藍色の溺愛〜あなたの声が好きすぎて〜
第二章 藍色の星
月哉は、私を公園のベンチに座らせると、大通りの向こう側にあるコンビニへビールを買いに行ってくれた。サングラス姿で颯爽と。
緑に囲まれたベンチで待っていると、夏の夜風が通り抜けていく。
「気持ちいい」
私は思わずそう呟いた。
こんなに幸せな夜はないけれど。
どんな風に月哉の声を聴いて、どんな風に話せばいいのか、ドキドキしてしまう。と言っても、自分を繕うのが苦手な私は、可愛い女の子のふりもできないし、艷やかな大人の女性のふりもできない。
ありのままの自分でいるしかない。
「お待たせ。冷えてるよ」
戻ってきた月哉から手渡されたのは、表面に水滴を纏った缶ビール。指先から伝わる冷たさが夏の夜風と混ざり合う。
「このビール!CMのタイアップが決まったビールですよね?」
「うん、そう」
「タイアップ、おめでとうございます」
「ありがとう。やっぱ、自分の曲が採用されると、嬉しくてさ。このビールばっかり買っちゃうよな」
月哉は、照れたように、そう言うと、私の隣に腰を掛け、缶ビールのプルタブを指で弾いた。
『プシュッ』と、軽快な音が夜の公園に広がる。静寂から抜け出すように。
「貸して。開けてあげる」
「大丈夫です。自分で開けます」
「せっかく綺麗なネイルしてるのに、爪がかわいそうでしょ」
そうだ、ネイルしてるんだった。いつもは仕事ばかりで、ネイルなんてする余裕がなかった。でも、今日は、午前中にネイルサロンへ立ち寄った。
私が、月哉をイメージして注文したネイル。
ネイリストの手によって、淡いピンクの爪の上に小さな藍色の星がそっと置かれていく。
ピンセットの先で位置を微調整され、トップコートで覆われると、藍色の星は爪の中に最初から閉じ込められていた光のようで、とても素敵だった。
「藍色の星なんて、ロマンチックだな」
月哉はそう言うと、私の缶ビールのプルタブを指で弾いた。
『プシュッ』
炭酸の泡と夜風が、麦の香りをほんのりと運んできた。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
月哉の繊細で長い指が、街灯の光を反射するほどきれいで。その仕草のひとつひとつに見惚れてしまう。
「じゃ、乾杯!」
「乾杯っ!」
月哉は、ライブを終えたばかりの喉を潤すように、ゴクゴクと、ビールを飲んだ。喉仏が力強く上下に躍動して。艶めいた色気を感じる。
『月哉と一緒にビールを飲んでる』なんて、これは、神様からのご褒美ではなく、夢かもしれない。夢ならどうか醒めないで。
こうやって並んで座ってみると、月哉の足の長さがよく分かる。身長180センチの月哉と、160センチの私。もっと背が小さかったら可愛い女の子で、もっと背が高かったら、大人の女性を演出できたかもしれないのに、中途半端な私。
「あのさぁ。もしかして、中村琴音さん?」
「えっ?」
胸がドクンと波を打つ。それと同時に自分の耳を疑った。月哉が私の名前を発するなんて。過去に類を見ない、ありえない状況。
ライブの後にプレゼントを渡したことはあったけど、ファンレターは書いてない。っていうか、ファンレターも書きたかったし、ラジオのメールも何度も送りたかった。でも、月哉は自分で作詞をして、言葉を大切に紡ぐ人だから。私が書く文章はチープに感じてしまうかも。そんな不安が頭のなかにぼんやりと浮かんで、ちょっとしたメッセージでさえ書けなかった。
「どうして、私の名前を?」
「やっぱり、琴音さんか。さっき、『月哉さんの声が好きすぎて』って言われて、わかった。ラジオ番組にメールくれたでしょ。『月哉さんの声が好きすぎて』ってさ。その時、本名が書いてあったから」
「覚えててくれたんですか?」
「琴音って名前の響きが好き」
その声で「好き」とか、言わないで。ふわふわしてしまうから。まあ、琴音って、名前の響きが好きなのでしょうが。そうやって、自分なりに考えを処理しても、心は高揚して、顔が真っ赤になっていくのがわかる。
