【長編版】冷徹弁護士の甘い執着〜八年前の初恋相手に、もう一度捕らわれる〜
 麻里はエプロンの上で手をきつく握り締め、福村の視線から決して目を逸らさずに言い切った。

「先日も申し上げた通り、山崎さんには認知機能の低下が見られます。特に夕方のこの時間帯は、一見普通に会話ができているように見えても、正常な判断を下すことが非常に困難な状態にあります。ですから、ここからの時間はすべて、私のサポートのもとで進めていただきます」

 福村の唇の端が、かすかに引き結ばれる。居間の静寂が、より一層深くなった。

「具体的には、先生が提示される質問や書類の内容が、山崎さんにとって理解困難であると私が判断した場合、その都度、面談を一時中断させていただきます。また、山崎さんが疲労や混乱の色を見せた場合、当日の交渉は終了とし、お引き取りいただきます。これらは被介護者の心身の安全を第一とする介護契約、および信義則に基づく正当な権利です」

 立て続けに主張を展開する麻里の言葉を、福村は遮ることなくじっと聞いていた。彼の視線は冷ややかで、まるで法廷で相手方の弁護人の陳述を品定めしているかのようだ。

(権利を主張しすぎた? いやでも……こうでもしないと、先輩には太刀打ち出来ない。後から口を出せなくなるのが一番まずいのだし)

 麻里の背中を、緊張の汗が伝い落ちる。
 弁護士相手に、しかもかつて自分が逆立ちしても敵わなかった福村を相手に、これほど生意気な条件を突きつけているのだ。
 もし彼が本気で正当な論理を振るってきたら、自分の主張など一溜まりもない。

 しかし、福村はすぐに反論の言葉を口にすることはしなかった。
 彼はただ、テーブルの上の湯呑みに視線を落とし、まだ温かい緑茶を長い指先でそっと包み込んだ。
 そして、小さくため息をついた。

「……なるほど。事前に医学的・法的な防衛線を張ってきたわけだ。相変わらず用意周到だな」

 その声は、先ほどまでの事務的なトーンとは異なり、ほんの少しだけ低く、深みを帯びていた。
 福村は湯呑みを口に運び、一口喉を潤すと、再び麻里の目を見据えた。

「いいでしょう、佐倉さん。貴女の提示した条件を受け入れます。私は法を破るつもりも、判断能力のない老人を脅迫するつもりもない。ただ、我が依頼人であるミツルギ重工の被った莫大な不利益に対して、真実を明らかにしたいだけですから。そのプロセスが『適正』であるべきだという意見には、私も同意します」

 あっさりと条件が受け入れられたことに、麻里は内心で深く安堵した。しかし、福村の次の言葉が、彼女の警戒心を再び跳ね上げさせる。

「ただし――」

 福村は書類をテーブルの上に綺麗に並べながら、冷徹な微笑を浮かべた。

「貴女の『サポート』が、単なる山崎氏への過保護や、事実の隠蔽、あるいは私の業務に対する不当な妨害にあたると私が判断した場合、私は即座にその資格を取り消し、然るべき法的措置を検討せざるを得ません。貴女が『プロ』としてそこに座るなら、私も貴女を『プロ』として容赦なく査定させてもらいます。……構わないな?」

 完全なプレッシャーだった。
 麻里がその席に座るなら、一言の失言も妥協も許さないということだ。

(まるで宣戦布告ね)

 麻里の喉が恐怖で一瞬引き攣った。けれど、ここで引いたら山崎を守れない。

「……望むところです、福村先生。私も、自分の仕事に誇りを持っていますから」

 麻里は声を震わせることなく、はっきりと言い返した。
 二人の間に、目に見えない火花が散る。

「では、始めましょうか」

 福村が書類の最初の一枚を指でトントンと叩く。それが合図だった。
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