【長編版】冷徹弁護士の甘い執着〜八年前の初恋相手に、もう一度捕らわれる〜
 ――八年前、父の勤め先が新聞の一面を飾った。
 大きな見出しで『ミツルギ重工情報流出』とだけ記された記事はあっという間に世間を騒がせた。
 会社の信用は失墜し、父は人員整理のために長年捧げてきた会社から紙切れ一枚で放り出された。

 当然、麻里の学費を捻出する余裕など、佐倉家には残されていなかった。
 だから大学を中退した麻里は、介護士として働き始めることになった。現在は訪問介護の仕事に就いている。

 当時はミツルギ重工を恨む気持ちもあったけれど、今となっては仕方のないことだったと割り切っていた。

(高度なサイバー攻撃だったと聞くし、ミツルギ重工も不運だっただけ……)

 予期せぬことが起こりうるのが人生なのだと、二十六歳にもなれば分かっていた。



***

 麻里の仕事場、山崎徳三郎(やまざき とくさぶろう)の自宅は、使い込まれた古い家具が端然と並ぶ静かな邸宅だ。キッチンでゆっくりとお茶を淹れながら、麻里は窓の外に広がる茜色の空を見上げる。

(あの時は、世界が真っ暗になったと思ったけれど……)

 麻里は湯呑みを盆に乗せて居間へと向かう。
 法曹界への夢を諦め、必死で資格を取って飛び込んだ介護の世界。最初は生活のためだった。けれど日々利用者の生活に寄り添い、彼らの「できない」が「できる」に変わる瞬間や、苦痛が喜びに変わる瞬間に立ち会う中で、麻里はこの仕事に深い充足感を抱くようになっていた。
 法律で人を守ることはできなくても、温かい手で人を支えることはできる。

(人を救うような仕事。出来ているかしら? ううん、まだまだこれからよね)

 先輩の『誰かを救えるはずだから』という言葉が、麻里の支えとなっていた。

「山崎さん、お茶が入りましたよ」

 声をかけると、窓際の椅子に座っていた山崎がゆっくりとこちらを振り返る。

「ああ、佐倉さん。いつもすまないね」

 山崎の微笑みは穏やかだった。彼は軽度の認知障害を発症していたが、まだ落ち着いている時間が長いのが幸いだ。

 奇妙な縁だが、麻里の父がいたのと同じミツルギ重工の元役員だったらしい。山崎もまた、あの事件の余波で表舞台を去った一人だ。
 かつては数千人の社員を束ねる常務取締役だったという面影はもはやなく、痩せ細った肩と、関節リウマチで節くれだった手にわずかに残るのみだ。

(私の父もいつかは……)

 麻里はつい山崎に将来の父の姿を重ねてしまう。
 山崎も父もいつも穏やかだが、寡黙で、特に仕事や会社の話を少しでも振ると黙り込んでしまうところがよく似ていた。

(辛い記憶だもの。仕方がないことよね)

 山崎宅での仕事はいつも凪のようだ。多くの言葉を必要としないこの静かな時間は、麻里にとっても貴重な時間だった。


 けれど今日、穏やかな時間が訪問のチャイムによって破られた。

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