「そんな、恥ずかしがらないでよ。最近は、どう?ちゃんと眠れてる?」
「金曜日の夜は眠れてます。月哉さんがラジオで『おやすみ。ゆっくり休んでね』って、言ってくれるから」
「なんかさ、琴音さんからメールもらった時、俺、保育園児を寝かし付けてるのかと思った」
月哉が、可笑しそうに、ふっと笑った。
私は、甘やかされてる気分で嬉しい。その心の内を隠すように、冗談交じりに答えた。
「すみません。保育園児で」
「いや、いいんだけど。眠れない時って、辛いもんな。俺も、曲作ってると深夜になってさ。疲れてるのに眠れなくなるから、気持ち、わかるよ」
そうか。月哉の歌詞が胸に沁みたり、恋愛心理を読み解く文学的な質感を持っているのは、簡単に生み出された歌詞ではないからだ。
「眠れない夜は、誰かに何かを伝えたいとかっていうメッセージ性より、俺自身の感情を整理しながら、リアルとイメージの世界で歌詞を書いてる。時々、破綻してるのは、そのせいかも」
月哉は、そう言いながら、ビールを飲むと、目を伏せた。長い睫毛が、頬に綺麗な影を映している。
「破綻してるのも好きです」
「なんでも好きって言ってくれるんだな。嬉しいよ」
「月哉さんの歌詞が、本当に好きなんです。言葉の揺らぎが、雨や涙で滲んだ絵画みたいで」
詩的な雰囲気の比喩と、余白が織り成すコントラスト。それが本当に美しい。そこに日常の切なさが混ざり合って。月哉が小説を書いてくれたら、読みたいなぁ。ベストセラーになるはず。
そんなことを考えながら、ふと我に返る。
「私、きっと、メイク崩れてますよね⋯⋯」
「そう?」
月哉と、こんなに近づくなら、メイク直しをすればよかった。私にも乙女な部分がまだ残っている。
「ライブでいっぱい、汗掻いちゃったから」
「ステージから見えてたよ。楽しそうで、嬉しかった。それに、夏のライブは、汗掻いてる女の子の方が可愛い。一生懸命、応援してくれてる証拠」
月哉はそう言うと、まだ少し汗ばんだ前髪を指先で整えてくれた。愛おしそうに。
私は月哉の魔法にかかっている。もう誰も、夏の夜でさえも、この魔法を解くことはできない。
緑に囲まれたベンチで待っていると、夏の夜風が通り抜けていく。
「気持ちいい」
私は思わずそう呟いた。
こんなに幸せな夜はないけれど。
どんな風に月哉の声を聴いて、どんな風に話せばいいのか、ドキドキしてしまう。と言っても、自分を繕うのが苦手な私は、可愛い女の子のふりもできないし、艷やかな大人の女性のふりもできない。
ありのままの自分でいるしかない。
「お待たせ。冷えてるよ」
戻ってきた月哉から手渡されたのは、表面に水滴を纏った缶ビール。指先から伝わる冷たさが夏の夜風と混ざり合う。
「このビール!CMのタイアップが決まったビールですよね?」
「うん、そう」
「タイアップ、おめでとうございます」
「ありがとう。やっぱ、自分の曲が採用されると、嬉しくてさ。このビールばっかり買っちゃうよな」
月哉は、照れたように、そう言うと、私の隣に腰を掛け、缶ビールのプルタブを指で弾いた。
『プシュッ』と、軽快な音が夜の公園に広がる。静寂から抜け出すように。
「貸して。開けてあげる」
「大丈夫です。自分で開けます」
「せっかく綺麗なネイルしてるのに、爪がかわいそうでしょ」
そうだ、ネイルしてるんだった。いつもは仕事ばかりで、ネイルなんてする余裕がなかった。でも、今日は、午前中にネイルサロンへ立ち寄った。
私が、月哉をイメージして注文したネイル。
ネイリストの手によって、淡いピンクの爪の上に小さな藍色の星がそっと置かれていく。
ピンセットの先で位置を微調整され、トップコートで覆われると、藍色の星は爪の中に最初から閉じ込められていた光のようで、とても素敵だった。
「藍色の星なんて、ロマンチックだな」
月哉はそう言うと、私の缶ビールのプルタブを指で弾いた。
『プシュッ』
炭酸の泡と夜風が、麦の香りをほんのりと運んできた。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
