【長編版】冷徹弁護士の甘い執着〜八年前の初恋相手に、もう一度捕らわれる〜
 福村が去った。
 閉ざされた玄関の扉をしばらく見つめていると、その事実が麻里の全身に回ってくる。
 薄暗い廊下に一人取り残された麻里は、緊張の糸がぷつりと切れたように、しばらくその場に座り込んでいた。

「何だったの? 福村先輩……」

 彼の去り際の残像が脳裏から離れない。心臓を焼かれたかのように熱く、強烈だった。

(先輩、随分と……)

 麻里の顔のすぐ横の壁につかれた福村の大きな手のひら。
 仕立ての良い高級スーツの奥から香る、大人びた甘さ。
 自分とあまりにも違う体格と硬質な体温。

 至近距離まで近づいた彼を思い出し、全身がカッと熱くなる。

(私ったら、何を考えてるの?)

『俺は必ず、麻里を手に入れる』

 彼の言葉が頭から離れない。あの時の真剣な瞳も。
 リビングで面談をしていた時の弁護士としての彼とは違う、まるで恋人に向けるような独占欲をぶつけてきた福村の姿は、かつての「優しい先輩」とも違っていた。

 麻里は何度も深呼吸を繰り返し、激しく上下する胸を手のひらで押さえる。

「落ち着かなきゃ。今の私は山崎さんの担当介護士よ。プロとしてここにいるの。過去の感傷に振り回されてる場合じゃない……。まして、ここは山崎さんのお家なんだから」

 声に出して自分に言い聞かせると、酸欠気味だった頭に冷たい空気が行き渡る。
 麻里は乱れた息を整え、両手で自分の頬をパチンと叩いて気合を入れた。
 いつまでもここに座り込んでいるわけにはいかない。まだ仕事が残っている。

 麻里は冷え切った廊下を歩き、リビングへと戻った。

 さっきまで大人三人が八年前について話し合っていた居間は、嘘のように静まり返っている。
 もうすっかり日は落ち、部屋の中は薄闇に包まれていた。

 ローテーブルの上には、福村と山崎の湯呑みだけが冷えきった状態で置かれている。
 先程までテーブルの上に置かれていたシステムログや書類の束は、当然のように跡形もなく回収されていた。

(ここを片付けて、明日の支度をしたらおしまいね。山崎さんの様子はどうかしら?)

 麻里は物音を立てないように細心の注意を払いながら、リビングの奥にある寝室のドア少しだけ開け、隙間から中を覗き込んだ。
 ベッドの方から、規則正しい小さな寝息が聞こえてくる。山崎は、深く穏やかな眠りについていた。

(落ち着いているわね)

 リウマチの痛みを堪えるように強張っていた両手も、今は布団の上で力なく開かれている。額にじっとりと浮かんでいた脂汗も引き、その表情には先ほどまでの狂乱や恐怖の影はなかった。

(良かった、ひとまずは落ち着いてくれたみたい。あれ以上ストレスがかかったら、発作が起きたり、認知症状が急激に進行する可能性だってあったから……)

 静かに寝室のドアを閉め、麻里は小さく安堵の息を漏らした。
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