夫です‥」

このままこの温もりに包まれていたいなんて夢のような考えをしてしまった自分が嫌になり、
そっと両手で柊さんの胸を押そうとするも、もう一度両腕が背中を包み込み私は逃げられなくなってしまった
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