月哉の繊細で長い指が、街灯の光を反射するほどきれいで。その仕草のひとつひとつに見惚れてしまう。
「じゃ、乾杯!」
「乾杯っ!」
月哉は、ライブを終えたばかりの喉を潤すように、ゴクゴクと、ビールを飲んだ。喉仏が力強く上下に躍動して。艶めいた色気を感じる。
『月哉と一緒にビールを飲んでる』なんて、これは、神様からのご褒美ではなく、夢かもしれない。夢ならどうか醒めないで。
こうやって並んで座ってみると、月哉の足の長さがよく分かる。身長180センチの月哉と、160センチの私。もっと背が小さかったら可愛い女の子で、もっと背が高かったら、大人の女性を演出できたかもしれないのに、中途半端な私。
「あのさぁ。もしかして、中村琴音さん?」
「えっ?」
胸がドクンと波を打つ。それと同時に自分の耳を疑った。月哉が私の名前を発するなんて。過去に類を見ない、ありえない状況。
ライブの後にプレゼントを渡したことはあったけど、ファンレターは書いてない。っていうか、ファンレターも書きたかったし、ラジオのメールも何度も送りたかった。でも、月哉は自分で作詞をして、言葉を大切に紡ぐ人だから。私が書く文章はチープに感じてしまうかも。そんな不安が頭のなかにぼんやりと浮かんで、ちょっとしたメッセージでさえ書けなかった。
「どうして、私の名前を?」
「やっぱり、琴音さんか。さっき、『月哉さんの声が好きすぎて』って言われて、わかった。ラジオ番組にメールくれたでしょ。『月哉さんの声が好きすぎて』ってさ。その時、本名が書いてあったから」
「覚えててくれたんですか?」
「琴音って名前の響きが好き」
その声で「好き」とか、言わないで。ふわふわしてしまうから。まあ、琴音って、名前の響きが好きなのでしょうが。そうやって、自分なりに考えを処理しても、心は高揚して、顔が真っ赤になっていくのがわかる。
「そんな、恥ずかしがらないでよ。最近は、どう?ちゃんと眠れてる?」
「金曜日の夜は眠れてます。月哉さんがラジオで『おやすみ。ゆっくり休んでね』って、言ってくれるから」
「なんかさ、琴音さんからメールもらった時、俺、保育園児を寝かし付けてるのかと思った」
月哉が、可笑しそうに、ふっと笑った。
私は、甘やかされてる気分で嬉しい。その心の内を隠すように、冗談交じりに答えた。
「すみません。保育園児で」
「いや、いいんだけど。眠れない時って、辛いもんな。俺も、曲作ってると深夜になってさ。疲れてるのに眠れなくなるから、気持ち、わかるよ」
そうか。月哉の歌詞が胸に沁みたり、恋愛心理を読み解く文学的な質感を持っているのは、簡単に生み出された歌詞ではないからだ。
「眠れない夜は、誰かに何かを伝えたいとかっていうメッセージ性より、俺自身の感情を整理しながら、リアルとイメージの世界で歌詞を書いてる。時々、破綻してるのは、そのせいかも」
月哉は、そう言いながら、ビールを飲むと、目を伏せた。長い睫毛が、頬に綺麗な影を映している。
「破綻してるのも好きです」
「なんでも好きって言ってくれるんだな。嬉しいよ」
「月哉さんの歌詞が、本当に好きなんです。言葉の揺らぎが、雨や涙で滲んだ絵画みたいで」
詩的な雰囲気の比喩と、余白が織り成すコントラスト。それが本当に美しい。そこに日常の切なさが混ざり合って。月哉が小説を書いてくれたら、読みたいなぁ。ベストセラーになるはず。
そんなことを考えながら、ふと我に返る。
「私、きっと、メイク崩れてますよね⋯⋯」
「そう?」
月哉と、こんなに近づくなら、メイク直しをすればよかった。私にも乙女な部分がまだ残っている。
「ライブでいっぱい、汗掻いちゃったから」
「ステージから見えてたよ。楽しそうで、嬉しかった。それに、夏のライブは、汗掻いてる女の子の方が可愛い。一生懸命、応援してくれてる証拠」
月哉はそう言うと、まだ少し汗ばんだ前髪を指先で整えてくれた。愛おしそうに。
私は月哉の魔法にかかっている。もう誰も、夏の夜でさえも、この魔法を解くことはできない。